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画期的だと思ったアイデアが既にあった話

数ヶ月前にジャムの蓋の裏にスプーンついてたら、蓋開けたついでに、ジャムすくってそのまま塗れるのにな。的な話をnoteで書いた。

それ以降、どうしたら自分のアイデアが現実のものとなるか風呂に入っては考えていたが、既にタッパーの蓋の裏にトングがくっついている商品があるらしい。

https://www.monotaro.com/g/04541677/

私はジャムの瓶を想定していたので、違うと言えば違うのだが、発想としては同じくらいの部類になる。

そもそも瓶である理由は密閉性が優れていて、菌の繁殖などを防ぐためらしいのだが、このタッパーは蓋をちゃんと洗えて、トングでもスプーンでも着脱式なので素晴らしいと思う。

なんかこんな製品でもWebアプリでも何でも良いのだが、自分がこういうの作りたいとか、あったらいいのにな。と思ったとしても、自分の力で作ることもできず、どうすることもできない期間というのは虚しいものである。

自分にもし実力があれば、自分の作りたいものを考えて作って、試作品だの何だの市場に出して、駄目だったとか良かったと実験結果が取れるのだが、実力がないので今の所出来ていない。

そこで例に漏れずにコロナ禍の自宅待機している中で、プログラミングの勉強を始めたという感じではある。

大学時代からプログラミングの勉強自体はやっていたが、どうもこれから製品のレベルに到達するのか?という疑念みたいなものが渦巻いていて、基礎を終了したら、何したら良いかわからず、かといって作りたいもののレベルにまで到達してもおらず、期間が空くという状況になっていた。

天才プログラマーみたいな人達は何でもすぐにホイホイ作れるもんなんだろうか。プログラマーの仕事というのは、もはやどの企業にも必要な試作品やサービスを作る業務に必要とされている。

日本のシステムというのはシステムエンジニアという人達が担っているが、その人達は外注されたり、委託されたりすることが多い。

そのため、銀行のセキュリティで問題が出たり、個人情報が流出したり、開発スピードが遅いとか、他社に技術を持ってかれる等など、課題も多い。

日本の金融教育やプログラミング教育はようやく始まった所ではあるが、これからどうなっていくのか楽しみではある。

自分は高校の時に情報の授業でプログラミングみたいなものをやっていた記憶があるが、全く意味がわからなかったし、隣の人のを見て丸写ししていた。

後になって思ったことは、先生って大事なんだな、ということと、普通に一人で勉強したほうが良いな。ということでもある。

これはプログラミングに限ったことではなく、自分は一人で勉強したい人間なんだな。という性格の問題であると思う。

一人で勉強するには地方という環境は意外と良かったりする。

なぜかというと、地方だと教育格差や情報格差を無くそうと頑張ってくれている人達が結構いるからである。

もちろん、元々無いから格差を埋める努力をしているのだが、そういう意味では人と繋がりやすいし、頑張ってくれる人を応援しようという感じはある。

東京だと、どうしても人との競争になってしまうし、情報がありすぎて、すぐ見つかるが個人に合わせたサポートまでやってくれる丁寧さというか、ゆとりみたいなものが少ない気はする。

無料で良いサービスを東京で始めてしまうと、人が殺到して収拾がつかなくなってしまうが、地方なら優しい人が身近にいてテキトーになんか教えてあげようとなれば、ゆるーくその恩恵を受けられる。

もちろん、そういうチャンスが全てに与えられているわけではない。だが、少なくとも地方都市とか福岡・札幌・広島くらいだったら、結構そんなサービスがあるし、そういうのもあって、移住者も増えているかもしれない。

福岡はベンチャー起業が増える都市として、無料相談窓口みたいなのを持っていたりすると聞いたことがある。目的がある人にとっては、そのように地方都市を活用するのもいいかもしれない。

広島も製造業の街ということもあり、街に起業をサポートするような組織がいくつかあったりするし、結構日本を代表するような起業が育ったり、スタートアップしている。

私達の知らないところで結構やっている人はやっているというのが現実であったりする。

どうでもいい政治家のニュースばかり世間が注目するが、スタートアップなどが注目されるのは上場したときとか、何かで成果を上げたときくらいなので、その前の努力は結構知らないことが多い。

知らないところで頑張っている人達の努力が実って、今ある日本のような大企業が生まれたりしている。

アイデアも何かに引っかかって、ようやく実現したり、協力者がいてビジネスや会社運営が出来ることが多い。

プログラミングなどは一人である程度のことはできるかもしれないが、それ以上にビジネスとして本格化するなら協力者が必要になる。

詰まるところ、そのような協力者であったり、時代の流れだったり、世に出るキッカケみたいなものはどこに落ちているかわからない。

どうしても人が集まっている東京にいればチャンスがあると思ってしまいがちだが、最近は一概にそうでもないかもしれない。

ビジネスの世界だと市場規模がどうとか、潜在的な需要や顧客がどれくらいいるとかデータを出して皮算用するが、結局そんな誰でも手に入るデータで推測を建てられるなら、誰でも成功してしまう。

NPOがやるようなビジネスが社会でもっと増えるべきだとは思うものの、そのようなビジネスが存続しにくいのが資本主義の悪いところでもある。

私はNPOのような仕事をやるつもりはないが、金にとらわれずに生きたいという意味では、自分と同じような考えを持っている人と協力して社会をいい方向に変えることが出来れば良いと思う。

金の稼ぎ方より、稼いだ金を社会のためにどう使うかという方が重要になっている現代において、企業のために働くという考え方よりは、社会のために働くという考え方を重要視すべきだと思う。

私がやろうとしていたこととは少し違っても、結局誰かがやってくれるならそれでいい。その分社会が良くなっているだろうし、自分としても不満が消えて嬉しい。

もし自分が天才プログラマーだったり、3Dプリンターでガンガン試作品を作れるほどの財力があれば、なんか面白い方向に人生が動く人を増やせたかもしれない。

現状としてはnoteで文章を書くくらいしかできないが、自分で実力を磨いて金が効率的に回って、幸せになる人が増えるような仕組みやキッカケを作りたい。

今はコロナで世界のどこにもいけないが、なぜかわからないが日本に行きたくても行けないという人は世界には溢れている。

いろんな人のアイデアや、いろんな人の努力が積み重なって今の日本があることは間違いない。失敗もしただろうが、日本を立派な国にしたいとか困ったことを解決したいとか、有名無名それぞれの目線で日本の為に活躍してきた人がいるはずである。

ある意味それが日本の良さであると思う。逆にそれを失ったら日本の良さは完全に消滅する。

やたら小手先の変なビジネスでお金を稼ごうとしている人が増えてしまうと悲しいが、それだけ余裕がないというのもわかる。どんな稼ぎ方のお金でも使い方をはっきりして良い方向で使えば、社会もよくなるだろう。

自分を守るためのお金ではなくて、社会を守るためのお金であってほしいとは思う。貨幣制度を自分が作ったわけでもないのに、自分のお金のように確保するのも違う気がする。

自分がやりたいと思ったことにお金を出したり、自分が困っているけど良い商品がないとか、そういうものを解決するためにお金が集まるシステムがあれば、きっと社会は良くなっていく気がする。

2021年のうちにコロナが明けたら2022年はカタールまでワールドカップを見に行きたいが、この先どうなるかわからない。

逆境に立たされた人達が画期的なアイデアで困難を乗り越えてきた日本の真価が、また現代で問い直されているような感覚がある。



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