税金を納めることは本当の正義なのか
日本では、なぜか生まれたときから納税が義務であると勉強する。たくさん働いて税金をたくさん納めることが社会にとって良いことだとも言ったりする。
自分たちで決めたルールというわけでもないのに、勝手に税率や何から何まで決められている。
別にそれ自体は良いと思うが、世の中には所得税がない国もあれば、たくさん税金を納めた分、高福祉として国民に返ってくる国もある。
日本は特別高い税率でもなければ、低くもない微妙な国であるし、納めた分、国民にちゃんと還元されているかというと人にもよるだろう。
コロナをキッカケに税金の使い方についての意見をいろいろ書いている人が目につく。おそらくもし自分が高所得で税金を半分くらい給料から引かれて、消費税が10%なら、税金の使い方についてかなり意見を言いたい気持ちもわかる。
税金というのは国の方向性を決めるものであると思う。防衛費を割増したり、教育費を割増したり、何か先端技術を支援したり、使い方というのはいくらでも考えられる。
最近ではアメリカの高所得者が税金を全然納めていないというニュースが出た。真偽はわからないし、高所得者だからといって税金を納めないわけでもないが、アメリカは日本に比べれば高所得者の人達の税金が優遇されている気がする。
私が好きなウォーレン・バフェットという世界一の投資家のおじいちゃんは、おそらく節税とかそういう面倒くさいことはやっていないと思う。もしかしたら運営するバークシャー・ハサウェイという会社では節税をして経営しているかもしれないが、ウォーレン・バフェット本人は自分の資産を守るための節税などはやっていないと何かで読んだ気がする。
彼も90歳で終活をしているが、99%を慈善団体に寄付すると宣言している。一般の人間には計り知れない金額だが、彼の資産の1%もあれば、10人の大家族でさえ、孫の代まで誰も働かなくても十分に生きていけるだろう。
彼が国に資産を押収されるより慈善団体への寄付を選んだ理由は、やはりその方が社会に影響力があるし、自分が望む効果的な用途に使われると信じているからだと思われる。
大金を持てば持つほど、当然ながら金の使い方を嫌でも意識せずにはいられなくなる。芸能人でもないので、おしゃれである必要もないし、家にずっと引きこもって株式投資やその情報収集ばかりしている生活であれば、そこまでお金も必要ないだろう。
なんだか一般市民は勝手に金持ちは金遣いが荒くて金を保有するのが好きな連中だと思いこんでいる。それは一部には当てはまるだろうが、一般市民と同じように、そういう人間もいればそうじゃない人間もいる。
作為的に別事業で赤字を作って、利益を少なく見せるような手法で法人税を安くしたりすることもあるだろうが、やはりそのようなことをしていると投資家はリスクが有るとみなして逃げていくだろうし、影響力が大きすぎる金持ちの人達は金遣いに関しても人一倍考えていると思う。
税金というのは社会のシステムの一部である。国家の根幹のシステムと言えるかもしれない。ただ、日本の場合、一般の人が税金の使い方などに介入することはない。
最終的には、おそらく政治家の中でもかなり一部の人だと思われる。
みんなでお金を集めて、個人では解決できない公共のものを作ろうという発想はあるべき思想で間違いない。
原始時代のような生活に戻るわけにも行かないし、ある程度の生活水準をより多くの人が得られるようにすべきだし、少数が栄えて大多数が貧しい社会は作ってはいけない。
日本では一億総中流などと言われてきたが、おそらく今そのように考えている人は少ない。年金も減るだろうし、将来が明るいと考えている人は少ない。
貧乏人が税金を納めて無くても仕方ない感じに思われるが、金持ちが税金を節税しようとした時の叩かれ方はひどい。
私達の税金とは何なんだろうか。
私は金に区別は無いと考えている。
私が今持っている金は、誰かから譲り受けた金で、今私の生活を支えるためにしばらく留まって、またどこかへ行って誰かの生活を助けに行く。
金の価値はどれだけ人の手に渡っても変わることはない。たとえシナシナの1万円札であったとしてもピン札と同様の価値がある。
税金と寄付の何が違うのかというと、個人から国に徴収された税金が具体的に何に使われているのか、細かい部分まで把握できていないことだと思う。
大雑把に計算はされていても、コロナで変な布製マスクを国民に配るために税金を納めているわけでもないし、その配送料にも納めているわけではない。そんな事をするなら、そっくりそのままその費用を現金で与えてくれたほうが良いに決まっている。
そんなことになるなら、税金なんか納めなければよかった。という考えに至る人がいても不思議ではない。そういうことが政府の信用につながると考えていい。変なものに金を使うキングボンビーのような見られ方をされても仕方がない。
それなのに、特段の理由なく税金を納めなければ、日本においては督促状が届き、それを無視すればそれなりの処罰が下る。税金の使い方を間違えた人間には処罰が下らないんだろうかとも考えてしまう。
自分たちの国がどうしたら良くなるのかという意見を簡単に伝えられないのも虚無感が募る。
SNSが発展している世の中で、AIも組み合わせれば、全員の意見を反映させられるような税金の使い方が出来るんじゃないだろうかとも思ったりしてしまう。
逆に、自分の納めた税金が自治体から国までどのように使われているのか1万円単位で可視化するようなシステムも作ろうと思えばつくれるのかもしれない。
人間なら誰しも、意味を求めたがるものである。税金って納めているけどなんに使ってんのか?そもそもなんで自分の税金はこの額って自分で決めたわけでもないのに勝手に決められているんだ。ということをもっと疑問に思ってもいいかもしれない。
なんだか知らないが、勝手にそういう法律のようになっている。日本国憲法だって、日本が作ったわけでもないのに、一度も日本人が作り変えることもなくずっとそのままである。
そして日本だけが非常事態宣言を出すことが出来ず、憲法の壁に阻まれてロックダウンも出来ずにいる。法律やルールは多くの人が快適に過ごすために守るべきものであって、足かせになっているルールをわざわざ神のお告げのように守るべきものではない。
もちろんいろいろな意見があるのは知っているが、どっかの国にミサイルを打ち込まれても国を守る手段に制限がかかったり、日本国民をウイルスなどから守るのに万全な対策が打てないようになっている法律に何の意味があるのか。とも思ってしまう。
別に税金を納めること自体を否定しているわけではない。ただ、なーなーになって、今の制度が今の時代にマッチして万全なシステムとしてベストなのか?と疑わなくなるのはダメだと言いたい。
子供の医療費や学費がどんどん安くなるのはいいことだと思うし、多くの人が健康的に過ごせる社会は良いと思う。そのために、もっと真剣に考えられる事があると思う
日本の政治がダメだといっても、一応ワクチンが届かなくなるほどの開発途上国じゃないし、中国からワクチン外交してもらって打たなければならないほど弱い立場でもない。
30年間経済成長してないのに、未だに一応世界3位くらいのポジションに居る。将来的に厳しい立場に追いやられるのであれば、今のうちに出来ることにお金を使って、やれることをやるべきだと思う
税金という保険のようなシステムはあるべきだと思うが、将来的には使い方などが変わるかもしれない。
自分がどんなことに税金を分配したいか、「医療」「教育」「インフラ」「産業」など選べるようになったりする可能性があればおもしろい。