
マイライフ・アズ・ア・ドッグ
[ネタバレ含みます]
公開 : 1985年12月12日
監督 : ラッセ・ハルストレム
ジャンル : ドラマ・コメディ
ラッセ・ハルストレム監督はこの作品をきっかけにハリウッドに招待され、先週見た『ギルバート・グレイプ』などに繋がっていくらしい。監督の人生を変えた一作と言っていいのかもしれない。
『ギルバートグレイプ』は監督の良さを残しつつもハリウッドらしい大衆向けに作られた感じがしたが、こちらは監督のやりたい表現をストレートに映像化している印象、正直少しびっくりするような描写も多かった。
1950年代のスウェーデンが舞台。オリンピックやワールドカップで盛り上がっていた頃。
冒頭から主人公のイングマルは、スプートニクに乗せられたライカ犬と自分を比較し自分の方がマシだと言い聞かせる。だが本当はイングマルは自分とライカ犬を重ねているのだろう。逃げ場のない宇宙船に乗せられて死を待つだけのライカ犬と行き場がないと思い込んでいるイングマル。
イングマルは自分の嫌なものから目をそらしたり聞こえないようにしていた。回想では優しかった母と愛犬の事ばかり。意地悪な兄と病んでしまった母はいない。父もいない。そんなイングマルの姿は自分の幼少期と少し重なったように感じた。
生死の問題は子供だろうが大人だろうが関係なく訪れる。
イングマルが屋根から落ちた時、綱渡りを失敗して落ちた時、お爺さんが真冬の川を泳いだ時、イングマル達の宇宙船が墜落した時、みんな一瞬死を感じさせる出来事だ。死の予感が通り過ぎた瞬間強烈な生を感じることができる。生死が表裏一体であることを理解させられる。
最後イングマルたちを乗せた宇宙船は制御が効かなくなり墜落する。しかし皆無事に生還した。それがイングマルの運命を示しているのではないだろうか。
子供は生きる環境を選べない。育ってきた環境が自分にとって最良だと思い込む。だから最初おじさんの所に行くのが嫌だったし、病気になってしまった母の元へ帰れることを喜んだ。
血の繋がりだけが家族であり自分の居場所ではない。実家こそが逃げ場のない宇宙船だったのではないだろうか。
スプートニクに乗せられたイングマルは宇宙船の消滅により生還した。ライカ犬とは違う軌道に乗ったのだ。