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どうして「プレイングの破綻」を放置するプレイヤーは上達しようがないのか(2024/11/9増補改訂)

 上記記事のように、公開のまま残す記事において、表現や誤字の訂正や必要と思われる追記を行うことにしました。
 一度読んだ方でももしお読みいただければ嬉しく思います。

 先日から複数回、ポケモンに関する記事を書かせていただいています。

 以下に20本ちょっとの記事をマガジンでまとめておりますので、この記事をご覧いただいた後、ご興味がありましたらご覧いただければ嬉しく思います。

 皆様今月いかがお楽しみでしょうか。
 私はとある対戦で、もしかしたら相手の方はそもそも自分の行動をどうやって決めているのか自分でもわかっていないんじゃないか?とすら思えるものすんごいプレーをされたのですが(あまりにすごすぎてここに書くのはただの晒しになってしまうのでやめます)、もしかしたら初心者の方などのなかにはうっかり「そういった方向」に踏み出してしまう方もいるかもしれないと思い、今回はそういった面に触れた話を書くこととしました。

 まず結論からいうと、「あまりにすごいプレイングをする方は上手下手ではなくプレイングが破綻していることが多いので、一度見直そう」ということなのですが、この「破綻」について詳しく述べていきましょう。

○対戦において「破綻のない下手」とはどういうことか

 まず最初に言葉の定義の話をしましょう。

 強い弱い、勝てる勝てない、対戦競技である以上そういった定義を我々は受けるわけですが、結果ベースでいえば勝てるかどうかが重要とはいえ、学習という視点では「弱い」と「下手」をある程度は区別する必要があるのは事実だと思います。
なぜなら、一口に「下手」といっても、「当然のこと」と「当然じゃないこと」があるからです。

 「当然のこと」としての「下手さ」なら、「本来あるべき下手さ」なら、それを悪く言われる筋合いなんてありませんよね。
 なぜなら、我々は誰しもスタートラインが一番弱く、勝てず、下手で、あり、でもそれは当然のことであって卑下する必要なんてないからです。我々は自分が下手だということを潔く認めるからこそ勉強し成長できるんですからね。最初から上手な人なんていません。

 では、「本来あるべき下手さ」とはどういう下手さなのでしょうか。
 例えばですが。
 一般的に考えて、このゲームのシナリオをクリアしたばかりの方がランク
マッチにはじめて挑む時には、いわゆる「プレイヤーとしては弱い」状態からのスタートになるはずです。
 そりゃそうです。
 知識も足りない、
 その他もろもろ足りない。
 みんなそこからのスタートから頑張るわけです。

 さて、ではこの水準の方が「下手」だからこそしがちなプレーとはなんでしょうか。
 例えば、対面が炎ロトムだったら、「特性を知らなかったせいで」地震をうってしまったり、「弱点技を押せばいいとしか考えられなくて」状況を選ばずハイドロポンプを連打してしまったりといった、「理由を聞けばどうしてそうしてしまったのかわかる」シンプルな間違いばかりのはずです。
 少なくとも、炎ロトムが引くだろうと思って地震をうつようなプレイングにはまだたどり着かないですよね。

 つまり、それがどんなにしょぼいミスであっても、「どうして」という理由部分はちゃんと説明できるし、その理由を聞けばみんなが「まあそう思っちゃったならそうするのもわからんではない」と納得できる。
 これが「弱い」プレイヤーの「弱いなりの間違い」の本来のパターンで、これが「本来あるべき当然のこととしての下手さ」です。そしてこれはいわゆる「破綻のない」下手さです。
 だから一つずつそういった「どうして」部分の誤りを正していくことで、みんな上手くなっていくことができるんですね。
 このパターンのミスはだれでも通ることですし、直せるものなので、頑張っていただければちゃんと「強く」なれるものです。だって間違いが明確にわかるわけですからそこを一つ一つ潰せばいいんですからね。

 しかし。

 それこそモンボ級だろうが、マスボ級だろうが、「そうでないプレー」、つまりは「当然じゃない下手さ」「本来あるべきではない下手さ」の方も多く存在します。
 具体的に言うと、「どうして」と「結果的なプレイミス」の2つを他のプレイヤーに聞いても、「え、全くその2つの聞の関係性がわかんないんだけど」とか、「え、いや、理由になってなくないそれ?」 といった反応が返ってきてしまうようなプレーをしている方のことです。

 率直に申し上げます。
 客観的にみて、これがまたが多いんです。

 これは上手い下手とかいいプレーとか悪いプレーといった次元の話ではなく、「プレイングが破綻している」次元の話に迷い込んでしまっているのですが、今回私がここで述べる「下手」というのは、こういった「破綻したプレイングをしてしまう方」のことであり、上手くないに決まっている「始めたばっかりの人」がどうこうとか、「ランクが1500か1300か」といった話とは別のことだ、と思って読んで、いただきたく思います。

 さて、ではここでいう「破綻」というのはどういうことなのでしょうか。

○「プレイングの破綻」とはどういうことか

 例えばですが。
 こちらが初手にようき最速チョッキコライドンを出し、相手が初手に霊獣ランドロスを出してきました。
 すると相手のいかくが先に発動しました。この時相手のランドロスのアイテムは間違いなくスカーフです。相手が初手飛行テラパーストをし、こちらは先に動かれると思っていなくてコライドンがワンパンされた後負けたとしましょう。

 ここでこちらが相手のランドロスがスカーフを持っていることに気づかなかった場合、「特定の特性の発動順はすばやさ順なことを知らなかった」とか、「飛行テラパーストの火力をしらなかった」とかそういった「明確かつ納得できる理由」で、コライドンが先にワンパンされることに気づかなかったわけですから、先の例でいえば「破綻のない下手」なプレーといえます。

 しかし、これがこういう場合はどうでしょうか。

 例えば、こちらが臆病最速チョッキハパタクカミを初手に投げました。相手が水ウーラオスを初手に出してきました。「ハパタクカミの方が素早さの種族値が高いので絶対に早い」と「思って」居座ったら、相手がスカーフをもっていてハパタクカミが倒されてそのあと負けました。

 これは先の例と、全く 一切 根本的に 違うことがわかりますか?
 根本的な違いがあります。「ハパタクカミの方が絶対に早い」と「思った」理由がこれだけだとわかりません。
 理由は書いてあると思った方はいますか?それは危ない。大丈夫、まだ引き返せます。

 確かに思った理由っぽいことは書いてありますよね。ハバタクカミのほう が種族値上すばやさが高いのは間違いありません。
 でもそれはただ「相手より種族値が高いか」だけのはなしだけで、「実際に相手より素早さが高いか」は本当に全く別の話です。種族値は要素の一つにすぎません。
 知識がないわけではなく、知識が意味するものについてよくわからない方向に認識がズレてしまっているんです

 先の例の発動順といった見分ける根拠になるのは、「実際のすばやさを示している根拠」であり、足し算でいえば1+2=3の「3」という答えの根拠になる資料です。でも種族値は「1」か「2」のどちらかを示す根拠にすぎないので、「3」、実際の素早さを示す根拠ではありません。
 つまりそれこそスカーフを持っていないという明確な理由がありませんから、なにをもって絶対にハバタクカミのほうが早いと言っているのか、誰にもわからないんです。

 だから客観的に状況を見ても思考が破綻しているのが明らかです。そこに
は思考の文脈もなければ、説得力をもたせる論理もありません。まあ要するに、思考・論理が破綻しています。
 論理が破綻している以上、プレイングとしても破綻せざるをえません。相手がスカーフの可能性を一切考えていないのだから結論としてもスカーフだった時の対応案にいれようがないし、対応案に入れなかった理由は本人含めて誰も説明できません。
 これがちゃんとしたプレイヤー・・・といって怒られないのかわかりませんが・・・少なくとも私のレート帯・・・そういわずとも1700常連くらいのレート帯にいる方なら、例えば「相手のパーティーに現環境で他にスカーフをもっていそうなのがいるのか」といった、推測であったとしてももう少し根拠を示せるうえで求めていきます。

 このように、「プレイングが破綻」している次元のプレイヤーのプレーは、「そのプレーをした理由」を聞いても、客観的に納得できる要素がありません。大抵の場合「え、それ理由になってなくない?」という反応しかできないのです。

○「プレイングの破綻」には議論の余地がない

 そして。
 いわゆる「正解のプレー」かどうかの検討は、強い方を含めた全員のプレイヤーの永遠の課題として常に難しいものであり、それが初心者であるほどより難しいわけですが。「破綻しているプレー」かどうかの検討は、別になんにも難しいことはありません。

 だって、「そのプレーの根拠がない」という明らかな判定方法がありますから。
 「根拠が正しいか」じゃないですよ。「根拠が根拠になってない」ということです。

 そうなのです。なにが最高のプレーかにはいくらでも議論の余地があっても、「そのプレーが破綻している」ことには議論の余地は一切ありません。

 そして、破綻しているプレーがなんと「結果として」「たまたま」押したボタンが正解になることはあっても、「プレイングとして」正解であることは絶対にあり得ません。
 ここで重要なのは、「結果的にそれで勝ったか負けたか、刺さったかさららなかったか」といった話とは一切関係ないということです。
 どうしても人間「今目の前の結果」に目がいきがちなのですが、ランクマッチの目の前の一戦というのは本当に一部の場面を除けば「星の数ほどの対戦の一つ」にすぎませんから、そんなことより継続的に勝てるのかの方が大抵重要です。つまり、今どうなったかという結果うんぬんの次元の話じゃないんです。

 だから例えば実際にウーラオスがオボンとかをもっていて、ハパタクカミが先に動いてウーラオスをワンパンしたとしても、そんなことはプレイングの検討してはどうでもいいことです。だって「たまたまそのときそう思ったからそうした」だけで、再現性のない、サイコロ振った結果というだけですから。

 この区別をつけられるかどうかは、学習面で全く違う結果を生むことになります。というのも、「プレイングの破綻」を気にしない限り「絶対に上手くならない」からです。

○「プレイングの破綻」を放置することのなにが問題なのか

 まず、実力を一切問わず全てのプレイヤーは、今の自分よりさらに上手くなる努力をしている必要があります。でないと他人を追い抜けないし、追い抜かれるからです。だから常に自分のプレイングを見直し、より正解のプレイングがないかを検討することが求められていきます。
 それが他人と順位を争う場に身を置くということであり、ランクマッチです。上手い下手にかかわらず、それが楽しめない、取り組めない方は、楽しみ方としてはランクマッチという楽しみ方はできないと思いますので、カジュアルマッチやフレンド戦で「単発の遊びとして」楽しむ方がよいと思います。

 しかし、プレイングが破綻しているタイプのプレーしかできない方は、これが絶対にできません。
 だって、自分自身が「なぜそうしたのか」の判断に再現性を持たせられないから検討した結果を「この次に反映させようがない」のは勿論として、そもそも客観的な視点で本人含めて誰も説明できないので、プレイングを精査しようがないんです。

 こういう理由でウーラオスがスカーブではないと思っていた、であればこういう理由の部分の精査ができますが、「なんとなくスカーフじゃないと決めつけた」のであれば「そうですか、パクチに負けましたねJとしか言いようがなく、永遠にそこから前進しようがありませんから、プレイングの破綻をそのままにするプレイヤーは、永遠にプレイング技術が進歩できません。
 
 だからこのタイプのプレイヤーは、「今」どころか「未来」までシンフプルに上手くなりません。なりようがありません。何日かけても何か月かけても何年かけて上手くなりょうがありません。
 そしてそのうちに、同じ時期に始めたいわゆる同期に置いて行かれ、後進に追い抜かれ、続ければ続けるほど上手くなるどころかむしろ置いて行かれてしまい、結果として上手い下手を論じる前の「弱い」としか表現しようがないプレイヤーになり果ててしまうのです。

 だから、今その人がどれだけ勝てるか勝てないか、強いか弱いかとかそんなことは関係なく、破綻のあるプレイングに「気づかない」とか「直そうとしない」「問題だと思わない」というタイプの方は、それが「いかにプレイヤーとしてやばい」ことであることは自覚したほうが良いと思います。

「なにが問題なのか」を認識できないのに「その問題を解決」できるわけもなく、「問題が問題として残り続ける」のだから、そこが足を引っ張り続けるわけですよね。

 また、学習面という関係でいえば、プレイングの破綻は「運」の認識も完全に歪ませます。
 自分の見直しをしようがない以上実際に対戦内容の事後的な見直し自体をしなくなるので、例えばある一千で運がよく急所連打で勝てたとして、「運がよかった」くらいの認識は「急所」という表示でもてても、その「急所」が有効なのか無効(急所でなくても足りていた)かどうかすら下手をすれば正しく認識できず、「自分が本当にただそれほどすごい豪運だけでたまたま勝ててしまっただけ」ということに気づけません。
 要するに、「そもそもどこからどこまでがただの運だったか」に気づけない。逆に自分が急所にあたって「運が悪い!」と思ったとしても、その急所が本当に自分の敗因になっていたのか、実はなんにも関係なかったのかがわからないんですね。

 すると、この状況が続いてしまうと他の弊害もでてきます。

○強い弱い以外の弊害もでるかも・・・。

 勿論これはこれは完全に主観を含む話としてとらえてほしいのですが。
 どんな対戦系のものでも、自分より格下すぎるレベルの相手と延々やっても普通面白くありません。例えばお父さんお母さんがお子さんとなにかゲームをするとき、手を抜きまくっても面白い場合もあるとおもいますが、それはゲームが面白いわけではなく、子供と遊んでいればなんでも楽しいというタイプの面白いの話でしょう。

 そしてそれはなぜかというと、基本的にあまりに格下の相手と対戦すると、対戦における「あるべきキャッチボール」が成立しないことが多いからです。
 格闘ゲームであれば技のコマンドも正しく押せずガチャ押ししかしない人とちゃんと操作ができる人は、もう本来の格闘ゲームをやっているといえるのかわからない対戦を繰り返すことになってしまいますよね。
 そして、この「キャッチボールの不成立」は、言うまでもなく「プレイングの破綻」が原因でも起きます。なにしろ相手のことを理解しょうがないんですから、キャッチボールが成立するわけもないんです。

 要するに、プレイングが破綻している人とやっても、それは対人ポケモン対戦というゲームとはちょっとズレてくるというか、CPUと やっているような、こう、対人対戦としての面白みを感じられない状態になりかねないんです。
 
 すると、それこそランクマッチであれば、自分が見える中での色々な弊害は単に自分に降りかかる問題に収束されるだけですが、これが御友人との対戦という場面の話になると、せっかく遊んでいるのに御友人の方が「対人対戦としてなんにも面白くない」といった状況になってしまう危険があり、娯楽として楽しく遊ぶことすら影響がでてきてしまう危険が出てくるのです。

 ちょっと想像してみましょう。
 例えば最後にミライドンとランドロスの対面ができて、絶対ランドロスのじしんのダメージ量でミライドンが倒されるのに、ランドロス側が「根拠は
何もないけどじしんで落ちないと思ったから当たれば勝てる地割れをうった」とします。
 別にランドロス側は本人的には手を抜いたわけでもなく、普通に勝とうと思っていたのでしょう。しかし、ミライドン側からすればどう思うでしょうか。地割れが外れてミライドンが2回殴れて勝てたとしても、「いや何考えてそこで地割れうったん・・・どんな滅茶苦茶なプレーだよ」的な感覚になりますし、仮にそれであたったとしたら「こいつなんでじしんでいいのに地割れなんだよやばすぎんだろ」みたいな感覚になるのは想像に難くありませんか。

 そういう「モノには流石に限度があるだろ」状態で「対人対戦としてかみ合わない」試合が繰り返されたとき、いくら「これは遊び」という認識でやっているにしても、ミライドン側はいつまで楽しく対戦できるでしょうか?ということです。

○まとめ

ということでまとめます。
・「プレイングの破綻によるミス」は「弱いからするミス」とは別種の問題である
・プレイングの破綻によるミスはそのままではなにをどうやっても改善しようがない
・プレイングの破綻を放置すると永遠に上手くなれない

 いかがでしたでしょうか。

 正直この手の話はこのゲームに限らず仕事だろうがなんだろうが全部そうな気もしますが、仕事であれば流石に同僚や上司の方から指摘を受けたりできて気づけるものの、なまじっか趣味の世界の話であるために周りからの指摘を受けづらいことがあるのか、放置されていることが出てしまっているように思います。

 途中でも述べましたが、自分に破綻がないかどうかの確認は簡単です。
 同意を得られるかはともかく、正解かどうかはおいておいて、どうしてあなたがそうしたのかを説明して、それが流れとして他人が理解できれば、少なくともプレイングの破綻はしていません。
 逆に言えば、もしそうでなければ、「これはやばいかもしれない」と思った方がよいということです。当然ですが、そもそも説明できないのもアウトです。

 私も絶対にこうならないよう、毎回気を付けて対戦することを心掛けていますが、一度皆様御自身で見直してみることをおすすめします。


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