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「実力とはなにか」に誤解がある人ほど思考ゲームの上達を勝手に諦めてしまうワケ

 上記記事のように、公開のまま残す記事において、表現や誤字の訂正や必要と思われる追記を行うことにしました。
 一度読んだ方でももしお読みいただければ嬉しく思います。

 先日から複数回、ポケモンに関する記事を書かせていただいています。

 以下に20本ちょっとの記事をマガジンでまとめておりますので、この記事をご覧いただいた後、ご興味がありましたらご覧いただければ嬉しく思います。

 残りが少なくなってきましたが、移植文面の1つです。
 元の記事はポケモン関してのものではなくメインはカードゲームに関してですが、例などをポケモンに差し替えて移植しています。
 ただし、本質的な内容としては思考ゲーム全般に言える話として書いています

 どなたかの参考になれば幸いです。

○思考ゲームでは「なぜ自分が負けたのか」が可視化されない

 例えばですが、私は小学校の頃将棋を遊び、程度に触っていて、ルールはわかるし有名な戦法くらいは理解できますが、当然プロの方々に勝てる腕ではありません。
 さて、私とプロが仮に対戦し、私がぼっこぼこにされた様子を録画していたとしましょう。
 負けた時のその映像を私がその場で100回見直したとしても、「なぜ自分が負けたか」は絶対にわかりません。どうしてでしょうか?

 確かに負けた時の盤面を含めて、経過は画面に出てきます。例えばこれを矢倉囲いというといったことは名称はともかく知れるかもしれません。
 しかし、「その画面のようになった理由」言い換えれば「お互いがそういう動きをすることにした理由」、つまりは「負けた理由」は自分と相手の頭の中にしかないので、どんなに画面を見ても見て取ることはできないからです。

 これに対して、例えば私は付き合い程度にスト6を触っていますが、プロに同じようにぼこぼこにされた映像を同様にその場で、100回見直してみたらどうでしょうか。
 パニカン表記やコンボがつながっているか等、完べきではないものの、少なくとも相手がなぜ負けて自分がなにができないといけないのかといった情報を得ることはできるはずです。
 なぜなら「断片的であっても画面に書いてある」からです。
 パニカンってことはここでこの技を振ったのがダメだったとか、なるほどこのコンボでライフをこれくらい削れるからここまで最初削られたんだなとか、え?この技こんなに射程あるの?程度を含めて、見ていればある程度は学べることが多いはずです。

 さて。
 ここまでは多分誰でも当たり前にわかることだと思うのですが、ではポケモン対戦はこの2つのうちどちら側の対戦ゲームになるでしょうか。
 当然、将棋の方ですよね。
 お互いがなぜその技を撃ったか、交換したか、そもそもその選出をしたのか、あるいはパーティーを作ったのか。ほぼすべてのことは「結果」しか画面には出てきません。

 もちろん対戦の「結果」は画面に現れるところで決まりますし、その結果、勝敗こそ全てです。
 また、例がスト6だったので一応書きますが、勿論格闘ゲームも読み合いのような思考部分の世界は存在しないとはいいません。

 しかし、その前提の上でなお断言するのですが、「思考ゲーム」の「実際の対戦」は、「画面に現れないところ」でこそ行われているのです。

 つまり。

 どんなに対戦画面を見ていようが、実は「どういう対戦が行われていたか」はその画面には本当にごく一部のことしか映っていないのです。

○「その技を撃った結果」ではなく「どうしてその技を撃ったのか」の部分が思考ゲームの中身である

 例えば相手がここでとんぼがえりを押せば相手の勝ち、とんぼがえりを押さずに他の行動をとれば自分の勝ちだとします。
 対戦結果は、結果的に相手がとんぼがえりをおしたかどうかで決まります。そしてそのことは画面に出ますし、逆にいえばそのことしか画面に出ません。
 つまり、相手がとんぼがえりを撃つかどうかで対戦結果が決まるということに気づいてすらおらず、とりあえず対面弱点技の虫タイプの技だから、とたまたまとんぼがえりを押したようだけの「滅茶苦茶弱い相手」と、「それにしっかり気づいていた自分」との対戦であっても、画面にでてくるのはとんぼ返りをおしたことで相手が勝ったという事実だけです。 
 そして、誰がどんなにその時の映像を見続けても、この事実に気づける人は誰一人いません。だってなにも映ってないんですから気づきようがないのです。

 勿論、競技視点で見れば「運も実力のうち」であり「結果がすべて」なので、どんなに勝利だろうと勝ちは勝ちです。
 しかし、単純な対人対戦としてどんな対戦だったかを見てみれば、「弱いプレイヤーがたまたまその時だけ正解してたまたま勝った対戦」としか言いようがありません。
 少し極端な例ではありますが、「この対戦ってどういう対戦だったの?」 という、対戦の実際の中身が、いかに思考対戦ゲームでは「表に出ない」かが伝わるのではないでしょうか。

 別の話にはなりますが、このようにいわゆるプレーの面白い部分、腕の差が出る部分が目に見えないところに存在するため、一定の知識がない人が対戦の中身をちゃんと理解することはできません。格闘ゲームであれば技が出てるといった断片的な情報を拾えますが、それすらできないわけです。
 だからショービジネス向きではないと言われることもありますね。

 詳しい各論は別の記事に色々書いていますのでここでは割愛しますが、つまるところ、思考対戦ゲームの本質的な対戦内容、つまりは「実力」を構成している要素は「対戦の中身」という見えないところにしかありません。

○思考ゲームではいつも実力が目に見えるところに出てくるとは限らない

 格闘ゲームでは頭の中の状態が画面に出てくる過程に「特定の操作ができるか」といった要素があるため、「実力差」が「画面にはっきりでてくる」というのは先ほど述べました。
 これは逆にいえば、特定の操作ができるようにんることは実力が上がることに直結するので、「今までできなかった他人がしている操作」ができるようになれば実力があがったことが客観的にわかりやすいわけです。
 だから、まずは他人と同じ操作ができるようになることを目指していくことになりますし、それができない、つまり下手だということが自分でもはっきりとわかります。

 しかし、思考ゲームは違います。
 将棋の駒を持ち上げて置く、あるいは慌てず上下ボタンとAボタンとかを押す、といったくらいですから、思考のアウトプットを失敗するのはケア
レスミスくらいです。だから先ほどのような「たまたま正解を選べた」ことが発生してしまうのですが、つまり「正しい操作ができたか」は実力に関係ありません。
 つまり、例えば対戦を観戦している時、「ほら!このすごい人がした選択と同じ選択を自分ができたよ!」と言いだしたプレイヤーがいたとしても、そのことだけでは強さの証明にならないということです。
そこは先ほどの例でもわかりますよね。

 では実力をどうやったら証明できるのかというと、別の話として強さは結果で証明するという視点でいうならば、適切な思考ができていれば再現性があるために試行回数を増やせば証明できると思いますが、こういった単発の話であれば「対戦の中身」つまりは画面には出てこない頭の中をアウトプットして検証するしかないのです。

 しかし、そのことが十分にわからない方が実際には結構いらっしゃるようで、そういう方は「ここで冷凍ビームを撃てる俺強い(意味不明プレイがたまたま乱数で、通っただけ)」 とか、「マスボになれたんだから俺強い(むしろハイボの人の方が;上手い)」といった、目に見える現象を強さのものさしに使いがちですし、逆にそういう発言を鵜呑みにしがちです。

 勿論肩書や結果といった目に見えるものを実力の証明にすること自体はおかしくないのですが、それは正しく証明できることを正しく証明できる材料で行うからおかしくないのです。
 多分大学生くらいの方ならわかると思いますが、「俺英検3級もってるんだ!すごいだろ!英語得意だぜ!」と「TOEIC900点なんです、英語できます」は次元が遣いますよね。ポケモンでいえば「マスボ級です!すごいでしょ!」といわれても困るのと同じようなものです。

 要するに、「思考ゲームにおける実力」というのがなんなのかを理解できていないということなのですが。これを理解できていないと、思考ゲームをする上で、特に初心者にとって致命的な問題が発生します。

 それがタイトルにつながるところ。
 「勝手に才能がないと思って諦めてしまう」のです。

○実力の意味がわからない人は自分の実力や才能も正しくはかれない

 例えば、上手い人が初手対面で「まあここはとんぼがえり押せば裏目がないですから」と言いながらとんぼがえりを選択してそのまま勝った動画を見たとします。
 先ほどの話を理解できていない人は、大抵の場合それを見るとこう思います。「つまりこれとこれがこういうタイミングで初手対面したらここはとんぼがえりを押すのが上手いんだな」

 いや、当然そんなはずがないですよね。理解できている人に言わせれば、「そんなパカな」という話です。

 とんぼがえりを押したことが上手いんじゃなくて、そこでとんぼ返りを押せば裏目がないという結論に達せられたところが上手いのであって、つまりその動画に現れていないところが上手いわけですから、とんぼがえりを押したことが上手いという話ではない。

 だから理解していない人はとにかくそれを初手にだしてとんぼ返りを脳死で連打して通るかどうかだけの対戦を延々繰り返しがちで、当然結果は御想像のとおりとなります。

 そしてここで致命的な問題が起きます。

 理解できていない人は勝手にこう思いがちなのです。「同じようにやってるはずのに全く上手くならない、私には才能がないんだ、頭が悪いんだ」と。実際にはなにも同じようになんてやっていないにも関わらず、です。
 そして勝手に諦めて辞めていってしまいます。

 あるいはこういう場合もあります。これを「頭の良し悪し」だと言い出すので、す。仮に頭の良し悪しが実力に影響するとしても、それは天井がどこまで高くなれるかであって、この話は「誰でも知れば直せることを知らない」とか「勘違いしている」というレベルのことですから、「頭の良し悪し」の段階の話には至っていないのです。

 ですから私は声を大にして言いたい。
 あるいはこれに同意していただける方全員が周りに言ってあげてほしい。

 そうじゃないんですよ。

 同じことをやってるのにという前提が間違っている。
 英語の試験のために数学の勉強をしているようなものなんです。
 だから少なくともまだそういう諦る段階には至っていないんです。
 まだそこで諦める必要は全くないこんな当然すぎるしょうもないことに気
づくだけで、上達できるようになれる可能性はまだ十分残っているんです。

○「しょうもない話だが重要なこと」も面倒くさがらずに学べ

 私の書く記事は、「いいから思考ゲームは真面白に座学をしろ」とか「初心者は座学が足りなすぎる」 という趣旨の記事が多いのですが。
 結局のところ、どんなに基礎の基礎、当たり前すぎてあきれるようなレベルの話であっても、「そこを理解していないと始まらない」こと、「絶対に飛ばしてはいけないこと」というのは実在しています。

 しかし、それがそうだということは必ずしも自力で気づけるわけでもないし、そもそも気づかなくていいことなことも多いです。
 ですから私の記事をお読みいただいている方には「またそれかよ」と言われてしまうかもしれませんが、何回でも述べるのです。

「いいから対戦の前に最低限の座学はしてください」 と。

 なにが最低限と思うかの天井は人それぞれでしょう。でも床ははっきりしています。「それを知らないなら上手くなれない」「それを知らないなら勝てない」ことです。
 そこまでは、そこまででいいので、対戦していくというならちゃんと学びましょう。そうでないと、そういうしょうもないところでひっかかって、それこそせっかくの才能を無駄にしてしまうかもしれませんし、無駄に自分が楽しいと思うことから離れてしまうかもしれません。

 もし「思考対戦ゲームから離れるべき人」がいるとすれば、それは才能うんぬんではなく、単純に「やらないといけないことをやれない」人だけではないでしょうか。

 どなたかの参考になれば幸いです。


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