「手なりで」が伝わらない人が上手くなりようがない理由
上記記事のように、公開のまま残す記事において、表現や誤字の訂正や必要と思われる追記を行うことにしました。
一度読んだ方でももしお読みいただければ嬉しく思います。
先日から複数回、ポケモンに関する記事を書かせていただいています。
以下に20本ちょっとの記事をマガジンでまとめておりますので、この記事をご覧いただいた後、ご興味がありましたらご覧いただければ嬉しく思います。
これは書いたのは最近の文で、カードゲーム関係で書いた記事ですが、このゲームでも基本的に同じだと思いますので、この場での掲載許可を頂き部分的に掲載します。
このゲームでは有象無象のプレイヤーですが、一応過去にカードゲームでまあまあの成果を出したことがあり、そこまで的外れなことは書いていないかと思われますので、御興味をお持ちいただけましたらお読みくださいますと幸いです。
○「その場の流れで」は「その場で考えろ」ではない
中級者以上になってくると、説明の随所で「手なりで」「流れで」的な説明をすることが増えてきますが、たいていのその文を読んだ初心者の方は、その文の趣旨を正しく把握することができないことがほとんどです。
というのも。
初心者の方が周りからなにも言われずに「その場の流れで」という文字を読んだとき、平たく言えば「その場その場で随時なにが正しいのかを考える」といった趣旨で解釈することが結構多いのです。
別に統計などはとっていませんが、カードゲーム時代から今に至るまで、あまり上手ではないな、と思う初心者の方はだいたいそういうアバウトな解釈をする人ばかりでした。
言うまでもなく、現実問題一切全くそういう意味を含まないとまではいいませんが、少なくともその解釈は正しくはありません。
中級者以上の、いわゆる「流れで」と書く、あるいは書ける側の人間が説明で使う「その場の流れで」的な表現の意味というのは、基本的にこういう意味です。
「これを読む水準の人にわざわざこのレベルのことを説明してもくどくてうざいだろうから割愛するけど、当たり前の正解行動をすればいいからね」
勿論中には択が発生することも当然あり、その場合には当然その場の判断をすることになります。ただそれは正着とされる中からの判断であって、ゼロベースで正解を考えるわけではありません。
「その場でなにが正解かを考える」んじゃなくて、「状況が認識できてれば
正しい行動を選べるでしょ、あとはよろしくね」ということなのです。
○常識と想定されることはわざわざ説明しない
私が組む文は大抵長く、それはできる限り広い範囲の人に理解してもらいたいからあまりはしょらずに組んでいることが多いからなのですが、想定される対象がある程度限定されている場合、不必要なレベルのことをいちいち全部説明していたら、無駄に長くなって読みにくい文になってしまいます。
日常生活でもそうですよね。「常識」 があるものはいちいち言葉にされずに省略されながら会話します。大学でわざわざ九九とはなにかを説明しないように、絶対にみんなわかっているだろうことはいちいち説明しないのです。
つまり、「流れで」とか「腕で勝てます」みたいな表現であれば、「ちゃんとした実力があればわざわざ説明しなくてもわかることだからはしょるよ」ということでもあります。
ではここで逆のことを考えてみましょう。
例えば構築記事などで、「流れで」ではなく、「この場合はこうする」と書いであるこいとも多いですよね。なぜそこは「流れで」ではなくちゃんと書いてあるのでしょうか。
勿論「筆者の意思」的な意味ではいろんな可能性はありますが、説明する意思が筆者にちゃんとあるのであれば、「客観的判断」として「この文を読む水準の人でもここは説明しないとわからないからちゃんと説明している」ということであり、例えば一般的な正着行動とはあえて違う動きをしたりすることがポイントだったらしっかり説明が書いてあるわけです。
「流れで、だけだと導けないかもな?」 というところは説明するということですね。
つまり、「流れで」というのは「常識」や「正着」の知識が前提としてあって成立する表現であり、「そういったものがあることを正しく把握している」人が読めば、「流れで」が「ゼロベースで考えろというものではない」ということ、それそのものが「当たり前」のことなのです。
だから逆にいえば、知識が不十分な人にとってはそう受け取れないということです。
一般的に、初心者の方は多くの場合そういった「持っているべき知識や常識」が自分の中にないためにそういう解釈で受け取りようがなく、「まあ要するにその場で考えてくれってことなんだろうな」的に解釈するのだと思われます。もしくは、仮に意味合い的には「正解の行動をするんだよ」ということなのだろうと認識できたとしても、実際にはその正解の行動の知識等がないためにm結局同じようにゼロベース判断をするしかないことも多いのかもしれませんが、その場合も当然「流れで」やれているわけではないのです。
○初心者が思っているほど選択肢は無限大ではない
さて、界隈で「常識」とか「正着」とか呼ばれるものがまとめて表現される、なじみがある言葉がありますよね。
そう、「定石」です。
この定石というのは、それまでの歴史的積み重ねや研究によって生まれたものであり、当然時代により更新されていくものの、そういった革新がなければ最もよい行動、あるいは少なくとも間違いつまりは敗着となりにくい行動とされているものです。
当然、更新されるときはどうして更新されるのかがはっきりと理論的に証明されなければみんなに広く認識が書き換わるまでに至らないため、テキトーな程度では起こりません。
つまり、こういった勝負事の世界で、初心者の方がまっさらな状態で考えるほどの「選択肢の自由」はなく、基本はそういった「定石」の範囲内で判断が行われ、よほどなにか革新的は判断や、人間的な読み合いといったものがない限りそこから外れることはありません。
なぜか。
勝ち筋としての「定石」の範囲外の行動をとるということは、当然ほとんどの場合は敗着となる行動だからです。
対戦でわざわざ勝てない行動をするメリットはありませんよね。
私の書く文では、「引き出しを増やして選択肢を広げる」という表現をよく使っていますが、自分でいうのもなんですが厳密な意味でいえばこれは誤りといえます。
なぜなら、最大多数の選択肢をもっているのは、実は滅茶苦茶下手な人だからです。
当然ですがその大多数の選択肢のほとんどは「間違い」であり、選んではいけない選択肢です。だから「選択肢の数が多いだけ」ではあって、現実的な選択肢が多いわけではありません。
「定石」の範囲に限定したうえでその「定石」のストックが少ないことで使える選択肢が少ない状態から、増やすことで選択肢を広げる。それが「引き出しを増やす」ということなのです。
つまり、そもそも「定石」と受け取らずに「行動をその場その場で正解を考える」という発想で進める人というのは、明らかな天才か、初心者のようにそもそも前提ができていないために理解できていないかのどちらかになるということです。
自分がどちらに当たるのかは、御自分で判断していただくしかありませんが。
○初心者はまず「定石」を身に着けないといけない
初心者に「手なり」の趣旨が伝わらない理由について触れてきましたが、これは「初心者ではなくなる」ために非常に重要な'情報がつまっています。
つまり、そもそも初心者が強くなるために色々な勉強をする際に触れる色々な資料には、こういった「当たり前すぎてかかない」が多く合まれていて、その説明されていない部分がわかっていないと正しく情報を理解できないので、段階を正しく踏んで知識を増やしていかないと強くなることが阻害されるということです。
とびとびの学習ではどうしてもすきまができてしまい、そのすきまがあまりに重要な部分だ、と正しい学習ができないため、まずはそういったすきまができないように学習する必要があるものがあるのです。
そのためになにが必要か。
座学です。
勿論実践で、学べることは沢山ありますが、どうしても「とびとび」になるため、どうしても隙聞が生まれてしまいます。勿論ある程度以上は実践で得る方が多くなるかもしれませんが、それはそれができるだけの定石といった知識をまず適切に修めてこそなのです。
つまり、「定石を知っている」のはすごいことではなく、むしろ当たり前、純粋に必須事項なのです。
知っていて当たり前。
なら知らないと勝てないのは当たり前。
だったら知らないなら弱いままなのも当たり前。
だから、対戦における定石はこうも言いかえられることがあるのです。
「基礎」「基本」と。
手なりという表現に隠れたの本旨が理解できないのが定石を知らないからであれば、つまりは誰でもわかるはずの基礎を理解していないということであれば。
基礎がわかっていない人が上手くなれるものでしょうか?
と、いうことで。
タイトルの回収が終わったところでこの話は終わりです。
皆様の考え方の一助となれれば幸いです。