39歳のハローワーク④今からでも大丈夫な理由
そうこうしているうちに『39ハロワ』も最後の年に突入し、私は39歳になっていた。腰掛けアルバイトなので面倒なことはなるべく避けようとあまり出しゃばらないようにしていたこと、そして週2日、朝の2時間しか働いていなかったこともあり、一緒に働く主婦メンバーたちと馴染むのにも実際1年くらいかかった。
徐々に自分を解放した結果得た『良好な人間関係①』
バイトも2年目に突入したころ、少しずつ慣れてきていたのでお店で出すお菓子も産休のミクさんから引き継いだものだけでなく自分の作りたいものを徐々に作り始めた私。そのあたりから主婦仲間たちと一気に距離が縮まったような気がする。
私は従業員にもちゃんとお店の味を知っていてもらいたかったので、新しく作るお菓子の端っこを取り分けてはいつも「試食してね」と言ってみんなに食べさせていた。これをみんながすごくよろこんで食べてくれて、毎度すごく褒めてくれたのだ。
「ちょっと失敗かな」と言って出しても、「えーっそんなことない、すごくおいしよ〜!」と、みんな常に全面的に肯定してくれた。私は単純にめちゃくちゃうれしかった。
試食で出したもののクオリティがどうあれ、そういうことは自分で判断すればいいだけのことであって(私は自分の作るものに厳しい)、正直そこは問題ではなかった。
当時(今もだけど)、家族のひどい偏食のあまり私の作ったものをいつも相手から拒否される、という拷問のような日々を送っていた私にとって、自分の作ったものをあんなにも無条件によろこんで食べてもらえるというのは自分自身をも真っ向から肯定されているのと同じだった。
バイトへ行くたびに自己肯定感が上がる感じがしたし、当時抱えていた漠然とした将来への不安とかもなぜか薄らいでいった。
空手道場でも手に入れた『良好な人間関係②』
話は少し逸れるけれど、私は39ハロワを始めるのとおなじ頃に、とある習い事も始めていた。空手だ。
何か格闘技を習いたいとずっと思っていたのだけどたまたま近所のママ友の旦那さんが小さな道場を主催していると聞き、毎週通っても月2,000円という超良心的な値段だったのでこんな私でも始めることができた。
道場には小学生の子供たちを中心にいろんな人がいた。私とおなじように、小さい子供を抱えながら稽古に通って黒帯をとった主婦Mさん、80歳から空手を始めたおじいちゃんK氏、普通だったら絶対友達にならないタイプだけど喋っているうちに何だか仲良くなった子連れで通うパパCさん、子供好きだから学童で働いているという、不器用そうだけど優しくて空手も超強い青年Yくん、そして空手の先生、師匠N氏。
師匠N氏はとてつもなく自由な人だった。おかげで奥さん(私のママ友)は大変そうだったけれど、会社の役員としてよく働き、よく稼いで、自分の好きな分野でおもしろそうな仕事をしていた。当時、何かにつけて言い訳を並べてはうじうじと色々悩んでいるばかりだった私とは正反対で、やりたいことは全部やる!キミは何故やらないのだ、という感じの人だった。
道場で知り合った人たちは困ったことがあれば快く頼りになってくれたし、私のことを受け入れて仲良くしてくれた。
歳の差とか、男女とか、社会的な立場とか、そういうものを超えた関係がうまれていた。
『大丈夫』を手に入れる。
アルバイト先のカフェと空手道場へ通う日々のなかで、私は知らず知らずのうちに『良好な人間関係』というものを手にしつつあった。
ハーバード大学が何十年も研究してようやく辿り着いた人間にとっての幸福の条件こそが、良好な人間関係であり、『小さなコミュニティの中で、頼り頼られ生きること』だったということを同じ頃何かで読んだけど、その言葉が実感としてわかった。
そしてお金がそんなになくても、良好な関係のコミュニティというものがあれば、精神的にも物理的にも豊かに暮らしていけるんだということが、確信として自分の中のうまれたのがわかった。大丈夫、こんな私でもきっと幸せに生きていける。そう思えた。
実際、目を凝らして世間を見てみると、幸せそうな人というのはみんなそうして生きているようだった。困ったことがあれば仲間に頼る。仲間が困っていたら自分が手助けする。それは心を安らかにし、自己肯定感を高める。
こんな単純なことだけど、その関係が持てない人は年収1億稼いでいても、いつも喪失感にまみれて不幸そうなのだった(実際、私の知り合いにそういう人がいる)。
こうして揺るぎないものを手にした私。しかしそんな私を試すかのように、39ハロワ総まとめとも言える事件が後に起こるのだった。
それは、バイト先に新しく社員枠として入ってきたエリちゃんとの出会いから始まったのである。。。