生きづらい民だからこそ強い仕事と生き方
案外多いのね、生きづらい民
39歳で人生についていま一度考えたり、お金がほしいけど働くのしんどいよなぁとか考えながら色々とここに書いていたら、案外noteに私と同じような生きづらくて働きたくもない民が結構いるのでおどろいている…
正直、noteってもっと暑苦しくてやる気に満ちあふれた人たちだったり、逆にすましてスタバでノートPC開いておしゃれに稼ぐ方法とか投稿してる人たちばっかりだと思っていたのですごく意外で、ちょっとうれしかった(そんなところでなぜお前は書き始めたのだって感じだけど
それで私はまだ仕事について、どうやったら食べていけるくらいのお金が稼げるようになるのか考えているんだけど、仕事したくない、働きたくないっていうのはサボってるとか怠けているんじゃなくて、どうにもこうにも自分自身とその仕事ととの間にある溝が深すぎてどうしたって埋まらないからなんだと思うのね、その溝がまぁそんな深くなくて、お金もらって乗り越えられるくらいのものならそれで済んでいるわけ。
問題は、お金をもらっても無理です!こころを病みます。という私たちのような人たちも世の中にはいますってところ。
自分にとってすんなりできること、まぁちょっと大変でもがまんすればお金がもらえて、さらに人によろこんでもらえるなんてことなら嫌になんかならないはずだもんなぁ。
毎日推しを見てるだけでお金もらえるってなったら、それが仕事になるのなら、もちろんやるもんなぁ。
生きづらい民の悩みどころを逆手に取るのだ
でも推しを愛でるだけではお金がもらえないし、だからといってそこらへんの仕事してみても、おそろしいほど向いてなかったり、心がえぐられたりするから、人生詰むんだもんなぁ。お金を稼ぐっていうのはほんとうに難しいことだとおもう。
仕事をしてお金を稼ぐというのは生活するためにまず必要なんだけど、精神衛生上にもやっぱりいいんだと思うのね、だけど私たちのようなちょっと変わった人たちは働くのが難しいから詰んでしまう。
「仕事は選ばなければなんでもある」っていうけど、我慢して働くのがしんどいのにそんなの無理に決まってるじゃんね。
けれどよく考えてみたら、だよ。普通の仕事に向いてないんだから普通じゃない仕事をしたらいいと思うのね。私たちはそもそも普通じゃないんだから、普通の仕事をしようと思ったらやっぱり難しいのは当たり前なんだよな。けど普通じゃない仕事が案外すんなりできたりするものなんだよ、普通じゃない私たちには。
私も美術モデルという変わった仕事に出会ってようやく自分にもできることがあったんだとわかったのだし、世の中にはびっくりするくらいいろんな仕事があるから自分に合った仕事に出会えていないだけなのかも。
しかも、変わった仕事って、高給だったりする(美術モデルもそう)。
たとえば私の姉は、人見知りで読書と編み物が好きな元考古学専攻なんだけど、昔は遺跡発掘現場でバイトしてて、今は主婦兼工場でパート。黙々とする仕事が合っているらしい。
遺跡発掘は昼休憩でバイト仲間のおばちゃんたちからおかずや漬物もらったりして、いつも楽しそうだった。
そんな姉も一度だけ無理やり普通の会社に就職したことがあったけど、すごく大変そうで家でも常にめちゃくちゃ機嫌が悪く、すぐに辞めてたからやっぱり合わない仕事というのは本人も周りをも不幸にするんだと思う。
個人的に気になる仕事、レンタル人間
最近気になるのは、レンタル人間。レンタル彼女とかになると色恋が絡んで面倒くさそうだけど、普通に「一緒にカラオケ行ってほしい」とか「自分主催のライブの観客になってほしい」とかいう仕事もあるみたいだし、自分の人生に全く関わらないような人と出会えるのは社会経験にもなるし、興味がある。私のような好奇心旺盛な人間には結構合っている気がする。
それに当たり前だけど人の役に立つのはどうしたって自分の心の栄養にもなるのだ、それでお金がもらえるんだし、もしかして「推しのコンサートを一緒に見てほしい」っていう依頼もあるかも、それだったら推しを愛でることも仕事になるじゃん!
生きづらい民は特別な感性を必ず持っている。
これに尽きると思う。私たちの生きづらさの原因は、世の中の平均との間にあるズレ、そして溝。これはどうしたって生まれ持ったものだから直せないけれど、不思議なことになぜか私は、普通に生きている友達から羨ましがられることがしばしばある。
いきなり仕事を辞めてパーっと旅行に行ってしまったり、周りも見えないくらい趣味に熱中している姿が眩しく見えるらしいのだ。
私からしたら、また仕事続かなかった、、、とか、趣味にお金使い込んでいつも貧乏、、、とか、完全にダメ人間の塊のような面だけど、そうでない人から見たらなんだか自分にはできないような人生の楽しみ方をしているように見えるらしい。
他人というのはほんとうに不思議なものだなぁと思う。友達は私のことなんて所詮他人事だからお金の心配しなくていいし、楽観的に見えるってものあるよね。
けれど、良くも悪くも、私はそういう生き方しかできない人間なのです。普通に生きようと思うから苦しいんだもんね。
それでひとつだけ言えるのは、私たちのように型にハマれない人間は、それを逆手に取って自分というたった一人の存在に価値をつけるようなことができれば、それが一番良いような気がするなぁ。これが簡単ではないんだけれど。。。
じゃあまずは、少しでも心が満たされることをしようではないの。私たちのような人種はきっと、その先に何かをつかむんだろうと思っている。もう40だから悠長なこと言ってられないんだけど、何か掴みかけているような感じがしているこの頃です。
追記。
友達で、むかし治験のアルバイトしてた子もいたなぁ。その子は当時映画監督志望で、今は自分の仕事を持ちながら地域映画の監督、制作をしています。