戦いから逃げ出した戦士だった前世のお話
さて、前回の「口の悪い聖少女だった前世の話」の後、私は焦っていました。
早く少しでも楽になりたくて、次のセッションが待ち遠しく、心ここにあらずというか、地に足がついていないような日々を送っていました。
「イタリアの棟梁だった前世」に始まる継続セッションは、オンラインで行っていました。依頼したセラピストさんは、当時はコロナ禍もあり、対面セッションを行っていませんでした。
ただ、当時の私は娘がいる自宅でセッションを受けたくなかったので、ネットカフェを利用していました。それまで、ネットカフェを利用したことがなかったのですが、幸いオンラインで予約もできましたので、セッション時間に合わせて、個室を予約していました。
マイク付きのヘッドフォンは必須だったので、ネットカフェで借りていました。
そしてその日、セッションの前に用事を済ませようと外出をしていました。その用事でいつになく待たされることとなり、気がつけば時間が押していました。結局、いくつかの用事のうちの2件は済ませられないまま、あわてて車でネットカフェに向かいました。ぎりぎりでなんとか間に合ったものの、今度はその日初めて見る店員さんが不慣れらしく、マイク付きヘッドフォンの置き場所がわからず、なにやら裏に行っては、おそらく電話連絡かなにかで別の場所にいるスタッフに確認したりなどしていたようです。
トラブルはそれで終わりませんでした。
オンラインでセラピストとつながると、今度は機器に不具合があり、音声通話ができません。ヘッドフォンを取り替えてもらっても同じで、なかなかセッションに入れません。
店員さんは不慣れな上、パソコンにも明るくないようで、困り果てながらも、なんとかしようと立ち回ってくれました。ですが、こちらのセッションの時間枠は決まっています。私の焦りとはうらはらに、時間だけが過ぎていきます。
一旦あきらめて、ヘッドフォンを使わずにセッションを始めましたが、どうしても催眠状態になると声が小さくなってしまったり、無意識でパソコンから遠ざかってしまったりするので、なかなかスムーズに行きません。
途中で店員さんが部屋に来て、別の部屋の利用を提案してくれました。喫煙所に近い部屋で、タバコのにおいと人の気配が気になりましたが、ことわる時間もおしかったので、部屋をかわりました。すると、今度はヘッドフォンをさす口が見つからない。店員さんを呼びますが、右往左往するばかり。
再び、ヘッドフォンなしで続きに入りましたが、十分なセッションができず、時間になりました。
セラピストは料金は良いので、別の日に仕切り直しましょうと言ってくれましたが、こちらとしてはやはりお時間を頂いているので、それは心苦しいです、と伝えました。いずれにせよ、継続セッションはもう1回残っているのでそのときに、と言ってセッションを終わりました。
このセッションでは浄化や癒やしまではたどり着けませんでしたが、催眠状態には入れたので前世を見ることはできました。
その前世では、私は西アジアの男性でした。
※※※
砂漠の中を、私は一人で歩いていました。
砂漠を歩くにはあまりにも軽装で、私は水も食料も持っていませんでした。
悲しみと恐怖心に押しつぶされそうになりながら、ひたすら故郷の家族を思い、歩いていました。
第一次世界大戦あたりのアラビア半島。私は隣人と家族を愛する、ひとりの敬虔なムスリムでした。
商業を営み、二人の妻と子どもたちを養う、十分な経済力がありました。
ただ、時代の流れは、私を平和の中に留め置きませんでした。
私はアラブの戦士として、戦場に駆り出されました。
男性社会、部族社会です。
部族の長が決めた以上、戦うことに否はありませんでした。
私は剣を取り、ラクダに乗り、前線へと向かいます。
男たちは戦いました。
私も必死に、剣をふるいました。
私達は勝ちました。
ですが、戦場は、恐ろしくてしかたがありませんでした。
私は恐ろしかったのです。
私に向けられた刃も怖かったのですが、それよりもなによりも、鉄さびのにおいが立ち込める中、血まみれの手で、敵の遺体から戦利品をもぎ取る味方の姿が怖かった。
昨日まで、穏やかに談笑し、お互いの子どもたちの成長を祝いだ隣人たちが、返り血を浴びたままの姿で、貪り、犯す姿が、恐ろしくて、恐ろしくて、ひとりで泣きました。
私は逃げ出しました。
ひたすら故郷を目指して歩きながら、もはや生きて帰るつもりもありませんでした。生きながらえたところで、逃げ出した以上はすでに部族の裏切り者です。どんな仕打ちがまっているか考えれば、まだ死の方が安らかです。
ただ、家族に害が及ぶのは心配です。申し訳ない、私が男として不甲斐ないばかりに…
干からびた身体からは、もはや涙は出ません。
私はそのまま、こと切れたようでした。
※※※
諸々のトラブルで、セッションはここで中断しました。
物事が変化する時、必ず抵抗が生じます。
これは単なる「邪魔」ではなく、防衛本能から来るものです。
ですので、私はこの一連のトラブルを、私の潜在的な防衛本能が引き寄せたのかもしれないと考えました。
一刻も早い変容を欲して、焦りのあまり地に足がつかなくなっていたほどでしたから。
先生から教わった言葉に、
「啐啄同時(そったくどうじ)」
というものがあります。禅宗の言葉だそうです。
啐は鳥の雛が孵化するときに殻の中からつつくこと、啄は親鳥が殻の外からつつくこと。
内側からと外側からのタイミングが合うことが大切だという意味です。
私は外側(顕在意識)では変わることを欲していましたが、内側(潜在意識)の準備が整っていなかったのでしょう。
焦りがなくなったわけではありませんが、これまで以上に、潜在意識との対話を気にかけるきっかけになりました。
スピリチュアル的に言うと
「3次元は時間がかかる」
ということのようです。
さて、次回は、継続セションの最終回になります。
私は初めて「人間じゃない前世」を見ることになります。