イタリアの棟梁だった前世のお話

おまけの体験で初めて自分の前世と対面した後、本格的に前世療法を受けるようになるまで1年を費やしました。
正直なところを言えば、当時のことを詳しく思い出すことができません。その原因が、たくさんの変容をしてきたため記憶をたどるのが難しくなってしまったせいなのか、はたまたまだ当時の自分と向き合うのがまだ怖いせいなのか、判断をしかねるところではあるのです。
つたない記憶ではありますが、2度目の前世体験のお話をしたいとおもいます。

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当時の私の一番の悩みは、不登校の娘のことでした。
学校で何かされたのか、級友たちとなにかあったのか、不安であると同時に、娘のこと以外でも、私はわたしを取り巻く状況が苦しくてなりませんでした。夫の収入は生活するには十分でしたが、子どもたちにこれからかかる金額を考えると息苦しくなるほどでした。お金の不安は常につきまとい、50歳を超えれば正社員雇用がさらに難しくなるだろうと思い込み、必死で就職活動をしていました。書類だけで落とされ、面接を受けても不採用が続きました。義務教育中の子どもたちになにかあったときにはすぐに学校へ行けるように、職を探すにも距離や交通手段、勤務時間を選ばなければなりませんでした。
多くの母親がそうしているように、すべての時間は家族のために流れ、己の行動の軸は他者のためにありました。疲れ切った身体に気づかぬふりをし、疲れ切った心の声を無視し続けていました。
それでもなんとか正社員の仕事につけたのは、当時の私にとっては幸いでした。
日中娘をひとりで家に置くことになりましたが、ベッドからでてこない娘と、1日中ひとつ屋根の下で時間を過ごすことが苦痛だったのは確かなのです。
娘に寄り添えない自分を攻めながらも、娘と距離を置ける時間にほっとしていました。

娘が学校に行けなくなってから、3年が過ぎました。
よかれと思って行動したところで何一つ娘の心には響かず、死んだような目で部屋に閉じこもる我が子をどうしたらよいかわからず、
「自分を変えることで、世界が変わる」
そんなスピリチュアルの言葉にすがる思いで、前世療法のセッションを申込みました。

その時のセッションで出会った前世は、自分の思いを口にするのが苦手な、真面目な男性でした。

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催眠状態に入り、前世の自分の姿が見えました。
くせの強い短い髪と、細身の長身。どことなく見た目は現世の夫と似ていたかもしれません。
中世イタリア半島のどこかの国を思わせる風景と服装。
私は建築に携わる仕事をしており、職人たちをまとめる棟梁的存在でした。小柄で痩せぎすな妻を愛しており、子どもはいませんでした。

仕事仲間の中に、十代後半くらいの少年がいました。

「あ、次男だ」

と私は思いました。
前世療法では、現世で関わりのある人物が、過去世の関係者として現れることがあります。私はその少年を、現世の私の次男の過去世だと感じました。
少年には親がおらず、妹を自分の稼ぎで養っていました。この妹が、娘の過去世でした。
とても美しい兄妹で、現場の職人たちから愛され、可愛がられていました。過去世の私とその妻も、我が子のように思うところがあったようです。

ところが少年は、現場の事故で夭折してしまいます。取り残された彼の妹は十代半ばで、当時の価値観からいえば結婚もできる年齢ではありましたが、大人と言うにはあまりに未成熟でした。

私は取り残された少女を援助しました。美しく、本来明るい少女でしたから、結婚を申し込むものもおりました。
ところが彼女が思いを寄せていたのは、こともあろうに過去世の私でした。
私は彼女の思いに気づくと、彼女を拒絶しました。彼女を大切に思い、幸せになってほしいという気持ちに偽りはありませんでしたが、妻を裏切るようなことはできませんでした。

やがて少女は成熟し、結婚し、たくさんの子どもに恵まれました。私は完全に彼女との関係を断つことはなく、複雑な気持ちを抱きながらも、末永く相談に乗ったり、面倒を見たりしたようです。

やがて私は自宅で、胸の痛みとともに絶命します。心不全か何かだったようです。

前世の私の魂は、死後の世界で、その人生の関係者たちと対面します。

私はそこでようやく、自分にとってとても大切だった人たちに、きちんと自分の思いを伝えていなかったことに気づきました。
妻にさえ「愛している」の一言さえ、言わなかったのです。
私は泣きながら、「愛している」「ありがとう」を繰り返しました。妻も少年も少女も、笑って私を受け入れてくれました。

最後に、現世の私と過去世の彼を統合します。彼からは
「大切な人に、その気持を言葉で伝えてほしい」
というメッセージを受け取りました。
この時、正直難しいな、と思いましたが、メッセージとともに彼を受け入れ、統合しました。

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少年に人生の儚さを教えられながらも、思いを伝えることをせずに、突然の死を迎えた人生でした。

結論から申し上げますと、この一回のセッションで娘の状態や娘との関係性が激変した、ということはありませんでした。
ただ、少しだけ、家族との関わり方が変わったのは確かです。

その後、私は3ヶ月にわたって計5回のセッションを受け、さらにセラピストになるために講座を受講することになります。
当時中学生だった娘は現在、通信制の高校に進学し、週に数回のスクーリングのために登校しています。学校には相変わらず思うところがあるようで、暗い表情を見せることもあります。不平不満も多いようですが、無表情で口も開かなかった頃に比べれば、八つ当たりされているのさえうれしく感じます。好きなことに目を輝かせている姿を見ると、涙が出てきます。
私は子どもをコントロールするような親にはなりたくありませんでした。しかし、当時の私の価値観が子どもたちに悪い影響を与え、自分自身を苦しめていたのも事実です。
私は、自分自身を社会に適合させなければならないと考えていました。大切なのは自分がどうしたいかではなく、社会がどういう私を望んでいるかでした。そうすることで、本来の自分を歪め、傷つけるなどと思いもよらないことで、そうしなければ「人並みの幸せ」を手に入れることができないと考えていました。私は心の悲鳴を何十年も無視し続けました。幸か不幸か、無駄に強い私は、それでも生活を続けることができました。人並みに生活を続けていけるのだから、自分の考えは正しいのだと信じていました。
だから、不登校の娘を「なぜ、周りに合わせられないのだろう」と嘆いていました。
心を殺し、ごまかして生きていくことが「正しい大人になる方法」だと信じていました。
そうでないことに気づかせてくれたのは、他でもない娘自身でした。娘の苦しむ姿を目の当たりにして、ようやく自分の間違いに気づくことができたのです。

本来の自分自身を歪ませようとすれば、人間は壊れてしまうということを。

※※※

私がこの自分の間違いに気づくまで、まだ少しの時間を要することになります。

前世療法の興味深いことのひとつに、セッションを受けた直後でなく、その後数日、ときには多くの時間を経てから、気付かされ、癒やされ、変容に繋がることがあります。

この時のセッションですぐに気づいたことのひとつに、まずは私自身を整えなければ、ということがありました。
そして、私は自分の内観に前世療法がとてもあっていることに気づきました。
マインドフルネスや引き寄せなどにも挑戦したことがありましたが、うまくできている気がせず、続きませんでした。しかし前世療法には手応えを感じたのです。
私の中で、様々な変化がはじまりました。

次回の投稿で、また続きがお話できればと思います。

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