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クラファン始めたらコロナにかかった

しばらく前から、チラっチラっと頭をよぎっていたクラウドファンディング。でもすごく抵抗があったのもクラウドファンディング。
実際始めてみよう、と決めてみると、さらに大きく感情的に揺れ始めました。
今日はそんな、一見何の関係もないように見える、クラウドファンディングで揺れた感情と、コロナにかかった体験が、どのように関係があるのか?を考察してみようと思います。

卵が先か?鶏が先か?

自分のメンタルのバランスが崩れると、体調が崩れる。
そういうことってありませんか?

というか、私はよくあるんです。
最近でこそ、1年通して元気な時が増えましたが、小さい頃は毎月熱を出すくらい体が弱かったし、大人になってからも、年に1回は本当にどうしようもなく動けなくなるような病気キャンペーンが定期的にありました。
もうこれは完全にメンタル的にやられてるのが原因!ってものもありますが、今回に関しては、ウイルス性のもの。

それで、私の疑問は、やっぱり感情的にバランスを崩すからウイルスに罹りやすいんだろうか?それとも、ウイルスにかかるのが先で、ウイルスによって感情的に反応が出やすくなるんだろうか?ということ。
これに関しては、まだ答えは出ていないのだけど、多分答えは前者なんじゃないだろうか。と思っているところ。

コロナが発症したその日、私は、ようやく「クラウドファンディング、できるか分からないけど、とりあえずページだけでも作成しよう。」と思い立って、動き始めてた。
朝からページを作って、文章を考えたり、リターンを考えたりしていた。

だけど、動き始めた時に、なんだかいろんな思考が動いた。

こんなこと自分がしていいはずない。
こんなことしたら怒られる。
きっと誰も見てくれない。
やっても意味ないかも。
もうこんなことなら自力で働く。
なんであんなヤツがクラファン成功してるのか分からん。

などなど、もうあげればキリがない。
本当に嫌〜〜〜な言葉ばっかりが頭をかけ巡って離れない。

それでもやるって決めてしまったから、とりあえずページだけは完成させるところまでやった。
まだページを公に公表するのには抵抗があったから、SNSとかにはシェアしないで、話せそうな人や、そのタイミングで連絡をとっていた友人にだけ伝えてみることにした。

そしたら、一番最初に私が連絡した人が、支援してくれた。
びっくりしたし、嬉しかった。
その人には素直に、「クラファンをやることに怖さもあるし、ジャッジがとても強くて、本当に一歩踏み出すか迷いもある」ということを、話したところだった。
その人は、支援してくれた時に、「私がチャレンジする時に感じる怖さと、やってみた痕跡(事実)は別物だから、残した痕跡にだって意味が残る」っていうようなことを言ってくれて、それで公表してみようって思えた。

そして、公表してみたんだけど、その日の夜、発熱した。笑

感情とウイルス

クラファンをやることに決めたその日1日は、ずーっと感情的に動いていて、なんだか疲れた。というのと、あと、自分が本当は何を感じてるのか分からない日でもあった。
結果的には、その日の夜にクラファンをFacebookでシェアしたところ、25%くらいのご支援をいただいて、応援メッセージとかももらって、すごくびっくりした。
だけど、すごく正直なところ、自分がそれをみて嬉しいとは全然思えない部分もあって、なんだかすごく心が固まって、「嬉しいはずなのに」と、自分の感覚が麻痺ってるのを感じてた。

こうやって、感情が麻痺してる時って、麻痺してるから何も感じてない訳ではなくて、むしろ、何かその下で感じてるものがあるからこそ、抑圧的に感じないように麻痺してるわけで、だから動いてるものを止めようとしているところですり減って、アクセルとブレーキを同時に踏んでる、みたいなことが起きていた。

こういうときってやっぱり、免疫抵抗力が下がりやすい。

感情が揺れるとか、感情が麻痺るっていうのは、エネルギー的にも摩擦が大きい。
自然体でいる時ってやっぱり、適度に力が抜けていて、エネルギーの通りも良くて、なんと表現したらいいか上手く言葉にできないんだけど、ウイルスに負けないだけのポジティブな循環が自分のエネルギーフィールドに起きている。
だから、感情的に揺れてたり麻痺してたりする状態っていうのは、その逆って感じ。このポジティブな循環が起きていない、ちょっとカオスで嵐な状態だから、そりゃ、ウイルスが入ってきた時にも、上手く対処できないよね。

ただ、今回コロナに罹ってみて思うのは、感情の種類によって、かかるウイルスも違うんじゃないか?ということ。

表現することへの抵抗は喉にきやすい

今回私が揺れたのは、自分を表現することや、広がっていくことに抵抗があったから。
自分という存在を表現する、というのは、第5チャクラ(喉)のテーマ。そして、自分を信頼することも、第5チャクラのテーマ。
そして、今回のオミクロンは、のどの症状が特徴。

そう。エネルギー的に問題が浮き上がってきている場所に対応する症状が発症しやすいウイルスに、感染しやすい。
そういえば、私の身近でオミクロンにかかった人は、ドラマーだった。その友人もまた、自己表現というテーマを抱えているのかもしれない。

テーマをより深く理解する

感情の動きに意識を向けると、普段と違う動きに気が付きやすくなる。
そして、その普段と違う動きに対応するように、一見関係なく見えたとしても、何かトラブルや、今回の私のように体調の変化があったとき、私は、その関係性を見出して、もう一歩深めるようにしている。
関係がないように見えても、実は関係があることの方がほとんどだから、自分のことをより深く理解しようと思えば、こんな格好のチャンスは掴まずにはいられない。

今回の私のテーマは、自分を表現することや、自分が本当に感じていることともう一度繋がり直して、自分のためにリードを取っていくということだった。
だけど、私の中で、感じられない感覚や、何かチャレンジしてやってみようとした時に、どうしていいか分からなくなってしまう傾向があるので、「うーん、どうしたものか」と、スタックするのを感じていた。

そんな時は、セッションに持っていく。これ鉄則!笑
日本人ってあんまり心理セラピーとかを積極的に受けたりしないけど、欧米では結構当たり前だし、私自身、心が行き詰まったら誰かに聞いてもらって内省するのが、結局一番早く打開できるから、うじうじ悩んでないで、とっととセッションに持っていくようになった。笑

それで、今回の一件を一通り話したら、私って「高いところから見る景色」に戸惑うんだ、ということがわかった。
自分がこうしていきたい、と掲げる場所。周りの人が、たとえ私を引きずり下ろそうとしたり、羨ましいと思ったり、色々思ったとしても、それでも自分の夢を諦めないで、「これは私のもの」として大切に持つ場所。

他者との関わりの中で、相手の気持ちに触れることで、色々と私の中でも感覚が動く。けど、そういういろんな人に対して感じる感覚と、私が私に対して感じている感覚は違う。
そして、自分の夢を叶えていった先には、やっぱり、上から見下ろす景色のいい場所に立っていることも出てくる。
今までは、そんなふうに、上から見下ろす景色もあって、ただただ見え方が違うということが分からず、その場所からどのように他者と繋がればいいか分からなかった。そのことが、他者からの支援を受けたときに、自分がどのように繋がればいいか分からなかった場所なんだっていうことがわかった。

そうすると、「あぁ、私は私の場所で立っていてもいいんだね。他の人は、他の人の場所で咲いて、どんな場所にお互いがいても、その時々で繋がれる感覚があるんだね」ということが腑に落ちた。

私は私で咲いていい。
私は私の夢を叶えてもいい。

そして思ったことは、

それぞれの人が、それぞれの場所で咲きながら、お互いを認めあって、協力したり、高めあったりしていける関係性が、私の創りたい世界で、夢だったんだってこと。

今回の一件で、すごく感情的に揺れたけど、確かに叶えたい場所があって、もう一度それを再確認することができた。

だから、諦めずにもう一度、クラファンにもチャレンジしてみようと思う。

もし、私の夢を応援してくださる方がいたらすごく励みになります。
よければご支援、よろしくお願いします!

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