ミュージシャンと共に歳を重ねるということ
僕がひょんなことから「音楽」を好きになってから、かれこれ13年が経つ。
それまでは本当に音楽なんて興味が無かったけど、それからは音楽と離れた事は1度だってなかった。
我が両親は子供の挑戦に比較的寛容で、それまで様々な物事を割と簡単に始めさせてくれていたのだが、熱しやすく冷めやすい性格なのか、長続きしない幼少期だった。それを思うとこれだけ長い間音楽を好きでいることに我ながら驚いてしまう。
それに音楽を聴きだした当初はまさか「音楽について文章を書く」なんてことを自分でする日が来るなんて思ってもみなかった。先日1年振りに会った友人に「こんなにずっとお前が熱量持って音楽好きでいると思わなかった」と言われたりもして嬉しくなったりもした。
なんだかんだで人生の半分以上、音楽と共に過ごしてきた。
食事や酸素と違って生きていくのに必要のない、でも僕がこれまで生きてこれた理由。それが僕にとっての音楽なのだろう。だからこそ、人生の半分を音楽と共に過ごすことが出来たのだと思う。
音楽を好きになる過程で、誰しも特定のミュージシャンを好きになるだろう。
そしてそのミュージシャンと共に、リスナーは人生経験を重ねていく。
そして気がつけば、人生の節々にそのミュージシャンの音楽が鳴り出す。音楽が好きな人であればあるほど、そういう経験をしていることだろう。
僕だってその例外ではない。
サザンオールスターズは13年前からずっと僕の音楽人生のド真ん中に在る。
僕の青春時代の青い部分や暗い部分はBase Ball Bearが支えてくれた。
ポルノグラフィティのライブを見て「生で音楽を感じる」楽しさを知った。
クリープハイプを聞いて大学生の僕は大人になった実感を覚えた。
indigo la Endを聞いて蒼という感覚に泣いた。
打首やヤバTを聞いて自分が好きだったバンドが売れていく歓びを学んだ。
吉澤嘉代子を聞いて言葉の深さに溺れた。
振り返れば僕の人生の節々には、のめり込んだミュージシャンとのめりこんだ理由が在った。
経験と共に人間は年齢を重ねていく。
僕も音楽に出会い、触れ、のめり込んでから、もうかれこれ両の手じゃ足りない程に年を重ね、歳を重ねた。
時間はどんな人にでも、平等に与えられる。それは残酷でもあり、希望でもあると最近気が付いた。
僕が歳を重ねるのと同じように、あの頃から大好きなミュージシャン達もまた、歳を、経験を、新しい未来を重ね続けている。
大好きなミュージシャンと同じ時代に生き、そのChallengeをリアルタイムで追える。
それは奇跡のようなことで、幸福なことなのだ。
そんな永い時間に想いを馳せてみるのも悪くない。
そんな3人のChallngerと僕の永い時間について、ブログを書いてみたのでぜひ読んで欲しい。
挑戦者と11年 ~Perfumeデビュー15周年に寄せて~
http://fujimon-sas.hatenadiary.jp/entry/2019/09/30/210000