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私の眼鏡は何色眼鏡

エクソフォニーという英語がある。母語以外の言葉を使った詩や文学の創作活動の際に使われる。多和田葉子のエッセーのタイトルとして知っている方もいるのではないか。

この単語はexophonyと綴り、ex-phonyの2つの語彙から構成される。exoは外側を意味する接頭語。phonyはシンフォニーなどから推察できるように音を意味する接尾語だ。この言葉を初めて見たとき、驚きと諦めを混ぜて悲しみの方向に進んだような気持になった。綴りをexophoneyと勘違いしたからである。phoneyは偽物とかいんちきとかいう意味がある形容詞だ。「よそ者言葉は偽物言葉」という意味から来ていると取り違えて勝手に悲観していたのだ。こういうケアレスミスをよくするのだが、その間違いから思わぬ造語が生まれてライトバルブになることもあるので、直す気はあまりない。

私は日本語を母語として自然に習得し、物心ついたころから英語を(人工的に)学んできた。語圏に住んだにも関わらず残念ながらフランス語は断念してしまったが、ここ数年はスペイン語を学んでいる。ひと段落したら中国語とペルシャ語を学びたいなとわくわくしている。

何故言葉を学ぶのか。最も支持される理由はコミュニケーションのためであろう。100万ユーロの買収であれ、数十ペソの値切りであれ、言葉が分からなければ交渉ができない。言葉を介したコミュニケーションの先に、モノや情報を手に入れることができる。各々の目的を達成するための手段として、コミュニケーションがあり、それを構成する重要な部分を占めるのが言葉であるから、高いお金を払ってでも習得したいものなのだ。もし、地球上のすべてのコミュニケーションが踊りで構成されていたら、ダンススクールは今より100倍以上儲かっているに違いない。

もちろん、私もこの理由で言葉を学ぶ・学びたいと思う側面は強い。英語は便利だが、こと旅となると限界を痛感することも多い。だからこそできるだけ多くの言葉を学びたいと思うのである。

しかし言葉を学ぶ理由はそれだけではない。言葉は、その枠でしか見ることのできない世界を映し出す。それに出会うことは、今まで見ていた風景の縫い目や色味が変わるような驚きと発見の喜びを与えてくれる。旅と言葉を習得することは似ているかも知れない。それは自分がどんな言葉をどのくらい操れるのかによって異なるから、その時にしか出会う可能性が無い一期一会のものだろう。

小学校に入る頃、英語に初めて触れたときitの使い方がよくわからなかった。it's rainingとかit makes me sadとか。雨が降るだし、私は悲しいだし、なぜ主語がitに吸収されてしまうのか。英語の世界では、人ではない何か不思議な力に使役されて世界が動いている感じがするときに、itという記号に魔力を乗せてそいつのせいにするのだとそう考えることにした。思い返してみても、幼いころの推察はなかなか的を得ているのではないか。

スペイン語を習い始めたとき、なぜこの言葉は主語を省略してしまうのだと絶望した。これでは誰が主語なのかが分からない。それを友人に話すと、日本語だってあんまり主語明確に使わなくない?と言われた。確かに、このパラグラフの文章のほとんどにも主語という首が明記されていない表現になっている。私がこう思うのはおそらく英語を話してきた経験が大きいだろう。

満員電車のことを表現したいときにスペイン語でなんといえばいい?とスペイン人の友達に聞くと、como latas de sardinasと返された。直訳すると「イワシの缶詰のよう」という意味だ。イワシの缶詰は開けるとオイル漬けにされたイワシのフィレがぎゅうぎゅうに詰まっている。日本では鯖缶の方がポピュラーだが、鯖缶の中は昼時のメトロのようにスカスカしている。これはヨーロッパの文化の中だからこそ、生まれた比喩なのだろう。今でも満員電車が開いて押し出された人ともわっとした空気を嗅ぐと、イワシ缶を開けたようだな思う。

ソシュール研究で知られる丸山圭三郎は、本の中でこう述べる。

言語が、それ自身文化であり、思考形式である (中略) 例えばフランス語を学ぶと言うことはとりもなおさず、全く新しいものの味方を身に付けること、すでに私たちが日本語を通して知っている世界を別の観点から読解・把握することであり、日本的思考と言ういわば〈単眼〉にフランス語的思考を加えた〈複眼〉にし、これを通して新しい生き方を始めることなのです。

他の言語で会話をしていると、日本語を仲介せずに言葉が出てくることがある。それが口から放たれた後に、日本語でなんと言うんだろうなと考える。複数の色眼鏡を持つことで、その場の登場人物も場面の解釈もガラッと変わってくる。そして自分が無意識にかけていた眼鏡のくせの強さに、時々ハッとさせられる。



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chi_aiueo
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