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私の言葉はどこに漂う

先日友人と水タバコを吸いながら、物語の書き方の話をした。彼は設定と文脈をしっかりと作り込んでキャラクターがエネルギーにしたがって動くのを描写するように物語を綴るらしい。

頭の中に、海辺に立つ男の人を思い浮かべる。

その彼は勝手に動いてくれない。動いてくれるのは、私の視点を彼の目に移植した時だ。

私が彼なら・・・

私はあの時こうしたから・・・

押し寄せる「私」の波に、彼は居場所を無くしてしまう。想像力が足りないのだろうか。私は小説を書くことができない。


何かを買おうとしたり、どこかへいこうとしたりするとき、とりあえずインターネットを検索することが多い。だいたいどの分野にも「おすすめ〇〇選」とか「トップ○○」とかの記事を書いてくれている人が多くて大変ありがたい。少ない行の中に程よくクリップされた情報が詰まっていて、写真まで乗せてくれる親切ぶりだ。

わかりやすい文章を書けた試しがない。文字をタイプしている途中であちこちに注意が飛び散って、一方方向に進んでくれない。私は記事を書くことができない。

毎日ここに書くことはテーマが定まっている訳ではない。その時になんとなく思いついたこと、考えていたことを書き留める場合もあるし、なんとなく目に止まったものから二転三転して書く時もある。構成をして章立てをするようなきちんとした書き方ができない。言葉から言葉へと危うい線を引いて脱線と寄り道を積み重ねてずいぶん長くなった頃には、もう最初とはずいぶん違う景色のところにいる。自己満足万歳だ。

小説も記事も書けない、私の文章が役に立つことはないだろう。ここに公開する理由もはっきりとはわからない。ガラス瓶に日常のかけらを転写した手紙を詰めて思い切り投げ入れると、インターネットの海を漂って誰かの浜辺につくかもしれない。そんなワクワク感が公開ボタンを押させるのだろうか。

これはどこに漂着するのだろう。





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