3度の脳梗塞と戦った母
脳出血で意識の戻らない母。
救急で運ばれた後1週間が経っても目を覚さなかった
母に明日はくるのか。
これからどうなるのか。
何も分からず不安で押しつぶされそうなとき、
何か母につながるものに触れていたくて、
母が大切にしていたノートやら手帳やらを取り出し
母の言葉を読み返していた。
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2021年58歳で母が脳出血で倒れる前に
2016年の秋に脳梗塞と診断され緊急入院していた。
そして同年の冬、2017年の2月と
短い期間に3度の脳梗塞を経験していた。
3度目に脳梗塞になったときは
体の麻痺が強まり、人の支えがなければ
1人で歩くことができない状態になり
救急搬送された。
この時は私が救急車に同乗し、
母と一緒に病院に行った。
私が当時24歳の時だった。
あのときも、母がこれからどうなるのかがわからない不安に駆られていた。
未だに救急車の音が嫌いで、
過去の怖かったことを思い返してしまう。
救急で運ばれ病院に到着した後、
母と2人で待合室で過ごしていた時
母は「こうして少しずつ出来ないことが増えるのが怖い」「こんなんなら死んだほうがマシだ」と言っていた。
幸いにも3度の脳梗塞にも関わらず、
後遺症のめまいや右手足に軽い麻痺は残っていたが家の中での生活はおおむね自立して生活できていた。
その後、通院は繰り返していたが、
母から弱音を聞いたことはあまりなかった。
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母が大切にしていたノートには、
脳梗塞になってから今まで
母が懸命に戦ってきた証が残されていた。
ノートには、病気と闘い乗り越えてきた人たちの
体験談の切り抜きや
「病気に負けない」「乗り越えてみせる」など
自分を奮い立たせるための言葉が残されていた。
私たち家族にとって母はいつも
強く優しい存在だった。
自分の病気と向き合う恐怖も不安もある中で
いつも家族を支え続けてくれていた。
不安だからと言って、
私が落ち込んでばかりはいられない
母が大変なとき今度は私が支えるんだ。
母が心配しなくて済むように、
家族と協力しながら頑張るんだと
私は自分自身に言い聞かせたのだった。
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※写真:我が家の猫と戯れる母
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