見出し画像

【自己紹介】深川ねずみって誰?

自己紹介します!


0.略歴

長くなりそうなので、Abstructの如く略歴をまとめます。

0歳  埼玉県戸田市に生まれる
1歳  某音楽教室に通い始める
3歳  静岡県浜松市に引っ越す
小3  エレクトーンを習い始める(STAGEA購入)
小3  浜松まつりのラッパを始める
中1  吹奏楽部に入部し、チューバを始める
高3  (4月)満を持して吹奏楽部を引退、一生吹奏楽をやらないと誓う
大1  再び吹奏楽部に入部する
大2  指揮を振り始める(Tuba購入)
M2  吹奏楽漬けの日々を送る【現在】

ご覧の通り、音楽漬けの人生(現在23歳)。

吹奏楽は始めて12年が経ったので、人生の1/2は吹奏楽と共に過ごしていることになる。

ちなみに「深川ねずみ」は大学のクラブネーム。

小太り男なのに「ねずみん」ってかわいく呼ばれてうれしいです(キショ)。


1.誕生~小学校卒業まで


2000年3月19日、埼玉県戸田市に生まれる。

程なくして静岡県浜松市に引っ越したので、当然埼玉の記憶は微塵もない。
(戸籍上は浜松市出身)

ちなみに僕の一番古い記憶は、本屋の手すりに頭がハマって抜けなくなって大号泣した記憶である(なぜそれを覚えている of the year)。

さて、僕は埼玉にいたころからヤ〇ハ音楽教室に通っていた。
(お友だちと「ドレミファソー♪ ラファ ミ♪ レ♪ ド♪」を歌っていた)

なので、物心がついたころには家にあったアップライトピアノを当たり前に触っていたし、週に1回ヤマ〇に通う生活は自分の中ではごく当たり前になるくらい、音楽は身近な存在だった。

小学校に上がり音楽への自我が芽生えてきたので、エレクトーンを習うことにした。

健気だったので、お年玉やお小遣いを貯め(とはいえほぼ親のお金だが)、ELS-01C(100万円)を小3で購入した。これが初めてのMy New Gearだった。

これと同じ年?に浜松まつりのラッパ隊に入った。

僕の地元浜松では、毎年ゴールデンウィークに、初子の誕生を祝って浜辺の公園で凧揚げしたり街中でラッパを吹きまわしながら練りをしたり、、とまぁ地元の人は血が騒ぎまくりそうな祭りがある。

こんな感じ ↓

これが初めての管楽器経験で、小6まで続けた。

それからも〇マハに通い続けグループレッスンとエレクトーンの個人レッスンを受ける傍ら、地元の公立中学が荒れに荒れていたことを心配した親に中学受験を勧められ、塾にも通い始めた。
(思い返せば親、めちゃくちゃお金かけてくれてるな?)

受験本番、社会のテストで豊臣秀吉が書けず、苦し紛れに豊富と書いた。

なんとか、合格していた。

それからは、地元の友だちと毎日のように遊び惚け、小学校を卒業した。


2.中学:吹奏楽(チューバ)との出会い


そんなこんなで荒れた地元中学を回避し、中高一貫の中学に入学した深川少年。

うちの中高の1年生は帰宅部への入部が禁じられていて、何らかの部活に入らなければならなかった。

最初は室内楽部に入ってキーボードを弾きながらぬくぬく生活しようと思っていたが、ふと吹奏楽部に惹かれて見学に行くこと。

とはいえ入部する気も体験したい楽器もなくモジモジしていたら、顧問の先生に「お前はチューバだな!※」と言われ、言われるがままデカくて重いチューバを担いで吹いてみることになった。(※ 当時はダルマのような体型をしていたので即決だった)

ラッパを吹いたことがあるから音は出た。
めちゃくちゃほめられた(吹奏楽部特有の勧誘文句)

母校は中高合わせても30人程度しかいない小編成バンドだった。

その年はチューバ吹きが1人(しかも最高学年)しかおらず、ある意味で部活の存続の危機

エレクトーンをやっていたからベースラインの重要性はわかっていたし、なんとなく直感で吹奏楽部楽しそうだなと思った当時中学1年の深川少年は、そこから5年契約のチューバ吹きとして吹奏楽部に入部することに決めた。


3.吹奏楽部にどっぷりな中高5年間


5年間のうち中2から高1までの3年間はたった一人のかけがえのないチューバ吹き(自称)だったので、高校生に混ざりながら吹奏楽コンクールアンコンにたくさん出場させてもらっていた。

せっかくなのでコンクールの演奏曲をまとめておこう。

吹奏楽コンクール
中1  バレエ音楽「四季」より「秋」(出場せず、県・銀)
中2  永遠の翼を持つイカルス(東海・銀)
中3  GODSPEED! /S. メリロ(東海・金)
高1  バレエ音楽「サロメの悲劇」よりシンフォニックセレクション(県・銀)
高2  交響詩「モンタニャールの詩」/Jan Van der Roost(県・銀)
(高3  SIDUS/T. ドス(引退後、東海・銀))

アンコン
中2  空への祈り~金管八重奏のための心象スケッチ~/福島弘和(県・銀)
中3  Brano Cinq/石毛里香(県・銀)
高2  律の調(県・金)
(中1、高1は出場できず)

毎年県大会には行けて、そこから東海に行けるかいけないかのバンドで、そんな環境下で高校生に負けじと食らいつくためにロングトーンをこよなく愛し、自身の技量を高めるべく日々の練習に励んでいた。

高3の4月に迎えた引退定演では、「もう十分やりきった」という思いから「もう吹奏楽は満足、これで終わりにしよう」と心に誓い、青春ともいえる吹奏楽部を後にした。


4.大学入学~再び吹奏楽の道へ

中高5年間の吹奏楽の全熱量を捧げた受験勉強は何とかうまくいき、現役で大阪市立大学に合格した。

華々しい大学生活の始まり、どんなサークルに入ろっかなーと浮かれながら新歓のチラシを見ていたのだが、正直あんまり惹かれない。

やっぱり音楽続けたいよな、でも軽音はギター弾けないし(陰キャだし)、アカペラはやってみたいけど歌上手くないし(陰キャだし)、必然的に吹奏楽かオケかしか残っていなかった

その年、たまたま普段現役だけで定演をする母校で10年ぶりにOBOGステージができ(20回記念だった)、自分も出演予定だった。

ちょうどその練習できるしまぁ吹奏楽見学するかー、入るかわからんけど(特大フラグ)と吹奏楽部の見学に行き、楽器を吹かせてもらった。

ある日、新歓祭の合奏やるから聴かない?と先輩に言われ聴きにいったところ、

あ、吹奏楽、めっちゃ良い。

大学受験勉強で完全に過去の記憶として忘れていた吹奏楽の良さをブワーっと思い出して、その日のうちに入部届を書いて入部した。

なおそこで「深川ねずみ」というあだ名をいただいた。

当時のETCパートには「色縛り」があったので、なんか人の名前みたいで面白そうな「深川鼠色」を見つけて、これがいいですと即決した。

鼠は書きにくいので「ねずみ」で通しています。
まぁそんなのどうでもいいか。


5.学生指揮~楽器購入


中高は顧問が指揮を振っていたので、学生指揮というのにはあまり馴染みがなかった。

しかし、大学では学生指揮者がほぼ全曲合奏しており、当時2回・3回の先輩が堂々と棒を振り合奏を進める、そんな姿にあこがれを抱いていた。

高校時代も、パート練やセクション練、基礎合奏では仕切った経験はあったが、指揮った経験はない。

1回生で2回生以降の役職を決めるとき、真っ先にこう言った。

僕、指揮者やります!

全会一致で賛同を得られた(確か)。

1回生の冬、晴れて副指揮者としてデビューを果たした深川ねずみ。

指揮・合奏は自分が思っていた100倍は難しく奥が深いもので、毎回合奏しては反省会を開き…最初あった自信はダニング・クルーガー効果のごとく低下してしまったが、その1年間は幾度となく指揮者の先輩や周りのメンバーに支えられながら過ごすことができた。

ここで人生二度目の大イベントが起こる。

My New Gear…

2回生の秋、親に130万円の借金をし楽器を買った。

相棒はYCB-822S

あんまりメーカーにこだわりがなかったので(おい)、帰省した時に浜松の駅前のYAMAHAで買った。

しかし残念ながら2回生の冬からコロナが流行って、この相棒くんの初舞台は4回生の冬のメモコン2022だった。長かったね。


6.コロナ禍~ふたたび吹奏楽漬けの日々へ


僕のコロナ禍は虚無そのものだった。

正指揮者としての引退定演が奪われ、運営していたフェス・出演するはずだったフェスの本番も奪われ、吹奏楽を通じて出会った人たちの繋がりもぶちぶちと切れていき、いつしか吹奏楽の曲すら聴かなくなってしまった。

そして大学2回で大量に落とした単位を回収すべく、大学3回は朝から晩までオンラインの授業動画を見てはレポートを消化し…それをするだけで1年はすぐに過ぎて行ってしまった。

吹奏楽の復帰を果たしたのは4回生の冬のメモコン2022

3回の冬に運営募集があって、ありがたいことに指揮もやらせてもらえることになった。

本番もコロナ真っ盛りでできるかどうか微妙なラインで、当時もメンヘラ虚無虚無プリンが続いていた僕は「やらん方がいいんちゃん」とか否定的な意見を発してしまっていたこともあったが、運営・奏者の「いやそれでもやりたい」という意見に後押しされて最後までやり遂げることができた。

結果論だが、この本番はやってよかったし、自分を吹奏楽に引き戻すきっかけにもなった。

改めて特に運営のみんなにはたくさん支えられました、ありがとう。

さて、ここからは公立大第1回サマーコンサートホルンオーケストラ2022ふるだぶりねっとコレクション2022Jacaranda吹奏楽団ついはいウインドオーケストラ3rdEuphonium & Tuba Carnival 5thふるだぶりねっとコレクション2023と、たくさんの楽団に出演した。

どれもこれも、メモコン2022で吹奏楽の良さを再確認できたおかげ。
これがなかったら今は研究だけで生活するつまらん大学院生と化していたでしょう。


7.これからのこと

つい先日、ふるだぶりねっとコレクション2023の本番を終えた。

その振り返りの記事はこちら↓

ふるだぶロスを清算させるために書いてみたが、正直まだ抜けきっていない(今も録音を聴きながら書いている)。

社会人になってからは何も見えないので、ひとまず吹奏楽は今年限り、残り本番は2本になった。

ここで、その2本の宣伝をします。

2024年1月14日(日) Rec.吹奏楽団

こちらは僕の同期が立ち上げた楽団で、全曲リコーダーが出てくるプログラムとなっている、通称リッ吹。

メンバーは大阪府立大・公立大吹部のOB・OG中心だが、本当にありがたいことに指揮者として運営メンバーに入れてもらっている。

リッ吹では「キリストの受難(3楽章)」の指揮を振る。

人生初のG6作品で絶賛苦戦中ですが、ふるだぶのノートルダムで培われた(?)ストーリー読解力と反映力を存分に生かした曲作りをしていきたい。

個人的に、高2のコンクールで吹いたモンタニャールをカットなしで吹けるのが嬉しいポイント。

2024年3月9日(土) Fiori di ciliegio Wind Orchestra

いわゆるねず吹です。

こちらは僕が立ち上げた楽団で、M1の夏から「学生最後に演奏会したいな」と構想を練っていよいよ練習開始まで1ヶ月半となった楽団である。

Fiori di ciliegioはイタリア語で「桜」、楽団コンセプトは「出会い」「再会」である。

近年、企画団体の乱立・本番日程のダブり・奏者の取り合いが問題視されている中で、また新しく演奏会を企画するのはどうなんやと思われそうですが(一応僕も思っている)、それなりに意味を込めたつもりです。

吹奏楽を通じて出会った仲間たちへの再会し、そして新たな出会いを生み、演奏会というを咲かせ、各々の道へ散っていく。
そんな桜の花のような瞬間的な美しさと儚さをあわせもつ演奏会にしたい。
同時に、このご縁が桜の木のようにずっと続きますように…

桜って、毎年見たくなるし写真撮りたくなりません?

なんで桜を撮りたくなるか、それはすぐに散ってただの緑の葉を生やした木と化してしまう、儚い存在だからだ。

1年のうちほんの1週間だけ綺麗な花を咲かす、そんな瞬間的な美しさと、散ってしまえばただの木という儚さが、演奏会と似ている部分があると思い命名しました。

同時に、花は散っても1本の木として残り続ける、演奏会を通じてできた縁が長く続きますように、そんな思いも込めて、

まぁ本音を言うと、界隈にあるような「The Keynote Windo Orchestra(ざき吹)」とか「Edelstein Festival(エスフェス)」とか、略したら指揮者の名前になるような名前にしたかったんですが、あいにく「ね」「ず」になるような単語はなく…。

そしてさらに本音をいうと、社会人になってからも年1回集まれるような常設団体にしたいのですが(これも桜の木の如く)、そもそも自分の社会人生活がどうなるかわからないのでそれは野望として取っておきます。


さて!長くなりましたが自己紹介終わりです。

見ての通り音楽漬けの人生、
残る本番は2回だけですがぜひ仲良くしてください~!

2023年10月19日(木)
深川ねずみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?