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しょうもないはなし。

 もしも全ての責任を手放すことが許され、一ヵ月ほど暇をもらえるんなら、築三十五年くらいのほどよく古いアパートでおじさんと暮らしたい。おじさんの具体的な例については各々想像にお任せするけど、背が高くて少しくたびれていると良いなと思う。

 「おじさん」って人種のことは結構昔から好きで、そういうことを言うと大抵「イケメンに限るんでしょ」とか「西島秀俊みたいな」とか言われるんだけれど、正直イケメンにはあんまり興味がない。『デートするなら美人がいいけど結婚するなら家庭的な女』(言葉が悪くてごめん)みたいな話で、生活のにおいをまとったおじさん然としたおじさんが魅力的なんである。

 足の爪を切るときの丸まった背中とか、首元のよれた長袖肌着とか、なんかそういうの。小銭は絶対にズボンのポケットに入れていて、自販機やレジの前で肩をすくめながら取り出す。老眼が始まって遠巻きにした新聞を目を細めて読んだり、ふくらはぎを足の先でぼりぼり掻いたりするのも好きだな。たばこは吸っても吸わなくてもいいけど、吸うんなら指の先のほうにちょんとはさんでいるといい。

 はあ。

 わたしのこの感じはおそらく父親によるところが大きい。簡単に言ってしまえばファザコンなんだろうけど、父親と一緒に暮らしたい、っていうのはなんかもう色んな意味で違う。暮らしてたし。そうじゃなくて。
 わたしは父が四十五歳のときに生まれた子どもで、わたしが父を父として認識しだしたころにはもう向こうはおじいさんに片足を突っ込んでいたんだった。ちなみに母とは十四歳の年の差。「わたしパパと結婚する!」みたいな話があったかなかったかはわからんけれど、わたしが小学校低学年くらいの頃に、母親がどこからか引っ張り出してきた若き父の写真を見たときに、かっこいいなあ、と思ったのは覚えている。あくまで『過去の』ではあるものの、たしかにテレビの俳優さんや近所のお兄さんに思うのと同じように父親を、かっこいいなあ、と思った。たぶんそこが始まり。

 その写真は当時交流のあったカメラマンの卵だかに撮ってもらったものらしく、モノクロで、ドラムをじゃーんとやっている父が写っている。肩の上ぐらいまで髪を伸ばし、ソバージュみたいな細かいパーマをかけていて、顔はロンドンブーツ1号2号の淳さんと大倉孝二さんを足して二で割ったみたいな感じ。マジで。それから年齢は、四十二、三だったと聞いた。

 この写真のパパかっこいいよね、とことあるごとに呟くのに母は、あんた見る目無いね、なんて無茶苦茶言っていたけれど、わたしは俄然母がうらやましかった。だってこんなに怪しくてみるからにろくでもないおじさんに、かわいいかわいいって、他の男と取り合いまでされたんだもの。見る目無いねとか言うくらいなら、微妙に違うだけの似たようなショットを三枚も連ねて飾らんだろ、と思うので恐らく照れ隠しなんだろうが。

 そういうわけで、わたしのおじさん好きは父を皮切りに始まったわけだけれど、もうここのところ本当にひどい。なにせ今の人生に暇をもらっておじさんと暮らしたがるぐらいなので。とくに二十代も後半に入ると、これまで好きだった俳優さんなどが軒並みおじさんになってきたのでよけいにだ。これまでだったら街行くおじさんをひっそり、素敵だなあ、と眺めるくらいだったのが、テレビや映画やインターネットを見ているだけで供給がある。正直苦しい。ずーっと書けなかった文章まで書いたし、筆に任せて物語を物語をつくれば必ずおじさんが登場する。最悪だ。このあいだはコンビニの前でフライドチキンにがっつくおじさんに、思わず声をかけそうになった。

 ところで父は一昨年の秋口、七十の誕生日を迎えてすぐに死んだんだけれど、葬式の後に母からとんでもない話を聞いた。
 父と母はもともと仕事で出会った話は聞いていた。ところがそれには続きがあって、親密になったのは、自宅の最寄り駅付近で買い物していた母がたまたま、父と遭遇したからなんだとか。どうやら当時ふたりは同じ町に住んでいたようで、わー偶然っすねー、である。母は父のことを変なおっさんくらいにしか思っていなかったらしいけれど、父はもう母がかわいくて仕方なかったみたいで、ばったりをきっかけにめちゃくちゃデートに誘ったそうな。

 「そしたら気が付いたらうちに住んでたんだよね」(母談)

 父、前の奥さんが二人だか三人だかいて子どもが合わせて四人だか五人だかいる話とか、実は母と席を入れていないのは当時まだ前妻との離婚が成立していなかったからだとか、あとだしじゃんけんみたいな話はボロボロ出てきていたとはいえ、正直娘は困惑したよ。
 十四も年の離れた女の子の家に、別居中とはいえ転がり込むって何なのよ。

 母、どう考えてもいかがわしいおっさんよく住まわせたな。

 そういうわけでわたしが生まれ、さらに四年あとに弟が生まれ、至極幸せな人生を歩ませてもらったので両親には何も恨み言はないんだけれど、ねえ。

 うらやましすぎるんですよ。

 どういう世界線に生きていたら、一回り以上も年上のおじさんが、自分のアパートに転がり込んできてくれるのか。しかも経営者で、ロン毛で、元ミュージシャン。数え役満か。母はわたしの顔色をうかがうみたいにしてこの話をしたけれど、もううらやましい以外の感想がない。わたしだってそんなことしたかったよ。

 わたしはもう結婚もしたし子どもも生まれたので、今生ではもうその夢はかなわない。ちなみこんな趣味でありながら意外にも、ひとつ歳が上のめちゃくちゃかしこいひとと結婚した。ひとにも驚かれたくらいまともだ。とても素晴らしい男性である。なので、怪しくてしょうもないくたびれたおじさんとの生活については、別の次元の自分にお願いする。

 二つ先くらいの次元で、わたしのような女が西荻あたりのうらぶれたアパートに暮らしているはずなので、もし見かけたらどうぞよろしく。