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【マシーン日記 観劇録】不気味な気持ちになる芝居

 ※仰々しいタイトルを冠していますが、これは『俳優:大倉孝二』が好きな人間による書き散らしです。また、文中で演目の内容に深く触れる部分がありますので、未鑑賞、これから鑑賞予定の方につきましてはご留意のほどよろしくお願いいたします。

【マシーン日記】の簡単なあらすじ

小さな町工場・ツジヨシ兄弟電業を経営するアキトシ(大倉孝二)は、妻サチコ(森川葵)とともに自らの工場で働いていた。工場に隣接するプレハブ小屋に住む弟のミチオ(横山裕)は、壊れた機械を見ると直さずにはいられない電気修理工。ミチオは訳あってアキトシに監禁されており、小屋と右足を鎖でつながれていた。一方のサチコには、かつてミチオに強姦された過去があり、その罪滅ぼしになぜかアキトシが結婚を申し入れるという奇妙な流れに身を任せていた。他人から見れば非常識でちぐはぐでありながらも、3人は彼らなりに穏やかな日常を送っている。そんな中、工場に新しいパート従業員として、サチコの中学時代の担任で体育教師であったケイコ(秋山奈津子)がやってくる。極度の機械フェチでもあるケイコは、壊れた携帯電話を直してもらったことをきっかけにミチオと結ばれ、「あんたのマシーンになる」と服従を誓う。
小さな町工場を舞台に、男女4人の情念渦巻く愛憎劇が始まる…。

(上演プログラム掲載文 一部抜粋)

その異質は常に隣にあるかもしれないという恐怖 

 この作品に出てくる『ツジヨシ家』はねじれている。兄のアキトシはサチコを強姦した弟のミチオをプレハブ小屋に1年も監禁しているし、サチコはサチコで強姦した相手の血縁と成行きのまま夫婦になります。ミチオは鎖につながれていることを悲観しながらも、逃げるつもりはさらさらないようで、そこへ乱入するケイコは「あたしあんたのマシーンになる」なんていうブッ飛び具合で、とにかくまともなやつがいない。

 そんな4人が、それでも家族として町の片隅で機能しているらしいこと、彼らなりの平穏とその崩壊の様子が【マシーン日記】では描かれるんだけれど、観客のわたしの目には俗世間から断絶された狂気の家族に見えていました。コクーンシアターのなかの数百人の視線が『ヤバい家族』のイカれた生活を、ゲラゲラ笑いながら見つめる。終演後、あー面白かったと帰りの山手線で一息ついたときに「あれ?」と背筋に冷たいものが走るのです。

 いわゆる『ヤバい家族』って、実際に見たことがないだけでザラにあるんでしょう。わかりやすい例で言えばDV夫・妻や子どもを虐待死させる親、に対して「ヤバ―」と感じる気持ちがあると思うけれど、もうそういう人間がいる家庭は『ヤバい家庭』だと思うわけです。ではそういった家庭を目の当たりにしたとき、果たして同じように笑えるでしょうか。舞台・芝居であるゆえにツジヨシ家はずば抜けた『ヤバさ』なだけで、こういう家族のねじれってすごく身近なものなんじゃないかと思います。わたしを含めた観客の多くは、上演中ずっとフィクションの上の他人事としてツジヨシ家を傍観していたでしょうが、この異質さって実は常日頃から隣にあるかもしれない、決して作品の範疇に留まるものではないんじゃない?ということに気が付いた瞬間、あれを笑ってみているだけだった自分に心底ゾッとしました。

 もちろんそれすらも計算された舞台の演出だろうというのはわかっているものの、わかっていながらも劇場に席を離れたあとにさえダメージを与えてくる松尾スズキの策略には本当に、ただただ圧倒されるばかりです。策略なのかはわかんないけれども。

『舞台俳優:大倉孝二』

「大倉孝二の真骨頂は舞台だ」という声を何度か聞くことがありましたが、マシーン日記を観劇してなるほどその通りだと。映像作品では世界観に溶け込んだコメディリリーフとして作品を支える名バイプレイヤーは、舞台上ではまるで芝居で客をぶん殴っているようでした。物語の序盤、開始ものの5~10分で既に、鼻先から汗のしずくが落ちていくのが見えるくらいの力強さ。(横顔から汗が2粒落ちたのがすごく良くて、たぶん一生忘れられないです。)特にこの演目の、アキトシという役だからこその狂気じみた勢いなんでしょうけれど、とにかくハイとローのスイッチングスピードがすさまじかったです。

 舞台全体を通してハイのターンが多いんだけれど、なかでも怖かったのが小道具の漫画雑誌を食いちぎるシーン。目をギラギラさせながら次から次へとページを口の中に詰め込む様子は、思わず「うわ」と声を漏らしそうになる気迫でした。くしゃくしゃと紙を破り咀嚼する動作は勢いがあってある意味うるさいくらいなのに、会場中の温度がサーッと下がっていくみたいに静まり返る感じ。その後、「鬼滅ウマッ」という演出なんだかアドリブなんだかわからないセリフでハッとしたように笑いが起きるものの、わたしは正直怖すぎてそれどころじゃありませんでした。

 ローのターンは数少ないからこそ、余計に際立ったように思います。例えば、兄弟で押し問答になりつい大声を上げるミチオに対して「今度は手錠をかけるぞこの野郎」と凄むシーン。それから、自分を強姦したミチオを許していいのかと問うサチコに対する「殺すぞ、おまえ」。それまで歯に衣着せぬ(というかもうほとんど意味不明な)物言いでヘラヘラしていたアキトシからスッと表情が消えて、『マジ』に人をどうにかしてしまいそうな雰囲気になる瞬間はこっちまで血の気が引きました。映像作品であればおそらくカットを割って表情の変化を演出するような場面を、舞台の上で流れる生の時間のなか、地続きでやられると、どうにも短絡的な感想しか出てこなくて申し訳ないけれど「これが役者か」と楽しくも恐ろしくなります。

 ところで大倉さんといえば、ことかわいそうな男を演じるととてつもない魅力を発揮するなあと思うんです。モリノアサガオの星山とか、ロマンスの桜庭とか、かわいそうのベクトルは違えど飄々とした口調に相反する救いようのない悲哀がすこぶる似合う。187cmもある上背で、針金みたいに細い体をすくめてひょこひょこ歩く姿はどこまでも情けないのに、妙に様になっていてなぜか愛おしい。

 マシーン日記でも、弟を縫い付け妻を振り回すおよそ真人間とは思えないアキトシを怪演していますが、劇中では言及されない彼のトラウマや哀愁をそこはかとなくまとっているように思いました。常軌を逸脱した行為のなかにどうしようもなく『家族』を求める、稚拙ともとれる懸命な姿が垣間見えるのがひどく切ない。ラストシーン、殺されたことには少しも関心を示さなかったのに、サチコの遺体をなにも言わずに抱きしめていたのは何故なんだろうと今も考え続けています。わかる人がいたら教えてほしい。

劇場へいざなう不思議な引力

 もともと目の前で好きな役者を見られる喜びよりも、存在のまぶしさと演技の迫力に気圧されてすごいエネルギーを使ってしまうタイプなので、あまり劇場に足の向かない人間でした。かつてどんなに(作品を)追いかけた俳優の舞台も、それぞれ1、2度程度しか見に行けたことがありません。けれどこの【マシーン日記】で炸裂する大倉さんのお芝居には、この人は舞台に立っている姿を見ていたいな、なんて思うわけです。もう長いことめちゃくちゃに好きなのでみぞおちの奥がざわつくのには変わりないんですけれども。

 どんな作品でなんの役を演じていたって、わたしはどこまでも“ファン”なので当然好きなんでしょうが、やっぱりドラマや映画とはまた違う圧倒的な『舞台役者:大倉孝二』のギラつきは、何度だって見ていたいと思います。