音楽がひとを救済するはなし。
ロックンロールはひとに優しい。葛藤とか不安とか息苦しさとか、その他もろもろのほとんどすべてを代弁してくれているからだ。ときに無骨に、ときに優しくそれらをすくいあげて、気が付くとそばに寄り添っていてくれる。
大好きな曲の中に、LUNKHEADのインディゴという曲がある。中学生のとき、ギターをやっていた後輩に教えてもらったバンドで、その子がこれ聴いてください、と何枚も渡してきたCDの中に入っていた。曲の正しい解釈がなんだかはわからないんだけれど、疾走感があってどこにだって連れて行ってくれそうなのに、人生に言い訳するみたいに、白んでいく空を見ているだけの歌詞は物悲しく聞こえた。それでも、そんな諦めばっかの人生だって見方によってはこんなにかっこいい曲になるんだからいいじゃないと、曲とは離れたところでなんかちょっと背中を押される感じもした。
この曲には自分のふがいなさとか受け止めきれない苦しみを肩代わりしてもらったなと思う。おすすめソングの謳い文句に「歌詞に共感できる!」なんてのがあるけど、自分の喜怒哀楽を音楽に寄り添わせることのできるひとは器用だよ。ほどよい距離感を保ちながら、自分と似た部分だけをかいつまむのか、それともほとんど同じ気持ちでみられるのか。距離が離れていてもセンテンスを受け取れることも、ゼロ距離で感情の爆撃を浴びても立っていられることも、どちらも本当にすごいことだ。その点わたしは不器用で、大人になればなるほど、歌詞と心をすり替えるみたいにしている。
もう全然、自分の増幅した感情すら受け止めきる体力がない。何かを考えたり作ったりすることに没頭していた頃って、大きな感情は、特に負の感情は逆に振れてすごいエネルギーになったものだけれど、今は撃ち負けてしまう。撃ち負けないために気を張っているとものすごく疲れることに気が付いて、あんまり感情が揺さぶられるような物事に近づけなくなった。自分のこと以外にも体力や気力を使わなくちゃならないことが増えて、疲れられなくなったというのもあるけど。
でもまあ感情が死んだわけではないし、もともと感受性の強すぎるきらいがあるのでどうしたって気持ちが昂ってしまうときがある。そういうときに、自分の気持ちに近い言葉を使っている楽曲に肩代わりしてもらうのだ。自分が歌詞に寄り添うのではなく、あえて自分に似た歌詞を俯瞰してみるという感じ。
わたし自身が持っているだけじゃただの一般人の悲しいとか苦しいとかの感情だけど、歌われている負の感情ってそもそも歌になっている時点で物語性がついて、苦しむ様すらかっこよくなるじゃない。うまく書けないけど。でも、ずっと遠いところで他人事にしてもらえる感じがして、気持ちが少しだけ楽になる。共感なんて素敵なものじゃなくて、その場しのぎのごまかしなんだけれど、わたしはずいぶんこれに救われている。
ずっとずっと長いこと夢見ていたものがほとんどおしまいになったときも、父親を看取った病院の帰りにもインディゴを聴いた。絶対に耐えきれない悲しみとか苦しみを、ものすごい速さで的確に巻き取っていってくれた。
そうしてごまかすので、夢のおしまいも父親の死もいまだにあいまいなままわたしの中に残っているけれど、今は別にそれでいいやと思う。もっと自分に裂ける時間が増えたり、もっとわたしが器用になったりしたときに向き合えばいいかなと。この曲はわたしをそういうふうにすくいとってくれた。空の白んだ夜の淵に立っているうちは、夢から覚めるにはまだ早いんでしょう。
ところでこのインディゴという曲、歌詞もさることながらライブがめちゃくちゃかっこいい。びかびか点滅するライトのなかでわずか三分余りのあいだに巻き起こる嵐、みたいなスピード感。そこにびたっとハマる楽器の音と、なにより小高さんの力強い歌がほんとうに気持ちいいのだ。
YouTubeにライブ動画が上がっているようだけど、人様のものを勝手に掲載するわけにもいかないので、代わりに公式があげている二〇一九年にあった伝説のツアーファイナルの動画を載せておく。これはほとんど奇跡のライブ。しかもフル尺。インディゴはやっていないけど、とんでもなくかっこいいのでぜひ。