
英霊と再びの使命
あけましておめでとうございます
本年もいろいろと発信していきますので
よろしくお願いします
さて、新年の早朝にとあるお話をふと思い出しましたので
書かせていただこうと思います
いまから十数年前、とあるお坊さんと興味深いお話をする機会がありました。そのお坊さんは神官さんたちともよく交流されている方でいろいろなお話をしてくれる方でした。その時の内容は、私たちの国の歴史や精神文化に深く関わる「英霊」にまつわるものでした。特に印象に残ったのは、とあるご縁があり靖国神社に参拝した際に感じた違和感について話したときのことです。
靖国神社で感じた違和感
靖国神社は、戦没者を慰霊し、英霊たちの安らぎを祈る場所として知られています。しかし、私が初めて参拝した際、何か説明のつかない違和感を覚えました。祭られている数、というか鎮座されている方が少ないような・・・そんな感覚だったんですけれども・・・とお坊さんに伝えると、彼は驚くべきことを教えてくれました。
「靖国神社にいらっしゃる英霊の数は、実際の戦没者数に比べて少く感じられる、その通りだと思います」と彼は語りました。その理由の一端が、英霊たちの一部が「再びの使命」を選んだことにあると言います。
再びの使命:英霊の受肉
お坊さんによれば、靖国神社に祀られる英霊の中には、神の座を捨てて再びこの世に受肉することを選んだ魂たちがいるとのことです。その数は、全体の約半数にも及ぶといいます。彼らは、未来の国難に立ち向かうため、あえて新たな命として生まれ変わり、現代社会に存在しているのだと。
この話を聞いたとき、私の中でいくつかの点がつながりました。今の時代を生きる中で、特別な使命感を持つ人々や、異常なまでに困難に立ち向かう強さを持つ人々を目にすることがあります。もしかすると、そうした人々の中には、英霊としての記憶や魂の痕跡を持つ存在がいるのかもしれない、そんな思いがよぎったのです。
今、日本国内でいろいろな国難が表に出てきていると思います
神一厘の仕組み、最後の最後でのどんでん返しを起こすために
見えないところで、何十年も前から準備がなされている
ただただ ありがたいと思うのみでございます