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稲毛 〜三千里の旅のはじまり〜

明治三十九年八月六日
 両國停車場發の汽車に乘つて晝過稻毛に下車、すぐ海氣館に入つた。風がないのでむし暑い。遠淺に出て蜊を掘つたり、蟹にはさまれたりして汐の上げて來るのも知らずにゐた。離れだか寄居蟲を座敷に這はせて「淋しきこの別れ」などゝいうて居る。留送別の句が出來た。
送別
夏の雲長途の明日を思ふかな 乙字
心長き別れに秋の隣りけり 六花
この家の木槿に語りつきもせず 觀魚
水筒に清水みてたる別れかな 碧童
留別
海樓の涼しさつひの別れかな 碧梧桐
 果知らぬ旅のことを思ふと胸迫るまで名殘が惜しい。せめて千葉まで同行せうといふのが、遂に一宿することになつて、この夜旅籠の蚤蚊に責められながら、五人短夜の枕を並べてまどろむひまもなかつた。(下総千葉にて)

『三千里』河東碧梧桐著 金尾文淵堂 明治43年12月初版

(一)
六花、乙字、觀魚、碧童の四人予を送つて共に稻海氣館に遊んだ。海氣館では下駄穿きで遠淺を逍遙し、砂の上で四人が相撲をとつた。碧童は强さうで弱󠄁󠄁く、六花は弱󠄁󠄁さうで强い。乙字も觀魚も相撲振りと句作振りとがよく似て居ると笑ふた。 留送別の句を詩箋にかき散して後、海ばたの道を一里半始めて徒歩で千葉に向ふた。汐打際に狂ひ茄子といふあぢ氣ない花が咲いてをつた
送別
夏の雲長途の明日を思ふ哉 乙字
五里六里送り來て木槿白きかな 同
撫子に送りつきせず歸るなり 六花
心長き別れに秋の隣りけり 同
磯なれば影尙見ゆる夏の月 同
この家の木槿に語りつきもせず 觀魚
水筒に淸水みてたる別れかな 碧童
留別
海樓の凉しさつひの別れかな 碧梧桐
(八月六日、千葉にて)

『懸葵』懸葵發行所「所󠄁在片信」河東碧梧桐 明治39年9月発行

頃しも夏の末、秋はいく日の木槿の花に隣りて、行方も定めず、果ても知りあへぬ旅に出て立つ。丙午の歳八月六日の事なり。かゝる旅こそせまほしと希ひし年もありぬるを、そのけふになりては、さすがに夫妻友侶の別れに難し。稻毛まで送らんといふ人々、千葉に追ひすがりて尚ほ一泊の枕を共にす。憂き夢を蚤にさいなまれて早や明易き別れとはなりぬ。
 目糞ふいて別れを言ふや蚊帳の中

『ホトトギス』ほとゝぎす發行所「三千里」河東碧梧桐 明治39年9月発行

河東碧梧桐による、「日本全国遍歴を志して」記された旅行記、三千里。
(この旅の連載当初は3つの新聞・雑誌媒体でそれぞれ異なる紀行文が掲載されていたので、全て載せてみました)
明治39年8月6日、東京の寓居を出て両国停車場から電車に乗り、「稲毛」に到着。「海気館」という施設に一旦一休みし、海気館の前の海で遊んでいます。あさりや蟹ややどかりをとったり、相撲もとったりして、なんだか無邪気です。(碧梧桐と弟子たちは、数年後の旅先の岡山県の沙美海岸でも遊んで相撲をとっています。海の砂浜に若い男が集結すると相撲をとりたくなるものなのでしょうか)
そしてどうやら海気館には泊まらず、千葉のほうまで出て弟子たちと投宿。次の日から碧梧桐の一人旅がはじまります。

その、三千里の旅いちばん初めの行き先である「稲毛」を訪ねて参りました。(いけだ)

JR稲毛駅 総武線の黄色が見える
碧梧桐も、多分ここで降りたのでは

稲毛駅前のパン屋さんで塩パンとコルネを買って、頬張りながら海気館のほうを目指します。

南西の方角に真っ直ぐ歩いていくと、国道14号にぶち当たります。
この国道沿いに、「稲毛浅間神社」の入り口があります。

国道14号。道路の向こう(海側)に一の鳥居が見える
稲毛浅間神社二の鳥居
おかっぱロングパーマの狛犬 阿 かわいい
おかっぱロングパーマの狛犬 吽 かわいい
本殿

改修も所々され、とても綺麗な神社さんでした。

なぜこちらを訪ねたかというと、海気館は「稲毛浅間神社周辺の松林の中に建てられた施設」らしいからです。この辺!
というわけで、Googleマップが「海気館」と指し示すところに行ってみます。

きらくホテルの裏あたりっぽいですが……

Googleマップの海気館ピンが立っていたところ
(左手前建物がきらくホテル)

跡形無し!
特に看板も見当たりませんでした。

千葉市のホームページに、海気館について書かれていました。
明治21年に「稲毛海気療養所」としてオープン。のちに「海気館」という旅館になり、島崎藤村、徳田秋声、森鴎外、上司小剣、田山花袋、里見弴、中戸川吉二………というあの時代の文士面子が大体泊まっていますね、原稿を書いたりなんだりしていたとのこと。
碧梧桐のことも書かれていて嬉しい!ただ、名前の読み仮名間違ってたり(へきごうとう)、恐らく海気館では一泊していない……?などと色々と惜しい……

さて現在、神社や海気館があった場所は、海から3kmほど離れた場所にあります。
三千里を読むと、明らかに海気館の目の前が砂浜と海らしい書き方なのに?と思っていたら、やはりそうで、かつて一の鳥居のあたりは海だったそう。だから神社のあたり、松が多いのか!防風林だ

二の鳥居から一の鳥居を眺める
あの辺から海だったのか
一の鳥居から二の鳥居を眺める
100年前、足元は海。今はコインパーキングです

昔はここらあたりまで海があったという証拠に、浅間神社裏の稲毛公園の松林の中に、「根上がりの松」があります。
この辺一帯が砂丘だったようで、海風で砂が飛んでったり経年で砂が無くなっていったりで、根っこが丸見えになってしまったそう。

根上がりの松
根上がってはないけど海風に煽られて傾いでいる気がする松 画面右側が海方向

いやしかしだいぶ埋め立てましたね!?
千葉市のホームページによると、1950年代から工業を発展させるために東京湾沿岸を大規模に埋め立てたとあります。

今の海も見てみたいので、3km先の海を目指して歩きます。疲れたので途中でシェアサイクルを借りました。シェアサイクルいつもありがとう

一の鳥居から向こう、成程アパートやマンションだらけ。埋め立て地あるあるの新興団地ですね〜

100年前は海の底……と思いながら自転車を漕ぐ

埋め立て地なのでまっすぐ平坦な道。
稲毛海浜公園に到着です!

海!
海だー!!
海釣りの船!
コーギーのおしり

右を見ると東京、左は房総半島。
ながーい砂浜が続いています。

「いなげの浜」についての説明看板がありました。
日本初の人工海岸!昭和51年に生まれた新しい海岸。埋め立てたことであのときの砂浜は消滅してしまったけど、人工の砂浜として復活させたのか。
そして最近白い砂浜を導入したそう。オーストラリアの砂浜!

12月だというのに日差しが暑い日、波はとっても穏やか。
新しい砂浜だからなのか、たまたまなのか、目に見える生き物は見当たらず、蟹にはさまれたりすることはできませんでした。

ということで、この旅は終了。
三千里に描かれていた景色はほぼもう姿がありませんでしたが、変わらない場所と変わっていった場所が明確で、興味深くまちの姿を見ることができました。

三千里はじまりの地、稲毛。碧梧桐の旅はここからはじまります。


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