
あとがき『マージナル:「平凡ベータ」のいびつな三角』
『マージナル:「平凡ベータ」のいびつな三角』(R18/BL)
https://estar.jp/novels/26161434
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20986601#39
https://novel18.syosetu.com/n2406il/
の「あとがき」です。
お礼
この話にお付き合いくださったみなさま。
本当にありがとうございました。少しは楽しんでいただけたでしょうか?
私の中の世界を共有してくださり、本当に嬉しいです。
オメガバース。
一大ジャンルですよね。
元々、海外のみなさまが、推しカプの幸福を祈るあまりに作り上げた世界観。
日本で商業マンガ等でも大々的に打ち出されたりして……地位が築かれているのかな。
元の二次創作用の設定を遥かに凌駕して、本当に日本独自に、様々なオメガバースが生まれてる??というところが、「日本らしい」感じでしょうか。
でもじゃあ、自分で書けるのかと言われれば……なんか、書ける気がしなかった。ずっと。
「人間には常にチャレンジが必要」(謎目標)という、意味不明のマゾな生き方しかしてこなかった自分。
どんなジャンルを書こう……
とにかく、何か新しいジャンルにチャレンジしないと、ダメだ……(何がダメなんだろうね)と思って。
色々考え、まずDom・Subだったら行けそう……と思いつきました。
何年か前のコトです。
そして「キス・オブ・ライフ」を書きました。
かなり長い話になって、完結まで、二、三年かかりました。
津守と七趾。自分の中で、しっかりと生きている人になりました。
楽しかったです。
もうこれだけ楽しんだから、創作は卒業していいのかなと思うくらい。
自己愛だな……と思いますが、ホントに彼らが好きです。
では……と考えて。
やはり、やはり最後に一度はオメバにチャレンジしてみようと。
人生のかなり長い期間、趣味としての小説を書いてきて。
ホントに、趣味どころではない時間を費やしてきました。
でも、自分の中で「小説の執筆」というものを、完全に客観的にプロデュースすることは、どうしてもできなくて。
才能がないなら、せめて努力ぐらいしないと、と思うと、それもしんどくなり。
もう書くのは止めよう……となって。
けど、やっぱり書かない人生には、なんの楽しみも見いだせなくなって書き始める。
そんな繰り返しです。いつか、完全に開き直れる日がくるだろうか。
オメガバースにチャレンジ
ということで。自分なりに「世界」が見えないと、なにも話が進まないので、まずとりあえず、オメガバースの世界観みたいなものの手ごたえを、何とか掴んでみたく、手始めに短編を書いてみました。
「さよなら、壊れた僕の哀しいせかい」です(メリバ……)。
上手くいったかどうか、楽しんでもらえるものが描けたかは甚だ疑問ではありますが、世界観は自分なりに、すこしだけ掴めた気がしました。
あと……元来のオッサン好きなんですが、今回は頑張って、今までよりも「若い」人たちを書いてみたらどうかな? とも思いつきました(大人が若い人を描くというのは、たぶん本当に本当に難しい)。
そんなこんなで、今回の「マージナル:「平凡ベータ」のいびつな三角」を始めました。
タイトルの意味
「マージナル」。色んな意味がありますが。
どこか「はしっこ」の境界領域、視野のギリギリ(みえるとこ)。
そんなイメージが、常にこの話にはあって。
そして、「「平凡」ベータ」。
「いやあ、オレ、平凡なのになんでこんなにモテちゃうのかなぁ(いやいやあんた、平凡違うやん。それチートでしょ)」みたいなの(テンプレの勝手なイメージ??)は、やはりどうしても自分の内から生まれてこない。
頑張ってみたけど、結局、出来上がったのは「節子それ平凡テンプレやない!」的な。
ってか、テンプレートやニーズやらを踏まえた名作とかを、きちんと研究して読みこんだこともないワケだから、生まれようもないでしょう。当たり前だけどさ。
そういう調査研究・努力が足りてないですね。頑張ろう。
それができてこその、傍流…なんだろうし。
悠一の魅力
そう。平凡な「だけ」じゃ、到底、主人公にするのは難しい。
他の登場人物に「好かれる」魅力に説得力がなくちゃ。
どうしたら――
そういう意味で、むしろアルファとオメガが「非凡なマイノリティー」ゆえに、むしろ悩みも多く、しんどくて。
ごくまっとうな平凡っていうのは、強くて眩しいのだ――みたいな。
書き起こすと、くだらなく陳腐でありきたりなのですが、そんな感じの「魅力」を、悠一に(自分としては)感じとることができて、こうやって最後まで書いてこれました。
Dom/Subとオメバの違い?
さて、オメガバースよりDom・Subの方が書きやすいと思えた……と言いましたが、両者は何が違うんでしょうかね??
Dom・Subは、とりあえず、関係性に「生殖」が必須に介在しない。
恋愛なり契約なり。何らかの信頼などで関係は結ばれますが、解除も自由。
色々とトラブルはあるといえ、基本的に結婚よりもフリーな関係性。
ある程度、自立した大人の「対等な関係」として描きやすい。
Subはセイフワードで守られ、セイフワードをキチンと使う「責任」も負っている。
SMプレイの「基本のき」と聞きますが、Domが必ずしも「強い」のかというと、そうとも言いきれず。そもそもプレイは「Subのためのモノ」だったりする。実はSubありきの関係性。DomこそSubの奴隷かもしれない。
さらにはDomの心には加虐の欲求もあれば、Subへの庇護欲もある。そんなアンビバレントがちりばめられているところにもリアリティを感じ、世界観がクリアに見えて書きやすかった。
そもそも私が感じるBLの良さって、この「対等な関係性」というか、男同士の恋愛として、特に「肉体のイーブン感」があるところだったりして――ただの妄想ですが。
(もちろん現実には、二人の人間を並べれば、必ず、体格差、経済差等の格差はありえるでしょう。ですが両者、究極には「同じ男」なわけで。だから個人的には、リバにもさほど抵抗がないというか(対等ですよね!)カップリングの左右にも、そこまでこだわらないというか)
一方、オメガバースは、オメガが「産む性」であり、そこが「キモ」な世界観なワケで。そして「アルファとオメガの希少性」。
つまりアルファとオメガは、そもそも「体の成り立ち」的にマイノリティーである。
さらに、そもそもアルファとオメガの両者は、まったく「対等」が意図されてない世界。
よく言われますが、オメガは、明らかに社会で不利なポジションとしての身体を持つ「女性」のメタファー?であると。
(現実社会では「常に」女性が不利とは言わないし、今の日本の多彩なオメガバース物について、こんな単純な喩えはそぐわないことも多いと思うけど)
だったら話の中で、どうしてそれが「男でありオメガである必要」があるのか? なんで「女」じゃダメなのか。
その必然性が、ちょっと見えにくい気もしてしまう。
どうしてこんな話に……なってもうた
だからこそどうしても、アルファとオメガには、自分たちの身体特質については「苦悩する」「必然」がある気がした。
けれど、それは非常に「オールドスクール」なオメガバースの解釈なんだろうなとも。
そんな身体特質など、ここまでオメガバースが進化すれば、「当然の前提」であり、特にそこまで「問題視する必要すらない」。
それが昨今の「流れ」の「ひとつ」なんだろうと思います。
だから日常生活を穏やかに描く温かいストーリーも生まれてくるし。成熟したまっとうな恋愛ストーリーにもなりうる。
「身体的ななんたらかんたらの苦悩」……みたいな「設定」を「古き良き・オールドスクール」と感じる自分は「感性が古い」のかな、とも反省します。
いずれにせよ、「まだまだオメガバース初心者すぎる」んだろうな、自分……と思いました。
きっと、もっと自由にしてもいい世界観なのかもしれないです。
あと、「特権を持つものの責任」というのが、普通に個人的に大好物で。
そこには粘着したいと思って、アルファには、ひたすら苦悩させたくなってしまい――
そして高校生。
うん。
どんなにしっかりしていても、まだ、ひとりでは生きることも、自由な選択もままならない存在。
肉体的にも揺らぎながら、ほとんど大人に近いような、彼らの焦りというか不安というか。
アルファとオメガの、身体的特徴とマイノリティー的な立ち位置を思えば、彼らが思春期に生きづらくないわけがないし。
そしてあっという間の高校三年間。
でもたぶん、人生の内で、その一か月二か月は、永遠にすら感じられるような密度があって。
そんな人生の一時代の「一瞬一瞬」ってどんなだったっけ? なんて。
ちょっとおばさんのセンチメンタルが暴走してるだけかもしれないけど。
そんな不安と揺らぎに満ちている少年たちの「ある季節」を切り取りたかった。
きれいなだけじゃないはずだけど。
きれいに描きたかった。
こんなことを考えていたら。
まあ、どうしても「ラブラブハッピーなストーリー」とか「ほのぼの」「心温まり癒される」「あおはるキュンキュン♡」とかが構築できなかった。
そういう人物たちが、自分の中では生まれてこなかった……。
あとひとつ。
今、我々はこんな壊れた世界に生きていて。
せめてこの話では、この子たちの前には、「ちゃんとした大人」を描いておきたかった。普通にちゃんとした、恥ずかしくない人たちを。
結論
そして、うーん。
結論。オメガバース。やっぱ難しかったです。
でもこの三人は、私の中で、しっかりと生きた人たちになりました。
物語のそのあとで――
さて、今後の高校生三人と、彼らの親たちは。
特に藤堂隆道は、まあドクズです。
もちろん、そうなった「理由」はあって……とはいえ、もう「そこ」に踏み込むと、長くなるわ、ただただ暗くて、キラキラなど一ミリも見つけられそうにないわで。
尊の母(オメガ男性)に至っては、生きながら存在を抹消されていますし。
まあ、隆道にぶっ壊されてしまっている人でして。
ということで、藤堂家の「そんなこんな」は、今回、そっと時の流れの向こうに置いてきました。
ただ、そうなると菜々緒の秘密を、この話ではあまりハッキリ描ききれなかったなぁと、そこは反省点です。
奏のお母さんが縁付くことを願われていた「イイとこのアルファ」が「藤堂隆道ではない」とする理由はありません。
隆道が、いろんな人に運命を感じさせてしまうタイプのアルファだったかもしれないのも否定しないです。
悠一のお父さんと村岡菜々緒。
悠一父が言っている以上には、なんらか「関わり」はあったはず(って、別にコイビトとかではなかったよ)。
さて奏。
画家としては、きちんと生きているうちに才能を見出されて欲しいなあ。
うん、きっとそうなると信じてる。
悠一を描いた絵は、たぶん国立美術館とかに買われちゃう前に、ギリ、市立美術館が勝ち取ってくると思う。
入手に強気になれなかった国側が、あとあとになって、「ああ、あの時、買っときゃよかった」と、悔しがるような結末かな。
そして、私生活では。
ちょっと無自覚系魔性のオメガになりそうかなぁ……。
きっと背ももうちょっと伸びるよ。心配すんな。
あと、悠一。
もうね、誰でも、悠一とさえ結婚しときゃ幸せになれるはず。そういうヤツです。
とはいえ、たぶん地元に必須?の「春日葬儀社」は継ぐだろうからな……。
そういう「独特で忙しめな自営業」が苦にならない人がいいと思います。
そして奏との約束どおり、いつまでも元気にシャキシャキ走ってくれてるはず。
もしかしたら、大学とか社会人とかで、駅伝とかなんとかに出たりして、奏がテレビで見守ってたりするかも。
尊は。
いい意味で、藤堂家を少しずつ「壊して」いってくれるのかな……って思う。そうして欲しいと思う。
どんな形であっても、たぶん悠一を、いつも「傍に感じながら」生きていくと思う。孤独でしかありえないアルファ・メイルには、そんな人が必要だと思う。
(そして、隆道にもいたはずの「そんなひと」は、残酷にも過去に壊れていなくなってしまってる……)
三人の関係性。
未来にどうなるのかは、(これもまた陳腐な言い草ですが)ひとまずご想像にお任せしたいと思います。
だって、これからまだ可能性がたくさんある青少年だから。
どうなっても「それもあり」なんだと思います。
もしみなさまの胸に思い描かれてくる「なにか」があれば、「その世界」で三人を生かしてあげてください。
尊は隆道を、奏は母を、そしてオメガ性を、乗り越えていけると思う。
奏も悠一も尊も、きっと幸せになると、私は信じてます。
人生では、「最後のプライド」も「最後のより所」も、そんなすべてを無くすこともある。
でもまあ、なんとか生きていくんだよね。きっと。
完結ハイの長々な「あとがき」もどき。
お付き合いくださり、ありがとうございます。
繰り返しになりますが、お話を読んでくださって、本当にありがとうございました!!!