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作者と読者の間には暗くて深い淵がある
小説にしろ絵本にしろマンガにしろ、作者の気持ちは読者にはなかなか伝わりません。それはアニメだろうがゲームだろうが、みんな同じでしょう。
「作者と読者の間には暗くて深い淵がある」(平井和正)という言葉もあります。そのくらい作者の気持ちは読者にはわからない。伝わらない。
あの手この手を使って、必死になって読者を驚かせたり喜ばせたりしようとする。でも、読者は作者が思ったような反応をしてくれるとは限りません。
ストーリー展開を急げば「話が飛び過ぎでよくわからない」と言われるし、ゆっくりにすれば「テンポが悪い」と怒られる。いろいろなキャラクターを登場させると「散漫になってるから、もっと数を絞って欲しい」という要望が来て、ひとりにスポットライトを当てると「世界が狭い」と罵られる。
そんなものなんです。
それに、読者はひとりじゃない。大勢いるんです。様々なタイプが存在していて、それら全ての読者を同時に満足させる方法などありません。
「必要だな」と思った部分を残して、そうでない部分を切ると、「あそこは切っちゃダメ!」とか「ここは無駄が多い」という声が飛んでくる。しかも、残して欲しい部分と切って欲しい部分が人によって違うのです。「だったら全部やろう!」とすると、今度は連載が長期化する。
「何を残し、何を切るか?」
それは永遠のテーマとも言えます。
読者にとって「作者がどんなに努力したか?」なんて全然関係ないんです。
「どれだけお金をかけたか?」とか「何百人で力を合わせて作ったか?」とか「何千時間かけたか?」「どれだけ一生懸命に努力したか?」など一切関係なく、ただ単に「出来上がった作品がおもしろいか?ツマラナイか?」だけで判断されてしまう非情な世界。
でもね。「だからこそ、おもしろいし、やりがいがある!」とも言えるのです。
それら全てを引っくるめて考慮に入れて、現時点で自分にできるコトを全力でやりました。
ただ単に楽しいコトがやりたかったわけじゃないんです。「ちょっとおもしろいコトがやりたい」ではなく、「ツラい日も大変な日」もあるのだけど、それでも最終地点を目指して戦い続け、旅を続けてきました。
「楽しいコトがやりたい」は「楽しくなくなったらやめる」と同義なんです。それでは長編は完成しない。
そういう意味で、創作は結婚生活に似ているかもしれません。
ほら?「健やかなる時も、病める時も」って誓いの言葉があるでしょ?アレと同じ。目の前で楽しいコトだけ追い求めていたら、結婚なんて長続きしないんです。
ヘイヨーさんが目指してきたのは、目の前の楽しさではありません。そうではなく「いかにして能力が上がるか?」
今回も108話(結果的には「プロローグ」と「エピローグ」を含めて110話)の絵本を完成させて、新しい能力を身につけました。
それにより、確かに選択肢は増えました。「小説」だけでなく「絵本」や「マンガ」や「アニメ」も作れるようになりました。さらに手を伸ばせば「ゲーム」だって作れるかもしれません。
それらの能力を極めていけば、また1歩「究極の作家」に近づくでしょう。
けれども、選択肢が増えたがゆえに、ここから先どっちに向かっていけばいいのかわからなくなってしまったのです…
選択肢
究極の作家になるために…
→ 小説を書き続ける
→ 絵本作家を目指す
→ マンガ家になるためにひたすらマンガを描いて暮らす
→ アニメ監督になるために本格的にアニメを作り始める
→ ゲームクリエイターになるための勉強をする
どれかを選んでください
※人生という名のこの物語は、あなたの選択によって今後の展開が変わっていきます
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