便利は危険、安全は不便
「コロナで世界を学ぶ」第22回。
今回はちょっと別の視点から物事を見てみましょう!
メリットとデメリットは表裏一体
ウイルスとの戦いで、何が難しいかというと…
「メリットとデメリットは常に表裏一体」ってコトなんです。
たとえば、マスクをするのってめんどくさいでしょ?息は苦しくなるし、顔はかぶれるし。だから、できればしたくないんです。
ヘイヨーさんだって、したくないですよ!
でも、みんながマスクをしなくなると、感染が広がってしまう。
あるいは、ワクチンも同じです。
ワクチン打つのって怖いですよね?打った人の中には、死んじゃう人もいるし。だからといって、誰もワクチンを打たないと、いつまで経ってもこの状況は変わりません。
飲食店が休業したり、営業時間を短くしたり、お酒の提供をやめたり。それでも感染者が増えてきた時には、緊急事態宣言を発令して感染者を減らす。
ず~っと、この繰り返しです。あと何年でも!ウイルスが弱毒化するまで、何年でも耐え続け、待ち続けないといけません。
何もかもがこの調子。世の中ってのは、1つの行動に2つの側面を持っているんです。だから、一方的な物の見方しかできないと、解決できない問題があるんです。
「マスクめんどうだから外しちゃえ!」とやると、確かに便利にはなります。でも、同時に感染する確率は格段に上がります。
ワクチンを打てば、わずかな確率で死亡することがあります。大体、10万件に1件くらいですね。でも、代わりにウイルスに対する防御力は上がります。
この2つを天秤にかけながら、「どっちが生き残る確率が高いかな~?」と判断してるんですね。
欲望と理性の戦い
これを別の言い方をすると「欲望と理性の戦い」だとも言えます。
たとえば、「お酒を飲むと楽しくなる」でも「翌日、二日酔いで頭が痛くなってしまう」でしょ?場合によっては、アルコール依存症になったり、急性アルコール中毒で病院にかつぎこまれたりするコトもあるでしょう。
だから、「お酒は適度な量にとどめておこう」となるわけです。
「マスクをすると、息が苦しくなる」でも「コロナに対する防御力は上がる」というのも、これと同じ構図ですね。
個人と社会は別
もう1つ。さらに別の視点から見てみましょう。
マスクをしたり、手洗い・うがいを徹底したり、感染対策って「個人の問題」なんです。ところが、同時に「社会の問題」でもあるんです。
だって、1人がコロナに感染したら、他の人にもうつしちゃうでしょ?
「自分さえよければ、それでいい?」なのか「いやいや、他の人のコトも考えないと!」なのかによっても、答えが変わってきます。
基本的に、現代社会は自由を尊重した仕組みになっています。
「マスクをするのもしないのも個人の自由だから、それぞれの人の判断に任せよう!」といった感じで。
これをやったのが、アメリカやイギリス。
ところが、結果的に感染が拡大して、途中からマスクの義務化が始まります。何もかもを個人の判断に任せてしまうと、上手くいかない時があるんですね~
ワクチンの義務化は是か?非か?
ワクチンの接種も、基本的には個人の意思にゆだねられています。
けれども、そのやり方だと、いつまで経っても接種率が上がらない国や地域が出てきます。そこで、フランスのようにワクチン接種を義務化する国が現れるんですね。
ワクチン選手を義務化した方が、国や世界は安全になっていきます。代わりに「個人の自由」は踏みにじられていきます。
では、「どこまで法律で規制するのが許されて、どこからが個人の自由に任せられるのか?」
この線引きは非常に難しいと言わざるを得ません。
平常時と緊急時は対応が別
1つの考え方として、「平常時と緊急時は対応が別」というモノがあります。
何事もない普段の生活では、できるだけ個人の自由に任せ、パンデミックのような緊急時には、国がリーダーシップを発揮して強制的に行動させる。このような方法ですね。
もちろん、ここにも問題はあります。「国の判断が間違っていた場合」です。
「コロナは風邪みたいなモノ!」と断言し、「マスクもしなくていい」と大々的に宣言したトランプ大統領は、アメリカの感染を広げてしまいました。
同じようにワクチン接種を進めない人がトップに立っている国は、感染率や死亡率が高いままです。
仮に、コロナに対する対策が正しかったとしても、中国のように「国の力が強過ぎたり監視社会である国」が幸せとも限りません。
この辺、なかなか難しいモノですよね~
便利は危険、安全は不便
結局のところ、「便利は危険、安全は不便」なんです。安全に暮らそうと思ったら、どこかを我慢しなければいけないし。自由を謳歌しようと思ったら、常に危険がつきまといます。
その上で、「なるべく安全で便利な位置」を見極めて、バランスを取りながら生きていくしかないんですよね。
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。