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「7つの壁」と「修学旅行」

中学3年生になってからも、母親からの執拗な攻撃は止みませんでした。なにしろ、学校の成績は下がるばかり。

それはそうです。少年にとって人生における最大の目標は「学校の勉強ができること」だったり「テストでいい点を取ること」だったり「一流の大学に合格すること」ではないのですから。そこから最も遠い場所にあるとさえ言えました。

少年の持つ特殊能力「マスター・オブ・ザ・ゲーム」は、すでに「世界最高の作家となり、今後数百年に渡って読み継がれる物語を世に生み出すこと」というクリア条件に向けて、全能力を使い始めていました。その為には1秒だって無駄にはできません。作家になるのに関係ない作業はどんどん削除されていきます。


この頃の少年は防御一辺倒。父親や母親に向かって反撃することは許されません。「親の言うことは絶対」であり「正しいのは親の方。間違っているのは子供」に決まっているのですから。

それでも、いくらか反論することもあるのですが…

最後は「親の世話になっているクセに!」「そんなに文句ばかり言うなら出ていきなさい!」の言葉でやりこめられてしまうのです。

世の中には、「決して使ってはならない言葉」というのがいくつかあります。禁呪とでも言うべき言葉です。一度でも使えば、人の心が破壊されてしまったり、一生癒えることのない心の傷を負ってしまう攻撃呪文。

この母親は、そのようなコトは一切考えず、禁呪を何度も使いました。何度も!何度も!何度も!

そのような環境下で育った子供がまともな姿に成長するはずはありません。仮に能力的には飛び抜けたものを持ち合わせていたとしても、性格的には
心のねじ曲がった大人になってしまうものです。

少年は、心のある部分で純粋さを保っていました。良心のカケラも持ち続けました。けれども、別の部分では世界中の誰よりも深い深い闇に飲み込まれていってしまいます。

それでも、この頃はまだマシでした。「社会的規範」や「人間として超えてはいけない一線」のようなモノをかろうじて保ち続けていたからです。それに、「夢に出てくるあの女性が、いつか自分の人生を救ってくれるかもしれない」のです。そのわずかな希望にすがりながら、ずっとその日を待ちわび暮らし続けるのでした。


少年は、自分の夢や理想を守るために、防御の壁をいくつも作り出します。外界から迫りくる執拗な敵の攻撃から身を守るため、いわば自然発生的に身につけた防御システムです。

「バリア」(攻撃を防ぐ。防ぎきれなかった攻撃はダメージとなる)
「ミスト」(霧を発生させ、相手を煙に巻く)
「クッション」(防ぎきれなかったダメージを軽減する)
「リフレクター」
(敵の攻撃を反射する)

のちに「敵の攻撃や悪意を吸収する壁」も身につけることになりますが、この時はまだ持ち合わせていませんでした。

少年はこのような壁をいくつも作り出し、使い勝手の良いものを選び出して、自分の身の周りを取り囲むようになります。彼は、それらの防御壁に「7つの壁」というネーミングをつけました。

便宜上「7つ」という名前がついていますが、実際にはもっと多くの壁が存在します。あるいは、同時に発動できるのが「7つまで」という解釈もできるかもしれません。


それらは、元々空想の世界で生み出された物語の設定に過ぎません。ところが、ここに来て空想の物語が現実世界に影響を与え始めたのです。

「この夢の世界だけは守らなければならない!物語の世界だけは絶対に!何があっても必ず!」

能力は想いの強さに応じて、その威力を増し、ハッキリとした姿を形作っていくもの。少年の強い強い想いは、現実の世界に「心の壁」となり具現化していったのです。

         *

中学3年生の時に、修学旅行がありました。クラスメイトには仲のよい子が何人かいました。

ところが、少年はそんな仲のよい友達とは全然関係ない人たちのとこに行き、さっさと修学旅行の班を決めてしまったのです。

読者のみなさん、この時の彼の心理がわかりますか?


なんと!彼は「自分は仲のよいメンバーに入れてもらえないかもしれない」と考えたのです。端から見れば、それはトチ狂った行動に見えたでしょう。事実、その通りでした。

少年には、このような奇行とでも言うべき行動を取ることがよくありました。それらは全て「自らの自信のなさ」から来ていたのです。

「自分に自信がない」「選ばれないかもしれない」「幸せになってはいけない」という思いから、わざと仲の良い友達を避けたり、あえて幸せになれるルートを回避してしまう。

もしかしたら、そういった心理は、生まれ持った性格だったのかもしれません。でも、それ以上に可能性が高いのは、あの母親の影響でした。子供の頃から叱られて育った子供は、自分に自信がなくなってしまうのです(あるいは、逆に自信過剰になってしまうか)

…というわけで、中学の修学旅行は、あまり楽しいものではありませんでした。

         *

こんな風にして、少年の中学生時代は過ぎていきます。

ちょっとばかし…(あるいは、かなり?)同年代の普通の子とは違う人生を送り、違うモノの考え方や感じ方をしながら過ぎていった少年時代。

果たして、何が悪かったのでしょうか?

母親や父親の言う通り「努力や根性が足りなかった」のでしょうか?

もちろん、無理をすればそれも可能でした。全てのプライベートを捨てて勉強に没頭すれば、きっと周りの大人たちが望んだ通りの子供になることができたでしょう。

少年自身、それが親や先生や世間の人たちの望みだとわかってはいました。でも、そこまですると、自我が崩壊してしまうということもよくわかっていたのです。そこまでして、「大人の理想」や「世間の常識」に合わせる必要があったのでしょうか?

「自分自身の夢」と「周りの人々が望んでいる理想の人生」を天秤にかけ、それ以外の様々な出来事や思惑を全部頭の中に入れて分析解析しつつ、自らの人生を決めていく。少年はそのようなコトをやってのけていたのです。

わずか10代の前半だったというのに…


さて、いろいろなコトで忙しかったけれど、それでも比較的ゆったりと過ごすことができた中学生時代。その時代も、そろそろ終わりを告げようとしています。

そして、ついにその人生でも最も過酷であった「高校時代」が訪れるのでした。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。