わたしの芸術私論
わたしのいる界隈では、「有産」「無産」という言葉が使われていた。「有産」とは、創作物を作る人、「無産」とはそれをただ見るだけの人のことである。今回はなんとなくそこらへんの話をしたい。
そもそも芸術とは何か?普段我々が暮らす生活の中で、飯食ったり、寝たり、糞したり、働いたり、ってするのは生きるために必要なことじゃないですか。性欲なんかも、生きるためには必要ないにしても、種族を残す上で必要だと思うんですよ。
で、そこで「芸術」って、無くて困りますか?たしかにそれらに心を支えられている人もいますが、べつになくても死ぬわけじゃない。「芸術」っていうのは、そう言った本能や生存によって存在を肯定されない、いわば「無価値」なものだと思うのです。
いやいや、わたしは別に芸術家たちに喧嘩を売りたいわけではありません。むしろ逆です。
価値が本来ないものに価値を見出す、それによって芸術に価値が発生しているんです。芸術は盤石な絶対的な価値があるわけでは無く、一人一人が価値を見出しているのです。わたしはそのプロセスが素晴らしいものだと思っています。
転じて、私は「芸術」というものは、単に何かを作ることでは無く、なんらかのものに価値を見出す、価値の創造、それこそが芸術だと思うのです。
だから、絵や曲なんかを作るだけで無く、素直な気持ちで例えば自然を美しいと感じること、そのプロセスそのものも一つの芸術だと思うのです。
そこから転じて、芸術家が芸術を創作することと、その絵を誰かが見て何かを感じることは、本質的には全く別の芸術であり、関係ないとまでは言いませんが、区別されるべきものであると考えています。
芸術家が作ってあげているからそれを見ることができるのだと考えも、それを見る人がいるから芸術に価値が生まれるというのも的外れな考えだと思うのです。
芸術は自身とものとの関係で生まれるものであり、そこに絶対的な形で存在しているものではないと考えます。ある人にとっては芸術であっても、別の人にとってはただのゴミということもありますしね。
大切なのは、素直な目で芸術をはじめとした様々なものを見て、なににも囚われず自分が素晴らしいと思うものに素直に感嘆することだと思います。その行為こそが芸術という行為の素晴らしさを作っているのです。
自身が製作をしていなかったとしても、絵一つ一つに価値を感じる、その行為が芸術なのだと私は思うのです。