不登校って悪い事じゃないよね。でも受け入れるまでがハードル高い。
息子が不登校になった時、それを職場や友達に話す勇気がなかった。
たぶん「当たり前」や「普通」から外れたくなかったんだと思う。
そして「かわいそう」って同情されたり、バカにされたくなかったんだと思う。
でも隠してるって苦しい。他人に家族の話をペラペラ話すタイプではないけど、なんだか苦しかった。
親同士、会うと決まって「息子どう?」って聞かれる。親同士の会話のほとんどは子供の話。
スルースキルを使って、うまく交わしてたけどどんどんスルーできなくなってきた。なんだか苦しいし。
親友に意を決して話してみた。
そしたら「別に悪い事してるわけじゃないじゃん。」だって。
職場の人にも意を決して話してみた。「大変だったね。」だって。
あれ?思ってた反応と全然違った。
本当の所はどう思ってるかは、わからないけどなんだか気持ちが楽になった。
隠してるって、良く考えたら、息子に失礼だよねー。苦しかったのはこれか。
この事で、自分自身が不登校に対して偏見があった事や自分が人に良く見られたいって欲があった事、1番大切なのは、そんなくだらない事よりも私や息子が幸せで楽しく暮らせる事だってわかった。
そして思ったより、他人は私達に良い意味で無関心だし優しいって事も。
不登校を受け入れるってなかなかハードルが高いけど、それを超えたら、結構良い事が多かった。
不登校を親が受け入れられない理由はやっぱり、子供の将来への不安。だって子供には安定した生活を送って欲しいから。そして親の見栄なのかもしれない。
家にこもってゲームばっかりしてる息子を見ていると、「この子、将来どうなっちゃうの」って不安が募ったし、不安から小言も言いたくなった。てかたくさん言っちゃってた。「あれ?怠けてるだけ?」って思う事も何度もあった。
もしかしたら子供を甘やかしてしまっているだけかも知れない。いやいや、子供の辛さを理解しなきゃいけない時なのかも。
今の自分達は、どちらにいるのか。
その見極めが難しくて、たくさん悩んだ。
でもよくよく考えたら、楽しけりゃ自分から学校いくよなって。楽しくないし、辛いから、「普通」から外れるっていう、大きな決断をして休んでいるんだって思い始めた。
大人だって、辛くて辛くて仕事辞めたりするじゃん。なんで子供は逃げたらダメなんだろって思うようにもなった。
自分の思考が徐々に変化していって、周りの人の目を気にするのはやめて、どんな息子でも愛しい我が子に変わりはないし、せっかくなら人生を楽しんで欲しいって思うようになった。
不登校になる理由は人それぞれだけど、辛いことって、大人になっても覚えてたりするものだよね。
大人になってからも「辛い事」に縛られて苦しんでる人も多い。そんな人を職業柄近くで見ていると、そんな思いが続くぐらいならみんなと同じ道を外れても、良いのかもしれない。って思った。
不登校は正直大変な事も多い。不登校をおすすめはしないけど、そんな選択肢が必要な時もあるよねって話。
別に悪い事してるわけじゃないしねー。わたしはこの言葉に随分と救われたー。
学校に行けない子の中には、自分に価値がないとか思ってる子もいるかもしれないけど、そんな事であなたの価値はなくならないよ。
今は休憩が必要な時。今まで頑張ったんだから今は休んで、体力のゲージが溜まったらまた自分らしく、色々な事やってみたら良いとおばさん思います。