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【試し読み】高市早苗(衆院議員)×小川榮太郎「志、いよいよ固し」

【初出:『湊合』令和六年冬号(2024年12月刊)所収「特集 政治の混迷――求心力が日本を救う」より】

総裁選を振り返って

小川 高市さん、自民党総裁選では初回投票第一位を獲得し、党内地歩を大きく固められましたね。総裁選で立候補に至った経緯から伺っていきたいと思います。

高市 三年前にも総裁選挙に出ておりまして、訴えていた政策も大して変わらないものでした。何が何でも国家経営に携わっていきたいという強い思いですね。実現したい政策は明確ですし、この三年間、自分なりに活動をしてきましたので。

 ただ、総裁選挙というのは出られるかどうかギリギリまで分からない。その時に何が政治の主要なイシューか、それに合った人が総裁になるという判断もある。負け組になると人事で冷遇されますから、勝てるか負けるか分からない人に推薦人として名前を出してくださる現職の国会議員が二十人もおられるかどうか、ギリギリまで分からないわけです。特に私は無派閥で長く来ましたので。本気で出るぞという意思を固めたのは八月の後半です。岸田総理が総裁選挙にお出にならないとおっしゃった後ですね。

 挑戦したい気持ちは三年間変わらずにありましたが、岸田内閣の閣僚でもありましたので、岸田総理が続投されるということであれば、私が閣僚を辞して内閣の小規模改造が必要になるという大迷惑をかけてまで総裁選挙に出ることなど不可能ではないかという懸念はありました。

小川 前回総裁選は安倍さんがご健在でしたから、高市さんの出馬の判断の時には安倍さんのところに確認に行かれたというふうに伝わっています。

高市 私は安倍総理にもう一回出てほしいと思っていましたので、そのお願いにあがったら、「去年辞めて今年出られる訳がないだろう」と怒られ、「菅さんに頑張ってもらっているのだから、自分は菅さんを応援する」ということで、にべもなく断られました。

小川 しかし、それがきっかけになって、お出になった。前回は結局菅さんが出馬されず、安倍さんが高市さんを応援するということで、健闘されたとみんな思っていた。でも今回の総裁戦は、安倍さんも亡くなっておられる中で、大変な乱戦でしたね。

高市 本当ですよね。九人が立候補ってすごいですよね。

小川 何はともあれ、それだけ厚みがある、人材のある党なのだと示せたとは思います。その中で、初回投票一位になったというのは大きいですよ。

高市 三年間、全国各地で講演にお招きいただいたところは土曜日、日曜日、祝日、東京都内や東京近郊でしたら平日の夜を使ってずいぶん回りました。直接党員の方にお話をする機会がずいぶんありました。その分、自分の選挙区の奈良二区にはほとんど帰れなかったので、有権者の皆様には失礼なことで申し訳ない思いがありましたが、全国各地で、直接話を聞いていただくことができました。

小川 議員票においても結局は派閥があった。そういう中で、議員票も含めて票を集めたのだから、党内の第一人者に今回はっきり踊り出たと思いますよ。

高市 ありがとうございます。三年間で、自分で集めた党員も多かったですからね。あちらこちらで講演を聞いて入党したいと連絡をくださる方々には、入党用紙をお送りして、可能な限りお住まいの場所の小選挙区の国会議員の支部党員になっていただきました。でも、東京都はとても多くの方々に入党していただきましたので、小選挙区ごとに分ける作業が追い付かず、自民党東京都連に入党用紙と党費をお届けしました。私が講演でご縁をいただいた党員の方々から国会議員へのお声がけがあったのかもしれません。

小川 高市さんの強みの一つは演説や講演ですね。高市さんの言葉の力、あるいは政策を語る力が、多くの人を惹きつけてきた。私の周りでも話を聞いてファンになった人が多い。国家観や政策を語って、この人応援しようと思われるのは、当たり前と言えば当たり前だけど、まだ日本ではそんなに当り前のことになってはいない。今回も総裁選の期間中に、高市さんの支持率はぐんぐん伸びた。人前で語る機会、テレビに映る機会が増えれば増えるほど高市票は伸びた。これは重要ですね。マスコミは政治家のことを、角度を付けて報道しますが、今、国民が政治に真に求めているのは政策力なのだということを示しているのだから。

安倍・岸田総理の下で務めた役割

小川 高市さんは安倍政権以降、ずっと主要な役職を歴任されました。でも、実は菅政権ではお休みなんですよね(笑)。

高市 ええ、丸一年間、無役でしたから(笑)。

小川 それに対して岸田さんは高市さんを重宝しました。

高市 安倍総理にも岸田総理にも大変感謝をしています。安倍総理の時は最初、政調会長を二期やりましたので、党でお支えしていた期間がわりと長かったですよね。その後、総務大臣も長期間やらせていただきました。

小川 両方とも長期でした。安倍さんが第二次政権で復帰されて、最初に高市さんに政策づくりを託された。これは政策立案においての期待値が高かったからだと思うのですが。

高市 安倍総理と私の場合は、やりたいことがとても似通っていたので、党での政策構築や法律案の審査も苦労しませんでした。安倍総理がやりたいことは分かっていたので、それらの政策を党でフォローできる調査会や特命委員会などを新たに作りました。政権がやろうとしていることを党で審査して合意を取り付ける会議体をしっかりと立ち上げて支えたというだけで、そんなに苦労はしなかったです。ただ、政調会長の時に行った人事については先輩議員たちからだいぶ怒られましたけどね。

小川 怒られたというのは、具体的には?

高市 各派閥から人事の推薦の紙が来るんです。それは全部廃棄して、自分でこの人はこういう分野が強いからこれをやってほしいということで、自分で人事をやったんですよ。一番怒ったのは、確か清和研の会長でした。他の派閥の意見も聞きながら、部会長などの人事を全て当てはめた紙を、私が人事作業に入る前に渡してくださったんですよ。拝見しましたが、これは適材適所ではないと感じたんです。その政策分野を担当する役所の官僚と渡り合えるとか、その分野で実績があるとか、そういう議員でないと任せられない。自民党の部会長というのは、部会の平場で反対意見が出なくなるまで根性を入れて取り組まなきゃいけないポストですから。

小川 反対意見に対するその姿勢は、自民党の大事な伝統ですよね。多数決ではない。

高市 そう、多数決ではない。例えば、最後の反対者が反対し続けて、三時間ぐらい経って、もう疲れ切って出て行って、最終的に部屋には一人か二人しか残っていない状態で決を取るとか。それくらい部会長は頑張らなきゃいけない。あとは部会長一任を取り付けられるかどうか。ですから、人事にはすごくこだわった。

小川 高市さんは調整型じゃないから(笑)。

高市 ええ。私が廃棄してしまった紙は、町村信孝先生が、不慣れな私を助けるために気を利かして、他派閥の意見も聞いて、まとめてくださったものだと思います。そのご好意を無駄にしてしまったので、完全に嫌われちゃいましたけれども。

小川 安倍さんは何とおっしゃっていたのですか。

高市 安倍さんからは何にも。番記者たちは呆れていましたね。「そんな壮大なパズルを作るような作業をよく一人でやりましたね」と。何しろ、人事案を握り潰した責任があるので、党に所属する全ての国会議員のデータを自分で作ったのですよ。とても分厚いやつ。今までの議員立法の実績とか、委員会での発言内容とか、経歴とか見ながら。

小川 それはえらいことやりましたなぁ。

高市 そうなの。国会議員辞典みたいなものを作った上で、考え抜いて、役職を当て込んでいきました。ただ、軋轢はあった代わり、政調会は思った通り、みんなすごく張り切って頑張って、結果を出してくださいましたね。

小川 岸田内閣の時はいかがでしたか。

高市 岸田内閣発足時の政調会長は、何しろ岸田総裁が直前まで総裁選挙で戦っていた相手でしたので、当初は岸田総裁の政策を咀嚼できておらず、色々と苦労がありました。すぐに衆議院を解散するという連絡をいただき、政調会長に任命いただいた日から三日間で衆議院選挙の政権公約の原案を作らざるを得なくなりました。でも、選挙が近いから政調会の役員も選挙区に帰っておられて、一人でパソコンに向かって三日徹夜しました。原案を岸田総裁にお見せして修正した後、全ての部会長と政調会幹部に集まっていただき審査し、総務会でお認めいただき、印刷に回しました。就任から五日間で党内手続まで終えても、公約集が全選挙区に届いたのは公示日ギリギリでした。安倍内閣の時も岸田内閣の時も同じ政調会長ですが、いずれも総裁の政策を党としてどれだけ反映できるか、そこは苦労しました。

小川 安倍さんとは何しろ平議員の時からずっと同じ釜の飯を食ってきているわけですからね。岸田さんの場合には、そこが違うのに、逆に言うと、それでも自派閥からでなく高市さんを政調に岸田さんが抜擢したのは興味深いな。岸田さんは安倍政権最後の政調会長でしたし、高市さんの前回の政調会長時代を知っていて抜擢されたわけですからね。実際、公約をよく短期間にまとめられましたね。

高市 そうですね。衆議院選挙の時は大変でしたが、その後、岸田総裁や周辺の方々からお話をうかがいながら理解を深め、翌年の参議院選挙の公約も無事にまとめることができました。大変いい経験をさせていただきました。

経済安保担当相として

小川 そのあと今度は、政調会長に続いて経済安全保障の担当大臣に任じられましたが、これも随分力を入れてお仕事をされていたようでしたね。

高市 三年前の総裁選挙の時に自分が訴えていた政策を、大臣としての所掌範囲内のものは、この際やってしまおうという思いでした。三年前は、まだ生成AIは登場していなかったけど、AI搭載製品とデータセンターが増え始めていて、これから電力の供給量が不足していくということは分かっていました。だからSMR(小型モジュール炉)など次世代革新炉とフュージョンエネルギーの早期実装が必要だということを訴えていました。科学技術政策の担当大臣でもあったので、昨年四月に、日本初の核融合戦略となる『フュージョンエネルギー・イノベーション戦略』を策定し、英語版も公表しました。そうすると、日本の核融合分野のスタートアップに多額の投資が集まるようになりました。

 他方、経済安全保障版のセキュリティ・クリアランス制度を創設したいということを大臣就任直後に発言しましたが、これはかなりハレーションがありました。官邸幹部から懸念の声が出たと聞きました。

小川 どういう懸念ですかね。

高市 安倍政権の時の『特定秘密保護法』に近い内容ですから。安倍内閣の時には、大反対運動が続きました。官邸前のデモもあり、野党の反対もあり、政権が大変な目に遭いましたからね。『特定秘密保護法』は、日本の情報保全制度を構築するものでした。外交、防衛、テロ防止、スパイ防止の四分野に関しては、政府の調査を受けて信頼性の確認(セキュリティ・クリアランス)を得た者だけが重要情報を取り扱える制度です。人を調査するわけですから、個人のプライバシーを侵害するという理由で反発が出ます。

 しかし、『特定秘密保護法』が出来たおかげで、北朝鮮のミサイル情報なども、同盟国や同志国から、格段に質の高い情報が迅速に日本に提供されるようになりました。情報を漏らした場合の最高刑は懲役十年です。同盟国や同志国は、自国と同等の情報保全制度を整えた日本に対して、安心して機微な情報を提供できるようになったわけです。

 それと同様の法律が……


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