小川榮太郎の“日々是憂國” 令和6年1月10日
私の素朴な常識を言うなら示談というのは金でトラブルを解決するという事だ。それはなかったことになる。なかったことになるということは、なかったという事である。
それが実はあったとなったら示談という概念が成立しない。それなら金を受け取らずに告発するしかない。金は受け取った、法的に示談が成立した、しかし金を払った側が社会的に扼殺されるという話が成立してしまったならば、今後日本社会は猛烈な嚙みつき合いでトラブルを解決する時代になるという事だ。噛みつき合いになると分っていれば金と社会的パワーを持つ側は新しい自己防衛を図るだろう。それは新しい次元のより陰湿な暴力による自己保身になる。
私のようにパワーと無縁の人間にはそれこそ無縁の話だが、金で黙らせる示談が信じられない社会になるとパワーのある側は新しい保身手段を必ずすぐ考えると思うよ。弱者の側に望ましくない手段をね。最初から示談に応じないというならいいんですよ。しかし約束して払った金の力が意味ないとなったら、より道徳的になるのでなくより狡猾で残酷になるでしょう。残念ながら人間はそうしたものです。
こんなことを書く私はバカなのだが、書かずにより狡猾になる事をただちに考えている一群の人達がいる。人間の悪は、私のような素朴な人間からは想像が付かないほど根深く陰湿で巨大である。
(小川榮太郎Facebook https://www.facebook.com/eitaro.ogawa より転載)