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エデンのパン「マナ」 エデンの園⑤
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回はエデンの園シリーズの第5弾です!
天から降ってきた「マナ」のパンとエデンの園の関連性について考察していきます。
天から降ってきてたパン「マナ」
出エジプトをしたイスラエルの民は、エジプトの生活を懐かしんで次のような不平を言います。
イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に連れ出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」
聖書 新改訳2017
このことに対して登場するのがマナのパンです。
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを試みるためである。
聖書 新改訳2017
マナのパンってどんなものだったのでしょうか?
聖書の記述によると、
それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのようであった。
聖書 新改訳2017
とても美味しそうですよね!
教会でマナのパンの話を聞いた時はいつも「どんな味だったのだろう?」と考えたものでした。
エデンの園を連想させるマナのパン
「マナ」のパンとベドラハ
次に、民数記の記述をみてみると
マナはコエンドロの種のようで、一見、ベドラハのようであった。
聖書 新改訳2017
「マナ」のパンがベドラハのようであったと記されています。
ベドラハ??
となりますが、聖書内でベドラハが登場する他の箇所に注目してみましょう。
調べてみると、ベドラハは「マナ」の記述を除いて、一回のみ天地創造の記述の中で登場することが分かります。
第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
聖書 新改訳2017
様々な解釈はありますが、ハビラをエジプトとして考える学説があります。(詳しくはこの記事)
マナのパンは
エジプトの生活を懐かしんだイスラエルの民の不平への直接的な解決として読み取れます。
そして、エデンの園から流れ出た「ピション」の川がハビラへと流れていったことから、「マナ」のパンとエデンの園に繋がりがあるとも解釈できそうです。
「マナ」のパンと天地創造の7日間
面白いことに、天から降ってきた「マナ」のパンと天地創造の7日間にも関連性があるように感じます。
「マナ」のパン
心せよ。主があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。だれも自分のところから出てはならない。」
聖書 新改訳2017
イスラエルの民は毎朝、天から降ってきた「マナ」のパンを1日分集めていくわけですが、6日目には2日分集めるように命じられます。
天地創造の中で神様は7回「良し」とされますが、
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
聖書 新改訳2017
6日目(7回目の「良し」)は「非常に良し」とされています。
そして、
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
聖書 新改訳2017
7日目を祝福され、安息されます。
10の災いの後の再創造
聖書の「10」 聖書のことば遊びにて書きましたが、
出エジプトの10の災いは天地創造の神様の10の言葉と比較されています。
有名なモーセの海渡りの場面(出エジプト記14章)で、1,2,3日目の創造を連想させ、そのすぐ後ににこの「マナ」のパンの物語(出エジプト記16章)が記されています。
天からの「マナ」のパンも、モーセの海割り同様に、天地創造を連想させるように感じます。
キリストと「マナ」のパン
新約聖書においてキリストがパンを増やす奇蹟が記されています。
ヨハネによる福音書をみると
それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。
私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
聖書 新改訳2017
「マナ」のパンとキリストの奇蹟にも関連性があると分かります。
関連性があるどころか、キリストの十字架が生命の木を表すように、(詳しくはこの記事)
天からの「マナ」のパンはキリストのひな形(預言)であるということです。
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
聖書 新改訳2017
最後に
マラの苦い水と1本の木にてエリムという場所について紹介しましたが、「マナ」のパンの場面もエリムのテーマと同様に
一時的にエデンを味わうという意味が込められているように感じます。
このように考えると、ユダヤ教の安息日、後のキリスト教の聖日(日曜日)は神様によって一時的にエデンを味わうというという意味が込められて定められたのではないでしょうか?
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