ヒゼキヤの宗教改革 聖書考古学③
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は聖書考古学シリーズの第三弾です。
テルアビブ大学にて研究をしていたヒゼキヤの宗教改革について紹介します。
ヒゼキヤの宗教改革
ヒゼキヤはユダ王国を治めた紀元前8-7世紀頃の王様です。
旧約(ヘブライ語)聖書の列王記や歴代史を読むと、ユダ王国・北イスラエル王国の王様たちのリストがあります。
ほとんどの王様は神様の目に悪であることを行ったとされています。
その中で神様の目にかなうことを行った王様としてヒゼキヤ王がいます。
列王記第二の18章と歴代史第二の31章を読んでみると
ヒゼキヤ王は
・高い所を取り除いた
・石の柱を砕いた
・モーセの青銅の蛇を砕いた
・アシェラ像を切り倒した
とされています。
ヒゼキヤ王は偶像礼拝が当たり前になっていたユダ王国をもう一度神様に立ち返らせようと宗教改革を行いました。
ヒゼキヤ王の印象
2009年に行われたエルサレムの発掘で13mm程の印章が発見されました。
その印章を読み解くと
と書かれていることが分かりました。
聖書の記述通りにアハズ王の子であったヒゼキヤ王が実在したということを証明する発見として大変話題になりました。
ヒゼキヤの宗教改革と聖書考古学
ヒゼキヤの宗教改革について数多くの研究がされてきました。
その宗教改革が本当に起きたのかということを探すために、以下の3つの発見が主に議論されています。
アラドの神殿
べエル・シェバの祭壇
ラキシュの門の神殿
アラドの神殿
こちらの写真はユダ王国時代のアラドの神殿の至聖所(神様と一番つながる場所)の様子です。
この至聖所の「二つの香壇」と「石の柱」が意図的に倒されて埋められている状態で発掘されました。
この発見に対して色々な主張がありますが、その一つとして、ヒゼキヤ王の宗教改革によって神殿の機能が失われたのではないかというものがあります。
べエル・シェバの祭壇
こちらの写真はベエル・シェバの祭壇の様子です。
アラドとは違って、ユダ王国時代のベエル・シェバの町中に神殿は見つからなかったようで、町の外で儀式などが行われていたのではないかとされています。
この祭壇がバラバラにされ、壁などのために再利用されている状態で発掘されました。
ヒゼキヤ王の宗教改革によって祭壇が壊されたのではないかという主張があります。
ラキシュの門の部屋にある神殿
ハツォル・メギド・ゲゼル同様、ラキシュには6つの部屋からなる門がありました。
こちらの写真はその6つのうちの1つの部屋のものです。岩のようなものが見られますが、祭壇ではないかと解釈する考古学者がいます。
この岩のかどにはベエル・シェバの祭壇のように角があったのではないかと考えられています。
また、この部屋の奥に古代のトイレ用の座席のようなものが発見されました。
このことによって、もともと神殿の役割をしていた部屋が古代のトイレになったとことで聖なる場所としての機能が失われたことを象徴するのではないかという解釈もあります。
これらのことがヒゼキヤ王の宗教改革時に起きたのではないかと主張する考古学者もいます。
最後に
実際にクラスの友人たちと一緒に今回紹介した跡地へ訪れて聖書考古学で議論されていることを学んだことはとても楽しい思い出です。
今回は3つの発見をまとめて紹介しましたが、一つ一つの発見に注目しながら聖書考古学者の間で繰り広げられている解釈を別の記事にて紹介します。
もしよければこの記事にいいね、シェア、コメント、またフォローをお願いします!
シャローム! もしよければサポートもお願いします!