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産めないなら、いらない

暴言と共に切られるように、大好きだった人と離れてから、数年が経つ。
今は、恐怖よりも感謝になり(でももう、会いたくはない笑)
そこまで愛せたことに、胸を張るような気持ちすらあって、そんな自分も大好き。

それでも、30代後半になり、子どもを産む産まないや、パートナーシップを考えるときに、その時の死にたくなるような気持ちが蘇ってきて、途方に暮れる。負けそうにもなる。

離れたのは、それだけが理由ではなくても『授からなかったから、一緒にいる必要はない』という強烈な概念は、自分自身の奥底にあった存在への虚無や、不必要感に気付くきっかけになった。
より良くないと、喜んでもらえないと、条件を満たせないと、自分には価値がないと本当は思っていたこと。

去年の春、コロナ禍でせっかく取った保育士資格も、あまり活用できないまま、消化できていなかったものを、ようやく鬱という形で表現することができた。
子どもたちや家族と関わることが、サポートが大好きなのは変わらないのに、自分が家族をどう作っていきたいのか、葛藤を抱えたまま働くのは限界だった。

その時に想ったのは、繋がった気がしたのは、昔の女性たちの、苦しみの意識のようなもの。
産んだら価値があって、産めないと価値がない。
だからこそ、産むことにも命の危険が伴って、女の子だったら落胆され、男の子だったら争いのもとになる。
日本にも、そんな時代があったと思う。

今だって、そこまでじゃなくてもそうだ。
少子化に、生産性。そろそろ、子どもや人の数だけで、国を何とかしようとする発想から離れてほしい。
幸せに生きてくれるなら、産まなくてもいいと言ってくれ。

心身の不調を治したくて、東京を出た去年の夏、軽井沢の自然のお仕事で学んだのは、倒れる木にも意味があるということ。
倒れる木があって、ようやく小さな木や、草花に日が当たるようになる。
倒れた木は、動物が川を渡る橋になり、腐ったものが土を耕す。
自然界にはどんな酷いようなことでも、調和の中にすべて在るということが、体感として溢れたときに、森の中で涙した。自然に、救われたのだ。

その後も、奄美大島でゲストハウス作りのお手伝いをしたり、沖永良部島でベトナムやインドネシアの子たちと農業体験をして、東京に戻ってからは、やむにやまれぬ蒼という幕末の舞台に参加をしたことが、今年は本当に大きかった。
無実の罪で入った牢獄から、吉田松陰を想い、希望を持って信じ続ける、高須久子さんを演じられたこと。
きっとこれからも、私の中で大切に残り続けていく。

何だか分からなくても、理解されなかったとしても、自分の命にとって、良いかもしれないという選択をして、無茶でも動いて、ひとつひとつ取り組んでも、課題が解決したわけではない。
志を生きられないのなら、子どもたちと真っ直ぐに関われないのなら、子育てをせずに、40歳の誕生日に自殺をしようと、計画を立てたときの、気持ちが消えたわけでもない。

ここからは、私が決めていくこと。
産んでも産まなくても、女性を全うして、幸せに生きていく。
男性がそばにいても、いなくても。

人に愛されて、愛して生きていく。
人間としての可能性を、最大限に開いて。
現実でも、そんな理想を生きられるように。


、、note始めなのに、重めですみません笑
日本という小さな島国で、今を生きるひとりの記録として。
読んでくれて、ありがとう。

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