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エッセイ 「コール」(2023年7月のネコ戦記)
毎月、月の終わりあたりに、その月の公募活動などをあけすけにかいています。なんてあけすけな! 恥を知れ!
というわけで、2023年7月のネコ戦記です。
ご存知の方もいらっしゃるように7月はごっそりnoteをお休みしておりました。Twitterの方も同様。SNSの完全休養です。
休んでいる間何をしていたのかというと、小説を書いていました。生活的には普段通りだったりします。むしろいつもより書いていました。
じゃあ、具体的に何、というと、以前何回かお話した星々さんのワークショップの課題に取り組んでいました。半年間で課題をもとに1万から1万5千文字の小説を1本書き上げようというものです。
記事や公募に関して、「自分は長いのが苦手」「私は短いのしか書けない」なんてことを当たり前のように言って来ました。実際にある程度の長さのものに本気で取り組んできたことがあるのか、というとNOだったりします。
多分一番まとまった文章を書いたのが大学の卒業論文(確か2万字)で、次が戯曲の公募(これも2万字くらい。落ちました)。賞をいただいたことのあるものでは8千字の人形劇台本。小説にいたっては評価をいただけているのは800字のものが最長です。
長い方が偉い、ということはけしてないと思います。私における問題は「長いモノにチャレンジできてこなかった」ということです。ある程度の長さの小説を書くには準備も根気もいるはずです。私にはその勇気がずっとありませんでした。途中で悲しくなってやめてしまうんです。書いても仕方がないと思ってしまいます。この文章が出来上がっても誰も読む人はいない。どこにも届かない。
論文と戯曲の公募をある程度の長さで書いたことがあるのは、書く必要性のあるものだったからです。論文は書き終わらないと卒業できませんでしたし、大学時代は人形劇のサークルに所属していたため、他劇団を含め、台本はひきあいがありました。書く理由があればどうにかなるなんていうのは他人任せで現金だなと思います。
社会人になった後も仕事の関係で一定のまとまったエッセイ(経済関係のもの・会社名義)を書く必要があり、それも仕事なのでなんとかやり終えることができています。そうしたことをやる度に自分がどうしようもない遅筆であることを目の当たりにさせられます。とにかく一旦多量の資料を集めてからじゃないと書き始められないし、集めたら集めたで書き写したり切りばりして、「今寝てた?」と同僚に言われつつ香箱を組んでうんうんうなり、構成を何度も何度も書き直して、それでなんとか、ようよう原稿ができあがるんです。
「私は長いの書けないよ」なんてうそぶきながら、薄々気がついていました。創作と論文は違うとか、そんなことは言い訳です。準備不足だから、書く訓練をしていないから(そして書き始めないから)、書けないんです。出来について言っているわけじゃないんだから、当然です。何日もかけていいなら平凡な人でもマラソンの距離を歩き切ることができます。いきなり世界記録を出そうって話じゃないんです。「長いの書けない」のは、長い物語を書くための準備が怖くてめんどくさいから、書いていない、私の実態はきっとそんなところだと思います。
去年名古屋の公募の表彰式で審査員の方が「小説を書くのが好きで、どうやったら続けられるのか試行錯誤していたらいつの間にか小説家になってた」というようなお話をされていたのが心に残っています。大事なのは、自分が何をしたいのかだと思う。自分の時間をひたすら削って、それでも本当に長い話を書いてみたいのか。そもそも小説を書くのが好きなのか。
私が参加しているのはワークショップであるため、1万字書き上げるというのは目標で、義務ではありません。でも、「いろいろ忙しくってできないよね。長いの苦手だしさ」とかいいながらまた諦めてしまうのが嫌でした。小説で1万字の壁を超してみたかったんです。私は。言い訳をしたくなかった。だから他のことをするのをやめました。ただワークショップの課題だけをやっていました。
またnoteを書き始めた、ということは、どうにかこうにか書き上げたということで、なかなか伝わらないかもしれませんが、こんなに嬉しいことはないんです。書ける。とりあえず書けた。ということは次もまた書けるはずで、今度はもう少し上手くなるでしょう。
準備をして、時間をかければ、1万字の壁は越えられる。1万字あればもう少し大きな公募にも出せるし、1万字越せたのならもう少し長いモノの壁も越えられるかもしれません。表現できることがもっと増えます。それはわくわくすることですね。
私は生来の臆病者で、本気を出すのがいつも怖いけど、公募に出して、結果や入選作を読む度に、そこにかけられた時間や情熱の差を痛感するんです。自分は才能の差うんぬんなんて域には達していないと思う。もっと大前提として、かけてる時間が足りないんです。部活の練習をサボりながら動画見て「大谷翔平になりてえ」って呟いてる小学生みたいなもんです。
お休みの間、日々のスケジュールやいろんなもののリストラもしてきました。今年も折り返したことですし、もう少し書くために時間をとりたいのです。
「コール」。掛金をあげましょう。せめて隣のテーブルと同じだけ。
今月はワークショップのことばかりしていて、公募に参加できていません。
第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作に選出いただいています。ありがとうございます。田中へいた名義です。
※「選外佳作」は一次通過で落選した作品の中でwebに掲載されるために選出されたもので、入賞ではありません。
結果発表ののっている号の公募ガイドでも記事がありますが、小説公募の「一次通過」は、「公募要領を満たした」ぐらいのものだと受け取っています。良し悪しは、ここから先の領域です。
まずは4千字程度の公募でビギナーズラックが消えても一次には残るように、そして1万字程度の公募を複数出せるようになる、というのが中期目標ですね。精進します。
とはいえ、とりあえずお祝い(1万字超えられたの)に、ちょっといいお肉を買ってこようと思う。行って来ます。
エッセイ No.061