ショートショート しゃべるピアノ
「君のピアノは歌っていない。」
それが最後のレッスンで先生が私に言った言葉だった。「ここは甘く囁くように」「右手は透明な滝の流れのように」。回を重ねるごとに抽象性が増した指導に辟易としていたのに、意味が分かって寂しかった。
最初の頃は褒められて楽しかった。けど次第に「表現」てやつが求められるようになった。「君のピアノはそれでいいの?」と問われて、知らない、と思った。好きでただ弾いているだけじゃ駄目なんだ。悲しかった。
大学を出て、すっかり足を洗った。金融の営業。斜陽産業だけど親戚のすすめだ。入社を喜んでくれた。実家にあるグランドピアノを処分しようか迷う。目に入る度に苦い気持ちになる。
お盆に帰省した時、戯れに弾いてみた。母が駆け寄ってきて「久しぶりね。」と笑った。「歌わないピアノだけど。」自嘲気味に答える。「私は好きよ、あなたのピアノ。色んなことを思い出す。」頭を撫でられた。「歌わないなら、喋ってるのね。」
ショートショートNo.129
ショートショートnote杯参加作です。複数お題で書く予定です。
12月10日 追記
モノ・マガジン賞をいただきました。
大変ありがたく、心よりお礼申し上げます。