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ショートショート 開幕

 お話で、アドベントカレンダーを作ろうと思った。
 今年一年、お世話になった方をそこに詰め込んで、「ありがとう」を言うのだ。
 なにしろ、インターネットアカウントなんて儚いもので、あまりここが向いていない方は、疲れていなくなってしまうだろうし、逆にここがすごく向いている方はプロになったり、はるか上に行ったりして、やっぱり声のかけられる範囲からいなくなってしまうだろうから。

 「ありがとう」は言える時にいった方がいい。「幸運であれ、幸せになれ!」も言えると、もっといい。「大好きだよ!愛してるよ!」って言えたらいいけど、ちょっとハードル高めだ。どこかにロックンローラーの魂とか売ってないかな。

 どんな人でもいつかは旅立つ。いつかはわからないので、逃す前に、はなむけを送りたい。たくさん勇気をもらったし、たくさん迷惑をかけたから。

 本当は、全部の方に言えるといいけど、体力と脳みその限界がある(しかもすごくすぐにある)ので、お話にくみこめた分だけ。

 いつ私がやめることになっても、やるだけやったし、お礼もお祝いもちゃんとしてあると思えるように。そして、逆も。どのアカウントの方がいなくなっても、お礼もお祝いもちゃんとしてあると思えるように。ここにいることなんて、きっとその方の人生のほんの一部だから。

 私が今組める、一番美しいテキストの花をみなさんにささげます。

 ん? 嬉しいかどうかは知らないよ?

ショートショート No.190

 …というわけで、明日からクリスマスまで、25本の連続ショートショートをお送りします。何度か言ったかもしれませんが、私は、向こうに誰かがいる、という気配がないと、まったく文字を書けない類の人…猫です。

 何百ものviewとか、そんなのでなくていいんです。本当は数人の友達で充分なんです。
 けれど、私の書くものが分かり易い何か(例えばミステリー小説だとか、異世界ファンタジーだとか)の形をとらないために、大抵の友人は首を捻ります。
「…これは、なに…?」
 そして、悪いことに私も何か分からないのです。答えておきましょう。
「…ええと。分からない。」
 読まされる友人がかわいそう。面白いかと思って書いてるのにこれじゃあ本末転倒です。さっと原稿をカバンの奥にしまっていいましょう。
「ところで、ご飯でも食べに行こうよ!」
良かった。なかったことになりました。

 これが公募に出そうとくると、もっと宙ぶらりんになります。まず短すぎる。そしてジャンルが何かよく分からない。受賞作例を読む度に確信だけが深まっていきます。あれ、なんか雰囲気が違うな。こういうのなんだ。ここは自分の出せる場所じゃないぞ。
 傾向と対策。求められるような「いい話」「面白い話」を書こうとしても、書こうとすればするほど、なんだかへんてこなものができていきます。最早自分でも何が何だか分かりません。ごめんよ、友達。助けて下さい。連絡先に手がかかります。そして思い出すのです。
「…これは何?」
…ええと、なんだろう。

 目の前の人の「これは何?」「私には分からない」は、気弱な書き手の心を折るには充分です。謎のものを読ませてごめんね。何だろうね、これ。

 公募がある程度通れば講評がもらえます。「子供向けのお話としては理が勝ちすぎている。」ごもっとも。「幼児向けの作品として良くできており〜」大人向きに書いたやつだよ?
 何だろうこれ。どこへ行ったらいいんだろう。荒野の一人旅。はるかに続く暗闇。何がしたいんだっけ。友達と連絡を取ります。近況。怒涛の人生論。未だ収穫もないのにテキストと遊んでいる私。

 鉛筆を削り、原稿用紙を裏返し、参考書を持って来ます。つぶやきます。忘れちゃだめだ。私は二股かけられるほど器用ではない。月末は資格試験があります。そうだ。学習し続ければ手に職が残る。自分の名前ののった雑誌をみた親族の冷たい目と、お金で揉めた家族の昔を思い出します。平和のために働き続けなくては。専門用語、目眩く数字、私を導くフレームワーク。資本主義の神様どうぞご加護を。

 そうです。逃走です。逃げ出しました。正確にはまったく書けなくなりました。今では毎日のように書いているし、台本を書いていた頃も速筆だったのに。本当にまったく書けなくなったのです。前は軽くこなせた子供用の小さな台本の頼み事さえまったく書けなくなりました。それほど、自分のテキストがどこにも居場所がない、という現実と向き合うのがきつかったのだと思います。

 そうこうしているうちに部屋にはビジネス書が積み上がり、会社で働けば働くほど取り替えの効く、だれでもいい自分を痛感し、その痛感を笑顔で隠して心を凍らせていきました。
 コロナ禍がやってきて、自宅待機を迫られ、手帳の隅に書いている、「約束したけどまだやれていないこと」を思い出しました。友達のために戯曲を書くことです。上演用ではなく、ましてや公募用でもない、純粋にその子の楽しみのために書く戯曲でした。

 読む相手がはっきりとしていたせいなのか、それとも単に暇だったのか、自分でも信じられないくらいの速度で書けました。なんだ、書けるじゃん!出来上がりを印刷して、箱に詰めて郵便局で送ります。

 友達から返事が来ました。

 今は読んでるひまがない。

 そうか。そうだよね。ごめんね。随分経ったし、色々あるし、忙しいよね。うんうん。分かるよ。分かる分かる。ごめんごめん。よくわからないことしてごめんね。

 今でも、その子の言うことの方が正しいと思います。暇に任せてそういうことができる時期と出来ない時期がありますし、人の環境も、大事にしたいものもあっという間に変わっていきます。期待にすぐに答えることができなかった私が悪く、時期を逃したのに喜んでもらおう、というのは相手にあまりに期待をかけすぎです。

 そして手元に誰も読まない戯曲が残りました。本当に、誰も読まない。

 分割して、ネットに上げることにしました。正直に言いましょう。凄く悲しかったのです。何かをせずには消化できない感情でした。
 舞台経験のない人に戯曲を読んでもらおうとすると、誰が誰だか分からなくなって読みにくい、ということをよく言われたため、人物表をつけることにしました。画像がいいでしょう。サムネイルをつけられるnoteにしました。

 現在、それ自体は掲載をしていません。読みにくいと思うので消しました。因みにデータのバックアップもありません。どこにももうない。けど、また書けばいい。書けなくても、別にいい。欲しい笑顔はもうないからです。

 既に書いたものを載せる隙間に、そのうち新しく書いたものを混ぜるようになり、今にいたります。逃走期間が長かったお陰で、僅かだけどあったはずの、長いものを書く体力は完全に失われてしまいました。けれど、何かを書けるようにはなってきたと思います。誰かが、読んでくれると、信じることができるからです。自分のへんてこな鳴き声でも、届く場所はきっとあるんだと。

 なので、noteに長々書き連ねてきたお話は、読んでくださる方がいなければ、全部存在しなかったものです。だから、みんな、みなさんのものだと思う。ショートショートも、アバターの猫も。みんな。なにもかも。

 ひとりとりにお礼を言うには随分アカウントが大きくなりました。「大きい」なんてnoteの中では言えない規模ではありますが、どこにいっても、せいぜい中枢は10人くらいのコミュニティで仕事をしてきた人間にとっては膨大な数です。ほんとうに、大きすぎるくらい。

 もしも、ここの話がちょっといいなと思って読んでくださって、しかもこれをここまで読んだ方がいらっしゃったら、猫の話も、中身も、全てあなたがいるから存在しています。年が変わる前に、お礼をさせてください。知力も技術も、できうる全てのいいところを差し上げます。お盆休みを11月ににずらされちゃった社畜の、休日をかけた大仕事です(来年はちゃんとお休みをください)。

 クリスマスの25連作、「泣き虫ジンジャーマンの冒険」開幕です!


ノベルバーNo.29「地下一階」

140字版