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ショートショート てんてん、てんまの

 今年の梅はいつ咲くのだろうと、天神様が境内の枝を眺めておりますと、女の子がひとり、泣きながら表大門をくぐってくるのが見えました。手水も使わず、本殿の前に立ち、両手の拳を握りしめて、「あほ!」と叫んで袖で鼻を吹きました。あほじゃない、と天神様はお思いになりました。

 御本殿の脇を抜けて、コンクリート打ちっぱなしの休憩所のイスに女の子は腰掛けます。まだ鼻をぐずぐずさせていました。仕方がない。くるり、とん、と天神様は宙返りをなさり、小さな男の子の姿に変わりました。色の白い、賢そうな男の子です。

「どうかしたのか。」
男の子になった天神様は女の子に話かけました。
「なんや。あんた。偉そうな子やな。」
「わしはここの天神であるから、偉いのだよ。」
あははは、と女の子が声をあげて笑います。
「変な子。」
「『変』ではない。」天神様は顔をおしかめになられました。「あと、『あほ』でもない。」
「さっきの、聞いてたん?」
「あんなに大声で叫べば、誰にでも聞こえる。」
「ごめんな。でも、あれは違うんよ。お母はんがな、お母はんがあほなんや。」
「母様を『あほ』などと言うものではない。」
「てんちー、厳しいなあ。」
「何?」
「天神はんやから。『てんちー』。」
「『てんちー』て。」

 動揺する天神様を無視して女の子は立ち上がり、自動販売機にお金をいれました。ボタンを押して、がたんと音がして、あつあつのお汁粉が出てきます。
「あっつ。」
女の子がお汁粉の缶を握った右手を振って、ふうふうと吹きました。
「買い食い?」
「『買い飲み』。てんちーも飲む?」
「腹が減っているなら家に帰れ。もっとましな物が食べられるぞ。」
「いやや。」
 女の子はまたイスに座り直しました。
「あんな、悪いのはお母はんなんや。プリン食べたの弟やのに、姉ちゃんだから我慢しいいうてな、お母はん、うちのこと可愛いないんや。家にはな、弟がいればな、それでいいんや。」
「プリン…。」
「ヨーグルトやなんいや、プリンやで。これは、大事や。そうやろ?」
「さあ、私は『プリン』というものを食べたことが……。」
「ほんまに? ほんまに言うてるん?」
「『ほんまに言うて』いるが。」
「めっっっっっちゃ、おいしいで!」
「めっっっっっちゃ、おいしいのか。」
「そうや。」
「家出しても、いいほどか?」

女の子は天神様を無視して、お汁粉をずずっとすすりました。
「知らん。とにかく、うちはもう帰らんのや。」
天神様は少しお考えになり、女の子の頭を片手でぐりっとひと撫ですると言いました。
「お前がそこまで言うなら、わしも考えてやろう。境内の梅の木にしてもいいし、石の置物にのりうつさせてもよい。心配するな。夜になれば人の姿に戻れるし、わしも茶飲み友達くらいにはー-。」
遠くで、女の人の声がしました。
「おかあはんや!」
女の子は立ち上がると、声のする方へ一目散に走っていきます。振り返って、言いました。
「迎えにきたから、帰るわー!」
天神様は呆然と女の子を眺めていました。女の子が手を振りました。
「今度、プリン持ってきたるからなー!」
天神様も作り笑いで手を振りました。それから女の子の置いていったお汁粉の残りをずずずっと啜って
「めっっっっっちゃ、おいしい。」
と言いました。

ショートショート No.166

Novelber No.8「金木犀」 | Novelber No.10「水中花」

140字小説版