見出し画像

ショートショート うさぎ 【古典落語「ねずみ」】

 今から400年ほど昔、江戸時代に、左甚五郎(ひだりじんごろう)という彫刻の名人がいました。そのときの江戸の将軍様に「甚五郎の右に出る者はいない」とお言葉をいただいて、『左』を名前の頭にくっつけたのだとかいうお話も残っているくらいです。今でも各地に逸話がありますが、当時は人間界のみならず動物界でも有名だったそうです。

「ねえ、兄さん! 兄さん!」
「なんだい、弟」
「甚五郎先生の話、聞いた?」
「甚五郎? なんだいそれは。新種のにんじんかい?」
「にんじんじゃないよう。人間だよう。有名な、彫刻の名人だい」

 巣の中で、小さな弟うさぎがぴょんぴょんと跳ねるのを、兄さんうさぎがにこにこと眺めます。なにしろこの弟うさぎ、左甚五郎の大ファンで、話し出すと夢中になってしまうのです。

「甚五郎先生がね、甚五郎先生がね、今度は仙台でねずみの彫り物をほったんだって!」
「へえ。またなんでねずみなんか」
「仙台にね、『ねずみ屋』っていう、落ちぶれた小さな旅館があって、ケガをしたお父さんと小さな子供が一生懸命店をやっていたんだって」
「うんうん」
「でね、たまたまそこに泊まった甚五郎先生が、この旅館を助けるために、店の名前とおんなじねずみの彫刻を彫ったんだ。そしたらこれが大評判!」

 ふかふかと、興奮した弟うさぎの毛が膨らみます。それがかわいくてかわいくて、兄さんうさぎは思わず、ふふ、と笑ってしまいました。

「なんだい兄さん。おかしくなんかないよ」
「ああ。ごめんごめん。さすが甚五郎先生だね」
「そうなんだ。おかげで店は大繁盛。でもね、向かいにとら屋っていう悪いやつがいてね、お客をとられた腹いせに、有名な彫刻師に頼んでとらの彫り物を掘っちゃったんだよ!」
「へえ。でも甚五郎先生のねずみの方がすごいんだろう?」

 弟うさぎの目がキラキラと輝きました。

「もちろんさ。なにせ、甚五郎先生のねずみは、動くんだからね!」
 弟うさぎはそう叫ぶと、ねずみみたいに低い姿勢になって、きょろきょろとあたりをうかがい、くるくるその場で回ってみせました。
「ああ。そりゃあすごい」
 兄さんうさぎがぱちぱちと手を叩きます。弟うさぎは鼻高々です。
「すごいんだよ! でも、このねずみが、とら屋のとらを見た途端、ぴたっと動かなくなっちゃったんだ」
 弟うさぎはそういって、回るのをやめてぴたりと動かなくなりました。
「へえ。そりゃあ、不思議だね」
 兄さんうさぎが笑顔で言いました。
「そうなんだ! 甚五郎先生も不思議に思って、またねずみ屋にやってきて、自分が彫ったねずみに聞いたんだ。『どうして動かなくなっちゃたんだい。向かいのとらの彫刻のせいかい』って」

 話している間も、ねずみの彫刻になりきっている弟うさぎはぴくりとも動きません。それがおかしくて、兄さんねずみは笑いをこらえるのに必死です。

「うんうん。それで、どうなったの?」
「そしたらね!」
 弟ねずみが嬉しそうな顔をしました。
「そしたらね! 彫刻のねずみが言ったんだって! 『あ。ありゃあ虎なんですか。なんだ。僕はてっきり、猫かと思った』って!」
 あははは。兄さんうさぎが我慢しきれずに笑い出しました。弟うさぎのねずみの物真似があんまりおかしくて、真にせまっていたからです。
「兄さん何がそんなにおかしいの!」
 弟ねずみがぷうとほほをふくらませました。
「こんなに一生懸命ねずみの真似したのに!」
「ごめんごめん」
 兄さんうさぎが謝ります。
「てっきり、うさぎかと思って」

ショートショート No.548

 不定期で古典作品のパスティーシュを書いています。今年はもう少し定期的にやれるといいなと思っています。
 今日のお話は古典落語の「ねずみ」です。左甚五郎の話ですね。

 お正月ということで、落語と干支のうさぎをかけました。

 小さい頃からラジオで落語を聴いて育ちましたが、職場の人で落語を聞いたことがない、という人を結構みかけます。観に行ったことがない、と言う人ももちろんもっといます。
 個人的には、みんな観に行ってほしいなあ、と思います。自分が好きなのもあるんですが、コンサートなんかと同じで、いつでも観られると思っていると観られなくなっちゃったりしますから。せっかく現役の芸能なのに、勿体無い。

 「ねずみ」は落語の中でもどこかのんびりした、牧歌的な話です。長屋なんかを舞台にした当時の世俗的な笑い話というより、昔ばなしに近いですね。
 演じる方によって左甚五郎のキャラクターに違いがあるのが聞きどころだと思います。しっかりした大人だったり、アウトローだったり、飄々としていたり。

 ライバルの彫刻師の彫った「虎」に対して「猫かと思った」がいわゆるサゲ(オチ)です。演じ方によってはかなり辛辣な一言ですね。言い方のチャーミングさに差が出ます。

 すっかり話の筋をうさぎがしゃべってしまっておりますが、ストーリーがわかっていても楽しめるのが落語のいいところ。興味持たれた方はぜひ聴きに行ってください!