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ショートショート ヤコブのはしご【ショートショート100|No.27「光線」|668文字】

 赤く腫れた右手の指先を左手で包むようにして撫でる。まだ、バケツの持ち手の跡がついている。重い物を持つときは抱えて持った方がいいなと思う。
 屋根裏の天井は低く、明かりは小さな蝋燭しかない。聖書ー私の持っている唯一の本ーを取り出し、一節だけ読む。そうすると、よく眠ることができる。

「雲から漏れ出るあの光は、天使様の梯子だよ」
 ここに働きに、いや、売り飛ばされる前、よく祖母が言っていた。ヤコブ様の見た天国に昇るための梯子だという。運良くその光の下に行くことができれば、天国に行ける。

 咳き込んだ。背中が痛んだ。たまに出る咳が、だんだんひどく、重くなる。身体の芯まで響く、とでも言おうか。

 その夜はあまり眠れなかった。とにかく、咳が止まらなかった。朝から、水汲み。バケツを抱えるようにしてもつ。腹に水がかかる。
 屋敷の坊ちゃんが私をパチンコの的にしてくる。穏便によけようとしたら、転んだ。坊ちゃんの笑い声。ため息がでた。体を起こすと、曇り空に光が漏れていた。

 ヤコブのはしご。

 光の場所は、すぐ近くにあった。もうおとぎ話を信じるような年頃ではない。けれど、登れたらな、と思った。立ち上がり、駆け出した。坊ちゃんが何かを怒鳴っていた。もういい。光。光の方。
 咳き込んだ。ひどく。肺が痛い。立っていられないほどだ。背中を折り曲げた。途端に、羽が生えた。

 体が浮く。動く。両の羽が動かせる。上を見た。雲の。光の中に、かすかに、天国の門が見えた。翼に、力をこめた。
 下を、振り返った。地面に、くたびれ果てた私の体が、血を吐いて倒れているのが見えた。

ショートショート No.330

NNさんの企画「100のシリーズ」に参加しています。
今回のお題はNo.27「光線」です。
前回のお題No.49「アニメ」