【邪悪を考える二週間】ショートショート 吟遊ネズミと小さな王女
むかし、王国に双子が産まれました。王子と王女。二人は鏡で写したようにそっくりでした。
ある日、乗馬中に王子が亡くなりました。馬が突然暴れ出して、崖に落ちたのです。悲しい事故でした。
お葬式が終わって、喪服に身を包んだ王妃に手を引かれて歩きながら、王女は家臣たちがひそひそと囁きあうのを聞きました。
「たったひとりのお世継ぎを亡くすとは、なんと悲しいお葬式だろう。せめて、事故にあったのが姫様の方であったなら。」
なんだろう、王女はぽっかりと胸に穴が空いたような感じがしました。兄をなくした悲しみとは別の痛み。体が軋んで、動けなくなるのを感じました。あの人たち、好きじゃない。うつむくと、足元に小さなネズミが一匹、こっちを向いて立っていました。
「御目通り叶い光栄です。小さなお姫様。僕は吟遊ネズミです。」
ネズミは流暢に挨拶を述べて、子爵たちがやるみたいに、しなをつくってぺこりと頭を下げました。
「旅をしながら、いろんな話を集めました。よろしければ、元気の出るお話をして差し上げますよ。」
「お願いできるの?」
『元気が出る』の言葉に王女が思わず答えます。吟遊ネズミはちょっと首をかしげて、片手を差し出しました。
「お代をいただければね。でも、効果は折り紙つきだよ。」
王女は苦笑いしました。
「おいくら?」
「お姫様の金の髪の毛を、一本。」
結局、好奇心に負けました。ぷつりと一本ぬいて差し出すと、吟遊ネズミがお話を歌い出しました。もりもりと勇気が湧いてくるのを感じました。
次の朝。王の執務室に死んだはずの王子が姿を表しました。りりしく、王国の世継ぎに相応しい、どうどうとした賢そうな少年でした。短く切った金の髪。肩に昨日の吟遊ネズミを乗せていました。王女は決めたのです。『せめて』を自分で起こすことに。
執務室に集まった貴族たちがざわつきました。
亡くなったのは王子の方ではなかったか?
けれど、目の前に立つ少年がそれを否定します。妹は残念であったと。王と王妃はけして譲ろうとしない王女をみて、口をつぐみました。
「困らせてやろう。」若い貴族が呟きました。その場で問答が始まります。けれどどんな難しい問題も、王女が手に持った袋から金色の髪を一本抜き出してネズミに食べさせれば立ちどころに解決しました。吟遊ネズミは恐ろしいほど物知りで、いつでもその場にぴったりの歌を歌うのです。意地悪な貴族たちもこれには舌をまきました。次の日も、また次の日も。こりずに執務室に集まっては、貴族たちは問答をしかけてきます。吟遊ねずみの歌で蹴散らしながら、ふふふ。いい気味だと、王子になった王女は思いました。
「髪の毛食べるの飽きちゃった。」
ある日、貴族たちがしょんぼり執務室から出ていくのを見送るや否や、吟遊ネズミが言い出しました。王女の髪の毛をたっぷり食べて、毛並みはふさふさの金色になっていました。
「今度は、そうだな、君の爪が欲しいかな。」
王女は躊躇いました。髪はたくさんありますが、爪は10個しかありません。「考えさせて。」と呟いて、ひとり寝室に閉じこもりました。
閉じこもって、気がつきました。
兄のいない寝室が、恐ろしく静かで、暗いことに。
今までなんとかやり過ごせたのは、全部ネズミのおかげだということにも。ネズミなしであのいやらしい貴族たちの前に立つのか、そう思うだけで震えました。
自分の指先を握りました。「大丈夫。」と呟きました。「大丈夫、痛くない。」立ち上がると、舌なめずりして待つ吟遊ネズミを呼びました。いつの間にかネズミは、犬ほど大きさに育っていました。
※ ※ ※
数年後、王様が亡くなりました。「お前がいれば、安泰だ。」今際の際におっしゃいました。すっかり立派な王子になった王女は花のような笑みを浮かべ、王の手を握りました。それから、夜にベッドで一人泣きました。
「どうしたの?」
ネズミが勝手に入ってきて言いました。
「わからない。どうしたらいいか。」
王女がいいました。
「大丈夫さ。僕がいる。今までもそうだったろ。」前足をベッドにかけると、王女にすりよります。べろりと長い舌をだして、王女の喉を舐めました。
「けど、今までよりちょっと大変になる。栄養が欲しいな。君の声とか。」
爪のない手で王女はネズミの舌を払い除けました。それからじっとネズミを見ました。
「無理にとは言わないけど。」ネズミが優しい笑顔で言います。
「いいよ。」王女はぎゅっと唇を噛みました。「あげる。」
「我が親愛なる国民たちよ!」
祝福の紙吹雪と地響きのような歓声の中、新しい王が国民に呼びかけます。朗々として、それでいて優しく甘い、はちみつのような声でした。
バルコニーで口をぱくぱくさせるのは、王になった王女です。マントで背中に隠した吟遊ネズミが、王女の代わりに声をはりあげています。これでよかったのだ。新しい王のスピーチにうっとりと酔いしれるみんなを眺めて思いました。背後のネズミは、もう熊ほどの大きさになっていました。
※ ※ ※
王がなくなって季節がひとまわりする頃、後を追うように王妃が病の床につきました。
「あなたがひとりぼっちになってしまう。」涙を流しながら王妃が声を絞り出します。「あなたは賢い子。ひとりになっても、どうか敵と味方とを、きちんと見分けられますように。」白くやせた手で王女のおでこを撫でて、息をひきとりました。
「ひとりじゃないよ。」すぐに王女の肩に吟遊ネズミが手をかけました。脳を痺れさせるような甘い囁き声です。「僕がいる。僕が敵と味方を見分けてあげる。」ネズミの右手が王女の右目を、まぶたの上から撫でました。「君の目はとても綺麗だよね。真っ青でさ。」声が耳元まで近づきました。「欲しいな。片方だけでいい。そしたら君の代わりに見極めてあげる。」
体を抉る鋭い痛みの後、左目だけで世界を見ながら、王女は気がつきました。
吟遊ネズミは、いつの間にかヒトの形をしていました。
金色の毛並みは、金の髪に。
細く長い指には桜色の爪。人を惑わせる蜜の声。
そして、王女の目玉をつるりと飲み込むと、みるみる瞳が青色に変わりました。
「いいね。上出来だ。」
かつてネズミの形だったものが言いました。
「君と僕の敵を。反乱分子をみんなみつけてきてやるよ。」
にやり、と笑うと、王様のローブを身に纏い、高笑いしながら外に出ていきました。
※ ※ ※
狼煙があがりました。
遠くで、鬨の声が聞こえます。
吟遊ネズミが貴族たちをたきつけて起きた反乱でした。
片目をなくした王女は政治を吟遊ネズミにまかせきりにして、自分は寝室に閉じこもっていました。窓から街に煙があがるのを見て初めて自分の国の異変に気がつきました。
突然、寝室のドアが蹴破られました。王冠を被った吟遊ネズミです。
「起きろよ、ねぼすけ。一大事だ。」
「どうしたの?」
青白い顔の王女がより一層青くなって、ネズミの食べ残しの、しわがれた声で聞きました。
「反乱だ。見てわからないのか?」
「どうしたら……。」
「なんてことはない。僕ならあっという間に鎮圧できる。だから栄養をくれよ。」
「栄養?」王女は背筋が寒くなるのを感じました。
「栄養だ。肉だよ。お前の心臓がいい。」
王女は思わず服の上から左胸を押さえました。吟遊ネズミをにらみつけます。
「このままじゃ、国が滅ぶぞ。聞こえなかったのか? お前の心臓をくれれば、僕が助けてやるって言ってるんだ。」
黙っている王女にいらついて、吟遊ネズミが王女の白い、かつては金色だった髪の毛を乱暴につかんで引き寄せました。
「いいか。冷静に考えろよ。僕が君の心臓を平げれば、すっかり完璧な王様ができあがる。亡くなった兄さんの復活だ。完全無欠の男の子。それって確か君の願ったことじゃなかった?」
ネズミの声から蜜のような甘さは消えていました。嘲笑うような物言いに、王女はうめき声をあげてネズミを振り払いました。恐怖で足が震えます。喉からわずかに残った自分の声を振り絞りました。
「いやだ。」
ち、とネズミが舌打ちをしました。
「考え直せよ。」
頭を掻いて、また撫でつけて。少しうつむいて。また王女を見ると、今度は花のような微笑みを浮かべました。天使のように美しい青年。かつての自分、いや、兄がなるはずだった姿です。
「僕たち、うまくやってきただろう?」
桜色の爪がついた、乳白色の手を王女に向かって優雅に差し出します。
「兄さんに、心臓をおくれ。」
王女は首を振りました。
「そうか。」
吟遊ネズミは親指と人差し指で輪っかを作ると、唇につけて、ぴいと吹き鳴らしました。
お城の壁が揺れました。
いいえ。
壁だ、と思っていたものは全て小さなネズミたちでした。
今度は床が沈みました。
床だと思っていたものも、全てが小さなネズミたち。
吟遊ネズミは口から指を離し、真っ直ぐ王女の心臓を指しました。
「じゃあ、力づくだ。」
吟遊ネズミがいい終わるよりも早く、王女は一目散に逃げ出しました。床から、壁から、ネズミたちが次々と自分に襲いかかってきます。振り払っても、振り解いても、とうてい追いつきません。あっという間にネズミの山に飲まれました。必死でもがきます。「心臓なんか食べても!」気がつくと叫んでいました。「お前は兄さんじゃない!」ネズミたちが自分の肉をかじるのを感じました。「誰も、兄さんになんかなれない!」皮膚を破る鋭い痛み。「人の姿になっても、ただのネズミだ!」
突然、ネズミたちの勢いが止まりました。何かの手が伸びて、王女の腕を掴むと、ネズミの山から引きずりだしました。
「今なんて?」
吟遊ネズミでした。微笑みもにやにや笑いも顔から消えていました。
「答えろよ。なあ、僕、人間だろ? この姿が見えないのか?」
「…国が欲しいなら、あげる。」王女が声を絞り出しました。「もう、ほとんどあなたがやりくりしてたんだし。」
「今はそんな話してないだろ。」
「あなたは、賢いと思う。ちゃんとした王様がいれば、私も無理しなくてすむ。」
「聞けよ。」
「ずっと考えてたんだけど、私、もう、王様でいる理由がない。」
「僕がただのネズミってなんなんだよ!」
今まで一度も聞いたことのない声で、吟遊ネズミが怒鳴りました。泣いているように見えました。
「あなたは、強くて、賢こい。人間の肉を食べた。でもただのネズミでしょう。」
「ふざけるなよ! 僕がどれだけお前を助けてやったと思ってるんだ!」
大砲の音が響きました。
小さなネズミたちが蜘蛛の子を散らしたように逃げていきます。お城に、今度は人間の兵隊たちが攻めてきたのです。ネズミが小さく舌打ちをしました。
「時間がない。力がいる。今すぐ肉がいるんだよ!」
「…ごめんなさい。」王女は言いました。つう、と頬を涙が流れました。「あなたをそれだけ大きくしたのは、私かも。でも、もう、いいの。いらない。必要ない。心臓はあげられない。」
「そうかよ。」
吟遊ネズミが叩きつけるように王女の腕を離しました。
「もういい。お前みたいな弱虫の肉なんていらない。僕にはもう人間の体があるし、たくさんの小さなネズミの軍隊もいる。なんとかなる。」
泣き崩れる王女を見おろすと、足を踏み鳴らします。
「さっさと泣きやめ。立て。尻尾まいて逃げ出すんだ。弱虫はいらない。」
「……反乱は王様を……。」
「はあ? お前のどこが王様なんだ。どこから見ても、王様は、僕だ。さっさと逃げろよ、小さなお姫様。」
ぴい、と吟遊ネズミが指笛を鳴らしました。小さなネズミたちがまた王女を包みました。今度はかじられませんでした。まるで馬車のように、やさしく王女を抱えて走っていきます。「腹が減ったな。」吟遊ネズミが呟くのが聞こえました。ネズミの馬車はお城を抜け出し、お堀を越えて走りました。町外れの、小さな教会の前で降ろされました。王女を離したネズミたちは、また塊になって走っていきます。向かう方向に、お城が燃える黒い煙があがっていました。
ショートショート No.138
NN(not only not near)さんの「邪悪について考える二週間」参加作です
同時に、ショートショートNo.119のリライト版です(約10倍になっていますが)
ネズミの行為の醜悪さと道理のなさが一番重なる中盤あたりでようやく邪悪の色が出せた…かなあと考えております。
後半は薄まってしまいますね。最後まで貫き通せない。ツメも人間も甘めです。
現段階での全力です。
どうもありがとうございました。