ショートショート バッタ【ショートショート100|No.28「ひこう」|850文字】
「あにいなんて大っ嫌いだ!」
喜八が叫んだ。泣きながら家を飛び出した。
「あにいも、おっとう、おっかあも、みんな…。」
鼻をすすりながら畑で膝をつく。走ったところでどこにも行くあてはない。叫んだ。
「みんな、みんな、みんな、いなくなっちまえばいいんだあ!」
声を上げて、ふと地面を見ると、大きなトノサマバッタがいた。目が、あった気がした。
「喜八。」
姉のヨシが、弟の久兵衛を背負ったまま、喜八を迎えにきた。手を差し出しながら言った。
「帰って、一緒に謝ろう? ね?」
手をとった。ヨシは優しい。
突然久兵衛が泣き出した。ヨシがあわてて久兵衛をあやす。
うなるような音。喜八は辺りを見回した。東の空に大きな灰色の、影のようなものが、動いた。こちらに向かってきている。
「逃げよう」
ヨシの手を握ったまま走る。久兵衛が泣き叫ぶ。今はかまっていられない。あわてて家の中に入る。血相を変えた喜八の顔を見て、父と母が何事かと喜八を見る。
兄の清六が、窓の外を見て言った。
「バッタだ。バッタの群れだ。」
父と母の顔色が変わった。大急ぎで家の窓という窓、隙間という隙間が塞がれた。程なく、大きな羽音とともに、何かが家に当たる音が止まなくなった。意味のわからない喜八がこっそり窓を開けて隙間をつくる。清六が悲鳴をあげて喜八を突き飛ばし、必死に窓を閉めた。
一瞬だったが、見えた。
バッタだ。バッタが世界を覆い尽くしていた。村が霧で覆われたみたいに、バッタの大群が村を覆っていた。
「馬鹿か! おまえは!」
清六が叫ぶ。
「あんなもん、家に入ったら、お前、齧られて、食われまうぞ!!」
「俺の…!」
喜八が泣き出した。
「俺のせいだ! 俺が、俺が、みんないなくなっちまえって…! バッタに、聞かれたから…! 俺の…!!」
嗚咽する。バッタの羽音が更に大きくなって喜八の声をかき消していく。
「お前のせいじゃないよ。」
母親が泣き止まない喜八を抱きしめた。もう一度、はっきりと繰り返した。
「お前のせいじゃない。」
NNさんの企画「100のシリーズ」に参加しています。
今回のお題はNo.28「ひこう」です。(「飛蝗:群生するバッタ」の文字をあてています。)
前回のお題No.27「光線」