悪魔の声と自分の声
待ち焦がれた映画『デューン 砂の惑星 PART2』を、まだ観られていません。気づけば公開から、はや半月。映画館で観ないと必ず後悔しますが、今日は「デューン」で思い出した、「砂漠」と「悪魔」と「音/声」の話のメモランダムを――。
マルコ・ポーロ(1254-1324)が『東方見聞録』で、次のようなことを述べています。
このほかにも、眠くなると白昼でも、自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえるとか、ほんとうは存在しないキャラバンが進む音が聞こえてくる、といった不思議な現象も記されています。
この砂漠は、タクラマカン砂漠東端、楼蘭と敦煌の間にあるロプノール(タクラマカン砂漠北東部にかつてあった塩湖)周辺の砂漠であるロプ砂漠のようで、マルコ・ポーロはそこを30日間かけてわたり、フビライ・ハーンが治めていた沙州(今の甘粛省北西部で敦煌のある地域)に到達しました。
さて、このくだりを読んで最も気になったのが、「荷を負ふ動物が迷ひ去らぬやうに鈴を付けたりする」という記述です。夜、動物がどこかへ行ってしまおうとしたら、そのとき鈴が鳴って気づくことができるようにする、ということなのでしょうか。私の「個人的なロマン」も交じってしまっている自覚はあるのですが、それでも何か違和感を覚えます。
ヨーロッパにおける象徴で「鈴」といえば、「悪魔を祓う力」を持つとされる「銀の鈴」が思い浮かびます。W. A. モーツァルト(1756-1791)の歌劇『魔笛』では、悪魔ザラストロに連れ去られた姫の救出に向かうタミーノに「魔笛」、パパゲーノに「銀の鈴」が与えられます。おそらく「銀」の象徴性も含んで、「銀の鈴」は「悪魔を祓う力」を持つ。
となると、マルコ・ポーロがいっている動物に鈴をつける対策にも、砂漠の悪霊を遠ざける目的が含まれていた可能性はあるのではないか、という気はしてくるのです。ですので、『東方見聞録』の原著はどう記されているのだろう、と思ったのですが、『東方見聞録』は、もとは「古フランス語」といわれる今のフランス語とも異なる言語で採録されたのだそうです。私には読めません。そこで、さしあたり他の日本語訳をいくつか比較してみたのですが、なんとも気になる違いがありました。いくつか比べてみますと――、
1)トーマス・ライト氏英訳、瓜生寅氏訳補
この訳では、動物に鈴をかけ、道に迷っても容易にもとの道に戻りやすくする、ということですが、動物に鈴をかけると何故それが可能になるのか、私にはわかりません。
2)生方敏郎氏訳
この訳では、荷物を負った動物が苦しがるのを楽にさせるために鈴をつける、ということですが、これも鈴をつけるとどうしてそうなるのか、私にはわかりませんでした。
3)長澤和俊氏訳
最後に『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』や『法顕伝』『宋雲行紀』の現代語訳などで著名なシルクロード史学者、長澤和俊氏(1928-2019)の訳をみますと――、
この訳では、「悪魔に惑わされないように鈴を使う」ということなので、これであれば、マルコ・ポーロも「鈴」に悪魔を遠ざける呪力を信じていたのかもしれない、ということになります。
長澤氏は、「この悪魔の声は、時には昼間でも聞こえてくる。それはあるときはいろいろな楽器の音、とくに太鼓の音のように聞こえた。そこで旅人は、この砂漠を横断するときは迷わないように、夜になると馬の首のまわりに鈴をぶら下げるのだった」とも書かれています。
また、長澤先生だけは、「夜間に休むときに」ではなく、「夜になると馬の鈴をぶら下げて行く」と訳されています。つまり、夜間に移動するということです。
これは、玄奘三蔵法師(602~664)の伝記『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』(玄奘の弟子の慧立と彦悰がまとめた伝記で688年成立)だったと思いますが、昼夜の気温差が大きい砂漠において、玄奘三蔵が昼間は休み、夜間に移動したという話が書かれていたと思います。それを考え合わせても、長澤先生の訳はリアリティを感じます。
ちなみにロプ砂漠は、玄奘三蔵の200年前、399年に長安を発ってインドに行った東晋の法顕(340?~420?)が、著書である現存最古の西域インド旅行記『仏国記』(『法顕伝』『遊歴天竺記伝』とも)において次のように記しています。旅人にとっては、そうとう過酷な場所であったようです。
ところで、悪鬼の仕業により砂漠で声や音を聞くという現象は、玄奘三蔵も報告しています。
最後2文の漢文は下記です。
この報告の場所は、今の中国新疆ウイグル自治区ホータン地区ニヤ県から東へ向かう(つまり玄奘にとっては唐に帰る)ときに通過した、タクラマカン砂漠南縁のようですが、別の場所で、玄奘自身も砂漠で「悪鬼」を見たようです。
それは、インドへ向かう途中、敦煌からロプノールに向かうとき、玉門関の先に広がる莫賀延磧(タクラマカン砂漠東端)で遭難したときのこと――。
観音菩薩と『般若心経』を「心に念じ」じながら進んだが、悪鬼に出会った。「観音菩薩を念じ」ても悪鬼は去らず、『般若心経』を「読経して、声を発すると」消えてしまった、ということです。
この話は、日本にも流布したのか、平安時代の『今昔物語集』の「玄奘三蔵、天竺に渡り、法を伝え受けて帰って来る語 第六」にも見られます。
『今昔物語集』では、砂漠ではなく、「遥か遠くまで広がった野原」が舞台。日没後、道に迷っていたら、灯りを持った500人ほどの人がやって来たので、玄奘が近づいていくと、その者たちは「まことに恐ろしげな異形の鬼ども」でした。玄奘が声高らかに『般若心経』をとなえたところ、鬼どもは逃げていった、ということです(池上洵一『今昔物語集9 震旦部』東洋文庫、1980年)。
『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』の記述に戻ると、この書物がまとめられた時代における観音菩薩や『般若心経』が何であったかという点でも興味深い話です。『法華経』「観世音菩薩普門品」には、観世音菩薩を念ずれば、あらゆる苦難を免れることが書かれていますし、『般若心経』に関しては、それ自体の不可思議なパワーや、そういうお経として玄奘三蔵が観音菩薩や不思議な人物から授かった伝説が複数あります。
ですが、私としてはもう一つ、この話は、「念じる」ことと「読経して、声を発する」「となえる」ことに関しても、ポイントがあるのではないかと思います。つまり、マルコ・ポーロの「鈴」の音も、玄奘三蔵が『般若心経』を「読経して、声を発する」ことも、自分の側が発して自分の耳に聞こえる音であるところに興味をおぼえます。
最初に引用した深沢正策氏訳『東方見聞録』では、「マルコ・ポーロが記述した奇怪な音響は、砂丘の細砂が攪乱されたときに起る現象であって、決して出鱈目でない」という注が付されています。しかし、超常現象であれ自然現象であれ、極限状況において恐ろしい音や不安にさせる音を耳にし、そのときに自分で音や声を発してそれを聞くことは、「正気を保つ」など、何らかの効果があるのかもしれないという気はします(医学などの分野で、そういう研究があるかもしれません)。
少しずれるのかもしれませんが、例えば、高速道路で自動車を一人で運転しているとき、眠気を感じたら、次のパーキングエリアに着くまで、声に出して何かひとりごとを言ったり、歌をうたったりしないでしょうか。私はそんなとき、ホーメイ(モンゴルの歌唱法)の真似事をしています。あんまり上手ではないですが。