僕はてっぺんに興味がない。
以前、世界は矛盾した基準で三層に分かれているという話を書きました。
これは教員や法務教官などの教育者にもあてはまると思っています。
SNSでは一層の人たちがとっても目立ちます。彼らは優れた実践や理論をドンドン出し、書籍や音声メディアにも進出し、華々しい活躍をしている。
彼らの活躍は本当に素晴らしいこと。彼らのもとから人生を謳歌する人間味と実力を兼ね備えたすぐれた人材が育ちゆくことは、地域・社会にも喜ばしいことだと思ってる。
そのへんのことはこっちの記事↓にも書いた。
んで…
改めて今日書きたいのは、僕は一層にあんまり興味がないってことだ。
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SNSには公教育の”被害者”たちの声もある。
障害や特性をまったく理解せず昭和な教育を繰り返す教師や、思考停止で子どもより”上”の顔色を重視する役人根性のエセ教育者のせいで本人やお子さんが苦しんでいるという声だ。
要するに三層の教員にあたると子どもと家庭が苦しむってこと。僕が塀の中で出会った非行少年の中にもそういう子が少なからずいた。
直接的な被害だけじゃない。
クラスの問題児に対する対応力がなく、そのために授業や学級が崩壊し、最低水準の指導を受けられなかった”普通”の子たちが世の中にはたくさんいる。
専門知識云々ではなく、あたりまえのコミュニケーションや日常的な関わり、最低限の統制と柔軟な態度が欠けてる実力不足な先生が世の中にはたくさんいるんだ。
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ぶっちゃけた話僕は、プログラミングや英語やダンスなんて学校で教える必要一切ないと思ってる。
子どもたちに社会で直接使える知識や技術を教えるのはせいぜい中学の後半からで十分で、そんなことより「社会性」に類する能力をきちんと磨いていくことの方が大事。
で
それらを育むために必要なのは「専門知識」じゃないんだ。
あたりまえのコミュニケーションと最低限の統制を取れればあとは要らない。余計なこと言わず子どもたちが学校を健全かつ安心して楽しめるように、のんびり眺めてればいい。
専門的な療育・支援のスキルとか知識とか…そんなの二の次三の次。要するに三層の先生が二層に上がれるだけで十分だってこと。
僕はそっちに貢献できると思ってる。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。