教員免許を2年で取れるとかなんとか…。
僕は全然かまわない。
むしろ歓迎してるくらいだ。
もちろんその中身次第で評価は変わるし、僕はそのニュースの詳細を見ていないけれど。
そもそも、自分が4年かけたものを後輩たちが4年かける必要なんかないと思ってる。それは教員免許に限った話じゃない。人のスキルや知識というのは、あとの世代がより省エネで獲得できるようになってこその進歩だ。
とか
とか
自分たちがやってきた苦労を後輩にも当然のように同質同量で背負わせたがる大人がいるが、ぶっちゃけアホやと思ってる。
もちろん反復練習や継続にも価値はある。
が
同質同量のコストが必要だとは思わない。
むしろ、そうやって平気で自分と同じ苦労をさせようとした結果が今の教師の働き方じゃないか。
なぜ自分たちが作った指導案やプリントを後輩に共有しない?
なぜ毎回テスト問題や学級通信を作り直す?
この国には一つの単元についての指導案が数え切れないほど存在している。それがネット上で共有されるようになったのはここ数年の話だ。アホもたいがいにしてほしい。
人の時間は有限。もちろん自分で指導案を考える経験は必要。自分で作ることで見えてくるものは沢山ある。
でも
いつでもどこでも何に対してもそうだとは僕は思わない。
僕は自分の仕事の成果物を基本的にすべて、職場の共有財産にしてきた。個別的教育計画、単独処遇計画、個別の課題とそれへのコメントなど…僕がデータで残してきた成果物は膨大なものだ。
本当はnoteに全部公開したっていいくらいのもんだと思ってる。仕事上のデータを外に持ち出せない少年院という仕組みのせいでそれはできていないけれど。
見たい人が見て、それをもとに自分の仕事をする…それでいい。
そういう意味で、ムダなものは削り、必要なものもより上質なものにして、短期間で資格を取得できるようになるのならそれはすばらしいことだと思ってる。
そもそも…
僕は卒業単位も教職課程の必要単位も余裕でクリアしてた。
3年次、4年次に取る必要のある単位があったから4年間が必要だっただけで、そうした制限がなければ僕が取得した単位数のままでも3年あれば十分だ。
「2年で全員に免許状を授与する」ではなく「最短2年で取得可能」というのなら、何も文句はない。ま、全員に授与でもたいして文句はないけども。
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アメリカなんか10歳前後の人が学位取ってたりするじゃん。
力のある人間が、一般的なペースをぶち抜いてあっという間に駆け抜けていける制度はむしろ歓迎すべき。
教職課程自体、意味がないとか実践的じゃないとか、散々批判や非難を浴びてきた。この機会にきちんと見直してくれればいい。(ま、個人的には教職課程なんてどこまでやっても実践的にはならんと思うのだけれど。)
2年で免許を取得して、その後は教職課程の枠にとらわれずにそれぞれが実力を高めるための時間にすればいい。
僕は、2年半くらいで必要単位を取り尽くせそうな勢いで講義を受け、その一方でダンスやったりSNSで学外の付き合いをはじめたり、彼女と遊んだりいろいろしてたけど…
そんなふうにいろいろ並行できない人もいる。
大学4年間をどう使うかはそれぞれでいい。ただ、早期に修了できうる制度設計は、あっていいと思ってる。もし今僕が高校生なら、それを歓迎すると思う。
ま、ぶっちゃけた話僕は、教員免許なんてものがなくてもいいんじゃないかと思ってる。免許があったってアホみたいな奴はたくさんいるし、教員免許持ってなくたって優れた教育者やその資質を持った人もたくさんいる。
もっと自由度を高めてほしいと僕は思っている。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。