シンプル思考のメリットデメリット/宇宙レベル思考
シンプル思考というか、何事も根本的、本質的なレベルまで掘り下げて考えてしまう癖、傾向がある。そういう人もいるかと思う。
僕ならたとえば以前Kindle本に書いた「メンドイズム」という考え方がそうだ。
これはあらゆる自分の趣味嗜好、行動原理、理想などを掘り下げた結果、「めんどいことはやらない、めんどくないことは大いにやる」という大元のモットーまで達したわけだ。
シンプル思考は、本質的な思想やルール、最小限の行動や行動規範を好み、実行しようとする。
これは「最低限本質的なものを守り、やれば、あとは何でもいい」といった思考になり、世間的価値観に縛られなくなるので、疲れない、悩まない、自由でいられるといったメリットがある。
逆に、そうしたベースラインの上に作られたレイヤーでの規律や出来事——時代や環境で容易に変化する物事、世俗の出来事はあまり重要視しないようになる。本質的でないから意味を感じず、意味のないことに興味関心を覚えないからだ。
これには行動できなくなりがちというデメリットがある。誰だって意味ないことをしたいとは思わないだろう。そしてシンプルさを突き詰めると、世俗的な行動に意味を感じなくなってしまいがちだ。
たとえばお菓子を食べるのに意味があるのか。美味しくて栄養がある食べ物は他にいくらでもある。
また生活するだけのお金は足りているのに、それ以上に時間を使って働いて稼いで貯める意味があるのか。
いや、ない。
——となるので、お菓子を食べるのも余計な労働も無意味に思えてやらなくなってしまうわけだ。
仮に無意味だとしても、やる価値がないわけではないというのに。
このように、シンプルに考えすぎるのも良し悪しではある。
しかしシンプル思考の人は(自分にとって)余計なことはできないので、シンプルにせざるを得ない。そんな自分と付き合っていくしかないようだ。
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シンプルさを突き詰めると、話は宇宙レベルまで及ぶ。
そもそも宇宙はどうやってできたのだろう? 無の揺らぎ説とかあるが、何にせよ自然現象のはずだ(もしかしたら超次元の存在が作った可能性もあるのかもしれないが)。
自然現象とは言ってしまえばたまたまだ。
となれば、宇宙の派生物である人間の発生もたまたまだ。そこに意図も意味もない。
であれば、人間のやることにも意味なんてないとなる。
全てが無意味だとしたらどうするか。
僕ならやはり「「めんどいことはやらない、めんどくないことは大いにやる」となりそうだ。めんどいことをしても意味ないからだ。
シンプルに、大元に立ち返ると見えてくるものもある。
たまには宇宙レベルで考えてみるのもいいかもしれない。
その分活字を取り込んで吐き出します。