猫になりたい
表題、1994年リリースのシングル「青い車」に収録された一曲のタイトルです。
私はスピッツが大好きです。
スピッツというか、スピッツの曲が大好き。
ライブに行ったことはありませんし、草野マサムネの名前しか知りません。
それでも大好き。
悲しくなったらスピッツを聞いて、余計に切なくなって、そうやってデトックスしてきました。
私の生きた世紀のなかの1000分の1くらいの責任を負ってもらっています。
(私の人生のすべてランキング1000にスピッツの名があがるということ)
とりわけお気に入りの曲たち、「バニーガール」「ハニーハニー」「ルナルナ」「ラズベリー」「スピカ」「夕陽が笑う、君も笑う」「日なたの窓に憧れて」。
1番を選ぶとしたら、「僕の天使マリ」。
でも、タイトルと内容の接続に惹かれるのは、「猫になりたい」。
「グラスホッパー」「ラズベリー」あたりはわかりやすく官能的、性癖が露骨。
「放浪カモメはどこまでも」「俺のすべて」あたりはわかりやすくこじらせていて劣等感に満ちている。(軽快なメロディとは対照的に!)
そういった個性的な楽曲に比べて、『猫になりたい』は地に足がついた感じがする。メロディもリリックも良くも悪くも無難。
それでも、心情を吐露するまわりくどさはすごくスピッツらしい。
潔癖で生々しさはない。その分、精神的なつながりへの渇望が感じられる。
猫になりたいというフレーズ、よく耳にします。
たいていは無条件で愛されたいの意。
私はこの願望に共感できない。言ってることはわかる。否定はしない。
でも、猫の猫生における辛さを軽視しているようで猫に無礼だと感じます。
生まれ変わった先の猫が、多頭飼育崩壊現場の1匹かもしれない。またはナワバリ争いに負けて野鳥にいじめられて病気持ちで早逝するかもしれない。
猫になった自分の幸せな未来を描けない。
だから、そういう漠然とした現実逃避はしっくりきません。
それでもスピッツの「猫になりたい」は好き。意地と具体性がともなっているから。
「あなたの」猫になりたい。
それは誰かへの愛情を表明するひとつのかたち。理由が明快で筋が通っています。
「i love you」、「i miss you」、「 I want you」の意訳。
(「styska se mi po tobe」も同義かもしれない)
プラトニックな愛情、恋心を超えた先にある想いが伺える。
楽曲における一人称の人物は、女々しくて、まわりくどくて、繊細な性格だと推測できます。
それでも、二人称の人物に対して抱いた、素直でまっすぐな、勿体ぶりも惜しみもない真心を歌っている。
私はその人のその姿勢を評価する。包み込んでくれるのがいい。
スピッツの曲たち、私の抱かれ枕なのかもしれない。
私は干渉されることが苦手です。
輪郭のはっきりした感情や自己主張を一方的にぶつけられるのが好きじゃない。
失望や期待とは距離を置いていたい。その根底には自信のなさがあるのだと思います。
だから、あなたを愛しているよの曲よりも、あなたを愛している私だよ、の曲の方がずっと耳馴染みが良い。
私がスピッツ楽曲に見出す包容力は、そこに起因しているのでしょう。
言葉は、行使されることによって下心由来の脚色や装飾が入り混じる。別に悪いことではないのだけど。
「猫になりたい」は独り言であるがゆえに、そうした思惑から解放されています。純度が高い、自己完結型の思い遣り。嘘がなくて信用に値する。
そうは言っても、「月が綺麗ですね」とか、「毎日あなたのお味噌汁が飲みたいです」とか、そういう婉曲な愛の文句、より心を動かすのかもしれない。
それなら私が愛の気持ちを告白をするときは、「あなたの猫にしてください」そう言うことにしようかしら。
スピッツ大好きな私らしく。にゃん。