なにものでもないボクが、何者かになりたがっている
Twitterを覗いていると、たくさんのツイートがボクのタイムラインを埋め尽くしている。ライターをしていることもあり、フォロワーさんの多くがライターさんやブロガーさん達だ。
彼らの投稿をスクロールしながら、心に残ったつぶやきに”いいね”を付けていく。
そんなことをしていると、ふと思う事がある。
「この”いいね”達をどうしたいのだろう……」
参考になる、少しクスッとしてしまう。
『心に響いた』その一瞬を切り取るために”いいね”を続けているのか。
それとも、メモ代わりにでもしているのだろうか。
いろいろと考えてみたが、どれも違う……
きっとボクは、彼らの投稿が羨ましいのだろう。
誰かの共感を呼び、反応を返してもらえる。
Twitterというちいさな箱の中であっても
彼らはきっと「だれかにとっての何者か」として認識してもらっている。
ボクはきっと、リアルのつながりも大切にしながら、ネットの中でも誰かに認められたいと思っているのかもしれない。
なにものでもないボクが、何者かになりたがっている
なんて傲慢な話しだろうか。
そんなことを思いながら、この瞬間も、140文字に言葉を詰め、だれかの言葉にハートをばら撒いている。