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命をいただく

2022年9月に行った、
ペルー出張の様子をお届けしています。

ペルー出張中の食事は
ほとんど外食なのですが、
「インカドリーム」という宿では
(町にレストランがほとんどないこともあり)
お宿ご飯をいただきました。


『ロモなんちゃら(←適当でごめんなさいw)』
(みほ追記:ロモサルタード、ですね^^)


という食事を
「おいしい、おいしい」と
皆でいただいていると、
お宿のスタッフから

「明日の夕食も食べる?」
「せっかくだから、うちの鶏を出すよ」
(※スペイン語堪能上司による訳)

一同「!!!」


そう、お宿「インカドリーム」の庭


には2羽のニワトリが・・・
いえ、1羽の黒いニワトリさんが
いたのです。


一緒に出張に来ている方たちと
「そうか、あの子を明日いただくのか…」
と神妙な気持ちになりながら
翌日調査に向かいました。

わたしたちが普段食べているものって
全て「命」のはずなのに
普段すっかり忘れちゃいますよね。

思えば小学生のとき
「動物を食べるのはかわいそう」
と思った年頃に
(※たぶんそういう授業があった)
先生に

「植物は死ぬとき痛くないと思うのか」

と言われてから
『命をいただく』ってなんだろうと
『命をいただいてまで生きる意味』ってなんだろうと
考えてはわからなくなり
考えてはわからなくなり

あるとき読んだ本に「植物は動物に食べられることを喜んでいる」と書いてあってそれを信じてみようと思ったり。

『鋼の錬金術師』でおなじみ、荒川弘さんの『銀の匙』を読んでみたり(北海道の農業高等学校を舞台にしたお話です)。

でも結局答えは出なくて、日々の流れに身を委ねて、なんとなく物を口に運ぶ日々。(毎回意識していると、わたしみたいなタイプはしんどいですしね・・・)

今唯一意識していることは
手を合わせて心をこめて
「いただきます」を
することだけ。

こういう「わかりやすい」機会に
思いを馳せるだけ。

『いただきます』

同僚たちと、おいしくいただきました。


翌朝。
明け方になって出発の準備をしていると

黒いニワトリ、いたーーーー!


いただいたのは、
お宿のお庭の子ではなかったようです。
ちょっと拍子抜けしながら、
それでも生かされている日々に感謝して。



みほ
(※2022年9月に書いた文章をリライトしています)

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