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命をいただく
2022年9月に行った、
ペルー出張の様子をお届けしています。
ペルー出張中の食事は
ほとんど外食なのですが、
「インカドリーム」という宿では
(町にレストランがほとんどないこともあり)
お宿ご飯をいただきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1732832082-w3zm4KluVjqoZvkpy7RirMJI.png)
『ロモなんちゃら(←適当でごめんなさいw)』
(みほ追記:ロモサルタード、ですね^^)
という食事を
「おいしい、おいしい」と
皆でいただいていると、
お宿のスタッフから
「明日の夕食も食べる?」
「せっかくだから、うちの鶏を出すよ」
(※スペイン語堪能上司による訳)
一同「!!!」
そう、お宿「インカドリーム」の庭
![](https://assets.st-note.com/img/1732832197-7hPR82UyYok9SrBcHgON0Zq6.png)
には2羽のニワトリが・・・
いえ、1羽の黒いニワトリさんが
いたのです。
一緒に出張に来ている方たちと
「そうか、あの子を明日いただくのか…」
と神妙な気持ちになりながら
翌日調査に向かいました。
わたしたちが普段食べているものって
全て「命」のはずなのに
普段すっかり忘れちゃいますよね。
思えば小学生のとき
「動物を食べるのはかわいそう」
と思った年頃に
(※たぶんそういう授業があった)
先生に
「植物は死ぬとき痛くないと思うのか」
と言われてから
『命をいただく』ってなんだろうと
『命をいただいてまで生きる意味』ってなんだろうと
考えてはわからなくなり
考えてはわからなくなり
あるとき読んだ本に「植物は動物に食べられることを喜んでいる」と書いてあってそれを信じてみようと思ったり。
『鋼の錬金術師』でおなじみ、荒川弘さんの『銀の匙』を読んでみたり(北海道の農業高等学校を舞台にしたお話です)。
でも結局答えは出なくて、日々の流れに身を委ねて、なんとなく物を口に運ぶ日々。(毎回意識していると、わたしみたいなタイプはしんどいですしね・・・)
今唯一意識していることは
手を合わせて心をこめて
「いただきます」を
することだけ。
![](https://assets.st-note.com/img/1732832269-uhzSjcVyZXxnKEWs7Llb9Yf1.png)
こういう「わかりやすい」機会に
思いを馳せるだけ。
『いただきます』
同僚たちと、おいしくいただきました。
翌朝。
明け方になって出発の準備をしていると
黒いニワトリ、いたーーーー!
いただいたのは、
お宿のお庭の子ではなかったようです。
ちょっと拍子抜けしながら、
それでも生かされている日々に感謝して。
みほ
(※2022年9月に書いた文章をリライトしています)