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「あのね」 − 2023年のこと、2024年のこと

ここ2023のできごとと抱負やら。

2023年はびゅんと記憶のないくらいの速さだった。
そして何事に対しても一生懸命になれない年だった。

自分のだらしなさとやる気のなさにさらに鬱になって永遠の負の循環だった。
今年はもうちょっと自分を好きになっていけるように、私と付き合う年にできたらいいなあと思う。

自分をちょっと好きになるために「やりたいこと100かいてみる」ことにした。(まだ書けていないけど。)
そのやりたいこと100を通して私が得たいことは、

  1. 学びに貪欲になること

  2. 何かをgiveできるヒトになる

この2つが自分のなりたい像かなと思った。
今年3月で学生から卒業してそのまま社会人なんて寂しいから、
せめて社会人でも何かを追求し続けるヒトでありたいなと思った。
だからなんでも良いから学びの姿勢は忘れずにたくさんの物事に飛び込んで触れてみるというスタンスは変えないでいきたい。会社ことでもそうでなくても、学びに対していつも真摯に向き合えるように頑張る。

あと何かをgiveしたいというのは、これまでの自分を変えていくため。今まで自分を軸に何かを発信したことがなくて、でも2023に出会ったヒトたちは何かを立ち上げたり、創ったり、好きなことをgiveしているヒトが多かったなと思って、これからはtakeじゃなくてgiveできるヒトになりたいと感じた。

本当に些細な、小さなことから始めていって、いつか、ちょっと大きな決断や行動ができるように日々giveを大切にしていきたい。

学びに貪欲になるはtakeだろうから、give & take の両方をがんばりたいとなると意外と普通というか、むしろ相反するのかもしれないけど、これまではそういう視点で考えたことがなかったから意識してみることが大切なんだと思う。

「いいんだよ、それで。君が朝起きた、ってことが、これで、みんなにわかったんだから。面白いことや、笑わせること話したから偉いっていうことじゃないんだ。『話が無い!』っていった君が、話を見つけたことが、大切なんだよ」

—『窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)』黒柳徹子著
https://a.co/49hZ97N

年末にちょうど映画「窓ぎわのトットちゃん」を観に行った。
今まで本の内容も知らなかったから、果たしてどんなものだろうと思ってみに行ってみたら、間違いなく私の中で2023年の最後を飾るにふさわしい最高の映画だった。

たとえ「やりたいことがない」とか、「学びたいことがない」と思っても、それを見つけてみることが大事で、そこからどうするのかは自由なのではないかという、トットちゃんの本の中で出てくる台詞を私の抱負に当てはめて考えるとそういうメッセージ性なのだと解釈した。


この映画の主題歌である「あのね/あいみょん」を聴いて振り返ってみると、私にとって2023年の「言葉」は「あのね」かもしれないなんて思った。たくさんの大人と出会い、色々な面白い話や素敵な話を吸収した年だった。「あのね」なんて誰も言わないし、言われたわけでもないけども出会った大人が自分のことについて語る時、みんな本当にキラキラした目で話していた。「あのね」は誰かに聞いてほしい時に子供がよく言うけど、聞く方もなんだか耳を傾けてしまうし、きっとこの人は話したいことがあるんだなと感じる魔法の言葉だなと思った。さすがに「あのね」なんていえる素直さはもう大人になった今持ち合わせていない。でも「あのね」なんて心の中で言いながら話し始めるのも悪くないし、そういった気持ちで語り合えた年だなと振り返って感じた。


2024年はじまって暗い話ばかりだけど1日1日を大切にしていこう。


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