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長編|恋愛ファンタジー|あべこべ -15-

 城郭都市じょうかくとしラガシュ。
 北はナディール、東はアドリンドとの国境にほど近い場所に位置し、古くは大国ナディールの南方拠点として繁栄し、十八年前の世紀の独立戦争時にはガイゼスの攻守の要として両国の軍が激闘を繰り広げた。
 現在ではガイゼスにおいてももっとも精強を誇る軍が滞留し、現王アンキウスの甥であり、三将軍の一人であるシノレ・アンヴァーンが治めている。

 一行が城壁の門をくぐったとき目にしたのは、夜明けとともに活気づきはじめた城下町であった。
 大通り沿いには小さな商店が軒を連ね、よく熟れた果実や新鮮な野菜、油漬や塩漬けに加工された魚などの食料品の他、日常着となる薄手の袖が短い衣、日光や砂埃から体を守るための外套がいとうなど、実にさまざまなものが売られている。なかには簡単な食事を提供している屋台もあり、風に乗って流れてくる羊の肉を焼く香ばしい匂いが食欲をそそる。

 女たちが談笑しながら、昼食や夕食の材料を買い求め、男たちが本格的な食事の前に屋台で軽く腹ごしらえをし、子供たちは広場を走り回る。

「いい町だな」
 セティは呟いて淡紫色の目を細めた。

 多くの兵士が滞留し、戦時ともなれば最前線となる町だとは信じられない。眼前に広がっていたのは、ひどくありふれていて、けれど平穏で幸せに満ちた日常だった。

「ラガシュは、ガイゼスにおいても極めて治安のよい町です。シノレ公は非凡な武人であるとともに、優れた領主でもあるのです」
 同じように目を細めて、ハルもセティと並んでその光景を眺めた。

 大通りを真っ直ぐに進み、城門まで来るとメイラがハル・アレン王子の来訪を門番に告げた。セティやハルと同年ほどと思われる若い門番は慌ただしく城内に消えていった。

 ややあって、彼とともに姿を現したのは壮年の男である。男はハルの姿を見るなり目をみはり、恭しく腰を屈めた。

「これは殿下、よくお越しになられました」
「お元気そうで何よりです。ランド殿」

 来訪の意図を告げるよりも早く、王子は慌ただしく城内に招き入れられた。その従者と、得体の知れぬ二人のナディール人も例外ではない。
 客間に案内されるとすぐさま冷たい蜂蜜水が運ばれてきて、喉をうるおわせたハルは実に要領よく端的に事情を説明する。
 神妙な顔でそれを聞いたランド・クベーツは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「将軍は外出しております。日が沈むころには戻りますので、まずは旅の疲れをお癒しください」

 これは、一行にとってありがたい気遣いであった。この五日間は砂埃に吹きさらされっぱなしで、セティとメイラは夜半の戦闘で多少、返り血も浴びている。そのうえ、食事といえば干し肉と薄く焼いた固いパンだけである。当然、菜食主義のリドルフは水とパンしか口にしていない。

 客間で蜂蜜水を片手にしばし談笑していると、女官が姿を現して準備が整った旨を告げてハルとメイラを連れていく。
 お連れの方もどうぞ、という別の女官の言葉にしたがい、リドルフとセティも部屋を後にした。

 リドルフとは別室の風呂に案内しようとする女官にセティが疑問を露わにすると、彼女は困ったような顔をして少し考え、微笑んで結局ふたりをひとつの部屋に招き入れた。セティはこの女官の小さな配慮をさして気に留めた様子はなかったが、リドルフは嫌な予感を覚えた。

「ガイゼスの男子は、こういう格好をするのか?」

 風呂で砂と血の臭いを落としたセティが用意されていた着替えに袖を通し、首をひねる。その姿にリドルフは先の嫌な予感が思い違いでなかったことを確信した。

「さあ、どうでしょうね? もとは同じ国とはいえ文化も違いますから」
 僧衣の合着の前合わせを留めながら、リドルフはどうしようか、と思った。見たところ他に用意された着替えはない。

「まあ、涼しいしいいか」
 ひらり、と下衣の裾をなびかせたセティがそう言って部屋を出ようとするので、機を逸したリドルフは口をつぐんでその後に従った。

 客間に戻ると、先に風呂に入って衣を改めたハルがクッションのきいた長いすに座ってぼんやりと外を眺めていた。彼が着ている金糸と緑糸で縁取られた詰襟の衣は、王子に相応しい嫌味なく上品なものだった。

「ハル」

 呼びかけに笑みを浮かべて応えたハル・アレン王子が向き直り、セティの姿を見た途端ぎょっとして固まる。

「どうした?」
 裾が膝丈までの長さの胸元が広めに開いたつくりの衣からは、セティの白い肌が露出し、動くたびにひらひらと裾がなびく。ガイゼスでもっとも一般的な女人の衣は、おどろくほどセティに似合っていた。

「あ── はい、ええと……」
 ハルは目を白黒させて分かりやすく窮した。セティより一歩下がった位置のリドルフは苦笑を浮かべている。

「その、寒く……寒くはありませんか?」

 セティはその瞬間きょとんとして、いいやと短く首を振る。
 それはそうだ。このあたりは日中は外で活動できないほどに気温が高くなる。しかも今は太陽は着々と中天に向かっているような時刻だ。寒いわけがない。

 難しい顔をしてしばしハルは考え込み、それからあっと小さく声を上げた。

「その衣はセティ殿には少し動きにくいのではありませんか?」

 それは、剣を使わない人間が着るものだ、とハルは早口に付け加える。そう言われたセティは自分が着ている女ものの下衣を両手でつまみ持ち上げて、ちょっと見た。

「そうだな。これでは確かに剣は振りにくい」

 セティがそう言うのをハルはこれ幸い、とばかりに大きく何度も頷いた。
 この世のものとは思えぬほどに美しいこの青年は、何よりも女に見紛われることを嫌うのだと、ハルはリドルフから聞いて知っていた。

「別のものを用意してもらいましょう。思うように動けず、あなたに怪我があってはいけない」

 いささか不自然であったかもしれないが、ハルとしてはこういう具合にしか危機を切り抜けられなかった。セティが是非を言うよりも早くハルは立ち上がり、セティとリドルフの横をすり抜けて続き間にいるメイラを呼ぶ。

 すれ違いざまに華奢な王子の体から、かすかに甘く、典雅な香りがふわりと舞ってすぐに消えた。


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戦闘描写
戦闘描写②
場景描写


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