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しんどさの実体

社会の毒気が苦手である。

四十にもなってこんなこと言っているのはどうかと思うが、むしろ逆に声を大にして言いたい。

人間の良い側面を見つめ、負の部分も愛し、綺麗ごとだけ詰め込んで生きている。ずっと。

それでも中年にはなれたし、勤めてはいないが飯も食えており、パッと見は社会のいち構成員としてやれている(と思う)

ちなみに経済的自立や結婚、子育てが社会の成員として必要な要素である、という主旨ではないので悪しからず。やりたいことだけ選んでやればいいし、いろんな理由で選ぶことすらできないこともあると思う。消極的にでも運命を受け入れることもまた適応なのだと、河合隼雄先生はおっしゃっていた。たとえ何もやらなくても、こんなくそったれな世界で生きているだけで尊いよ。

でも、若いときはこんな感性で世をわたっていけるのか、本当に不安でずっと怯えていた。怯えていたけど、路線変更はしなかった。そうやってなし崩しにずるずるしていたら三十五にもなっていて、その頃に逆にこれでもいけるんだな、と悟りのような手ごたえを得た。

意外だったのは社会の毒気にどのくらい迎合できるのか、というのは年齢とともに自然に落ち着くものではないということ。いつかもっとしたたかで地に足のついたおばさんになれると思っていたのに、なれなかった。これはけっこう驚くべき事実かと思う。

今も、圧倒的な質量の毒気を前にちょっと厭世的になることはある。

そういうときは必要最低限のことをして、気持ちの良い人とだけ関わって、多くは引きこもって静かに回復を図る。若いときよりは回復に要する時間も減ったし、決定的にバランスを崩してしまうよりも早く引き籠れるようになった。

最近、リアルでは「仙人」と揶揄されることがある。

鉄面皮にはなれなかったし、図らずも子どもを持ったので世俗を離れて晴耕雨読で生きていくという夢も潰えた。

今後は市中に普通にいる仙人かシャーマンを目指したいと思う。
(だって、INTPの適職にシャーマンって出るんだよ)

近ごろは社会が不安定だし、先行き不安もあってか閉塞感も強い。老いも若いもみんな生きづらさや、やりにくさみたいのを感じているんじゃないかな。

そんな人は無理に迎合しすぎず、一緒に市中仙人を目指さないか、という誘い。



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